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都立中高一貫校受検/都立高校上位校 受験専門 渋谷で創立30年

都立日比谷、都立戸山の研究塾竹の会/都立小石川、桜修館合格の壺研究/8月2日(木)夏期指導12時開始/その他

2018.08.02

 おはようございます。昨日は無事夏期指導の第1回を終えまして、正直ほっとしております。本日はBの初日です。開始は正午からになっておりますので、ご注意ください。

 実は、最近では、「草枕」の下書きをi-phoneのpagesというアプリを使って書いております。これだとどこでも書ける、アイデアが浮かんだときにすぐ書けるので重宝しております。昨日の記事もそうでしたが、今日の記事も旅先で書いた原稿をアップしたものです。

  ⭕️なかなか子どもたちに伝わらない、かたち 教える

 いや指導するというのは、子どもの脳に、知識の断片を撒き散らすことではない。例えば、割合という概念を子どもの脳に構築する、これが当面の、指導の目標となる。理解してもらいたいのは、たったひとつのことであるが、そのことを子どもが、理解して、使える、そこまで持っていくには、様々な、工夫、段階的な理解の手順、概念の習得、要するに、子どもの反応を見ながらの、様々な入力、働きかけが、なされる。こうした試みが成功するかは、子どもの能力に依存することは否めない。 正直、仮合格では、超えられない能力の壁のある子が、紛れ込む蓋然性は高い。一般的には、小5で仮合格というのは、厳しいはずであるが、今年の富士合格者の一人は仮合格だった。ただ割合の壁は超えていた。割合の壁を超えるとは、自ら未知の問題に考えて正解に達する能力を得ることである。そうなのだ。割合の壁を超えられるかどうか、ここが分かれ目になる。その上で、わたしの指示をどれだけ遵守できるか、である。小5のA合格で、割合の壁を超えたと思われる子たちが、小6の2学期から軒並み崩れた、失速したのは、課題の挫折、割合指導段階での足踏み、その結果としての指導レジュメの不合格の連続という進捗の停滞にあった。このことを考えれば、受検の姿勢について教訓があろう。こうした子たちの共通点というものもある。課題を出さなくなったということ以外に、習い事、稽古事をこっそり続けていたとか、盆正月の実家帰省は絶対最優先とか、中には、特に、何ということもないのに、勉強しない、という子もいたが、割合の壁を超えても、それだけではダメだ、ということである。不合格となった子の中には、割合の壁を超えられなかった子もいた。こういう子はやはり受検そのものが無理であり、中学に行っても、成績も悪く、高校入試も暗い見通ししかない。かわいそうだが、地球の自転、公転を変えられないくらいに、わたしには、事実を受け止めて、暗澹と、見守るしか、できない。

 指導というのは、如何に、のみ込み易い「かたち」にして、子どもに提示できるか、ということにある。だから、まず「かたち」を創作するところから、悩む。そして、「かたち」にして、与える。この時、このかたちをすんなり受け入れる子もいるが、さらに能力段階の低い子には無理ということもある。その時にさらに「かたち」をのみ込み易いようにするしかないのだが、そこで悩む。指導というのは、如何に、子どもたちに、無事に、のみ込ませ、理解にまで持っていけるか、この苦闘にある。わたしは、能力の限りを尽くして、この当面の実は気の進まない仕事に取り組む。ただしかし、こういう段階の仕事というのは、今はやりたくない。わたしのやるべきことは、入会試験にA合格した子、しかも、勉強最優先の家庭、子を合格へ導くこと、これと考えているからだ。

