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都立中高一貫校受検/都立高校上位校 受験専門 渋谷で創立30年

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2020.03.16

第66章 興味、関心が勉強の熱源 合格する子、親に見える竹の会に対する信頼の強さ

 興味、関心がなければ、勉強なんか面白くもない。ひとつこういうことは言える。つまり、知能の高い子ほど、好奇心が強い、関心を持ちやすい。知能が高い人は、想像力にも恵まれていることが多い。IQというのは、想像力のことだと言ってもいい。好奇心、関心というのも、想像力を別の視点から言ったものにほかならない。
 考えるというのは、想像することである。
 想像というのは、あれこれと思いを巡らすことである。ああでもない、こうでもないと頭を悩ますことである。
 ここで「賢い」ということの意味をよく考えて欲しい。
 賢さというのは、自らの至らなさを知る人のことである。だから真に賢い人は人を感情や主観で批判したりはしない、いやできないのである。
 その意味では、ネットにテレビにと蔓延るのは、愚者ばかりである。
  
 子どもに勉強に対する関心、好奇心がある限り、子どもは、伸びていくのだと思う。子どもというのは、生まれながらの才に規定されて、それを地頭といい、私たちはその地頭に指導の成否を左右されることを知っている。好奇心、関心の強さは、必ずしも知能の高さに比例しない。だから才能はあるのに脱落していく者もいれば、才能はないけれど関心の深さが身を助けて能力を引き出すこともある。
 塾の先生というのは、様々な「訳あり」の子たちをそれこそ選ばず、導いていかなければならない。
 さて、わたしも子どもたちを指導して、早35年超になる。
 今の、私はおそらく指導の妙を心得ている。どんな子もどう指導すればできるようになるか、心得ている。そのことは、わたしの指導を実際に受けた子、そしてその子に接している母親、父親の皆さんが一番よくわかっておられることではないか、と思料している。
 光陰矢の如し。35年の歳月が過ぎた、この歳になってようやく子どもたちの指導の先が見えるようになってきた。どんな子も訳ありであり、訳のない子なんてほとんどいない。子どもを「診て」、読み取る。すると、この子には、なにをどう指導したらいいか、が見えてくる。道筋が、読めてくる。私の中には、子どもの指導パターンがそれこそ数百はあろうか。
 とは言っても、子どもの指導パターンは、実は、シンプルである。その道筋は、比較的単純である。わたしの実際の指導は、子どもの理解の状況、段階を読み取り、ここは実は神技なのかもしれないが、わたしは千変万化の、指導を繰り出していると思っている。かつてたまたまわたしの指導の現場を見学した形になった会員のお母様は、その様子をびっくりしたようにみつめて暫し沈黙して、やがて感動して、「先生、大変ですね」と思わず言葉を発した。それからそのお母様は、六年間の長きにわたって竹の会を支持、信頼して子どもさんを預けてくれた。高校受験で大成功して竹の会に感謝を遺して去って行ったのはなんと幸運なことであったと今でも時々思い出す。
 受験というのは、精神的に「弱い」子には向かない。精神が強い、タフな子が結局最後は克つ。その意味で、わたしは、受験は、気合いだ、と考えている。そこから受験直前の、思い詰めたような緊張感が、受験に成功する子の共通した特質として、表れてくるのだと思う。受験直前に緊張感のない、協調的、平和的な子は不思議と受かった試しがない。緊張感というのは、次第に自分を突き詰めていく、追い詰めていく、いや極限状態に、追い込んでいく、精神のあり方の、外面から見た光景と言える。こうなると、食事も細く、会話も少なく、ひたすら受験の重圧と戦う精神の塊として現れる。そうなのである。受験というのは、自ら精神の塊を作る子でなければ受からないのである。これが気合いの正体である。
 さらに、わたしは、合格する子の一つの共通点に早くから気がついていた。
 それは、合格する子は、わたしを、竹の会を心から信頼していた、ことである。だからわたしの言うことを神様のように信頼して実行した。また、わたしに心を開き、私に何でも話してくれたし、相談もしてきた。さらに合格者の共通点として、その親御さんの、わたしと竹の会に対する信頼、支持が揺るぎない鞏固な、おそらく価値観のところから、支持しておられたことが、強くわたしに印象として、遺っている。つまり、親御さんの信頼が、限りなく深く、そのバックボーンの上に、子どもが竹の会を信頼する、という構造があった。とは言っても、中学になると、反抗期、思春期という親御さんには大きな障害が立ちはだかる。ここでもこの時期を乗り越えていったのは、子どもの竹の会に対する信頼と、彼、彼女の中には内在していた、向上心ではなかったかと思う。
 竹の会を巣立った子たち、親御さんまでもが、いつまでも竹の会を忘れないのは、なにか、そういう心の繋がりのようなものが、竹の会を去った後もずっとあり続けているからなのではないかとわたしなりに考えている。

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