 バランスのない子のこと

 自分の関心のあることにしか、興味を示さない、興味のないことには一切目を瞑る、背を向ける、そういう子がいる。ここでわたしが力説しておきたいのは、こういうバランスを欠いた子というのは、結局、受検に成功することはない、ということである。それどころか、中学で、バランスよく成績を取ることが困難で、それは取りも直さず、高校受験でも、都立トップ校と言われる、日比谷、西、国立の合格は厳しい、それどころか、次に続く、戸山、青山、新宿、駒場、小山台さえも無理であろう。数学だけできても、だめなのである。当局は、バランスのいい子を求めている。というか、学問、いや基礎学問の段階で、バランスよく吸収できない子は、ものにはならない、ということが、共通理解になっている。能力の評価では、偏った子というのは、使えない、ということである。 ただ悲観することもない、例えば、ITの世界では、こういう偏った人でも、一芸に秀でていれば、いくらでも欲しいという企業がある。ハッカーが 珍重される時代の趨勢がある。だから、わたしの言っているのは、飽くまでもありきたりの話しである。本当なら、物理の才能がすごいのなら、英語や国語に劣るとしても、その得意を伸ばしてやればいい。そう思うけれど、英語もまともにできなければ、学術論文もまともに読めないであろうし、国語のできない、字もまともに書けない者に果たして本当に天才的な物理なり、化学なりの研究が可能なのか、という疑いはある。

 わたしの責務は、子に如何にして、知の「かたち」を、子の脳の中に、整然たる体系として「置く」ことができるか、にある。植物のタネを蒔けば、芽が出る、自ら成長する、わたしは、定期的に水を与え、栄養を与え、枝を剪定し、幹を矯正する。植物は自ら成長する。やがて植物は花を咲かせる。植物はわたしに感謝するかもしれない。確かに、植物はわたしの手助けがなければ途中で枯れたかもしれない。ひょろひょろと痩せて花を咲かせることもなかったかもしれない。しかし、花を咲かせるまでに生き抜いたのは、紛れもなく植物の力である。わたしにはどうにもできない植物の中の世界、がある。 塾の先生というのは、どこまで子どもの世界に容喙できるか、この辺の見極めどころが、塾の先生の腕の見せ所ということになる。 わたしのレジュメは、子どもの能力を見ながら、様子を見ながら、これができれば、じゃー、これ、これができたなら、これ、と試行錯誤していく。できなければ、どこまで戻るか、正直落胆しながらも、子の失意を思い、また考える。一晩考えて、新たなレジュメを創作して、試してみる、ということもよくある。いつもこの繰り返しである。失敗、微かな成功、そんなことを繰り返しながら、子どもたちと付き合っていく。子どもたちは、竹の会が大好きと言ってくれます。 わたしは、勉強しないとか、静かにしないとか、そういう時以外は、叱りませんし、子どもたちはそれぞれに何かを感じて頑張っているのだと思います。竹の会が他塾より厳しい、明らかに違うと感じるのは、退塾が、かなり出る、そこなのではないか、と思います。勉強の姿勢、部活を口実に勉強を蔑ろにする態度、実際には、遅刻の常習、居眠りの常習、レジュメ指導の遅滞、これである。指導に支障が出てくれば、指導を打ち切る、これだけが、約束です。ただ退塾勧告をしてもなかなか「はい、わかりました」と、いうことにはならない。これがわたしにはストレスとなる。できれば勧告で終われば、と思う。 入会して、順調に伸びていく、そして模試で上位に名を連ね、合格していく、こういう子というのが、竹の会の理想とする子の姿です。 さてこのような子に来て欲しい、と竹の会では、入会試験をして来たわけですが、なにしろ無名の小塾で、知名度もない。渋谷教室になって、24年のことでした。元代々木教室に3月に来た小5とか、前の年に来た小5などが、5月渋谷教室移転に伴い、移転して来ました。わたしは、4月からでしたか、「入会試験第1類」の制作をスタートさせ、当時は、指導のたびに作る日々でした。解説を詳細に作ることを始めたのは、この時からでした。解説ですべてを明らかにしよう、わたしの解説技術の粋を尽くそう、微細な図を駆使して、理解の助けとしよう、色もつけよう、かつて見つけた、数式ソフトが、わたしの思い描いたイメージを次々に、現実のものとして、画面に、具体化され、作品として、表れた。わたしには、夢のような、そう、まるで魔法だった。わたしは、わたしの数式ソフトを自由自在に使いこなして、わたしの思う画像を創りあげた。「第1類」は、入会試験という名の、過去問を網羅した、適性訓練レジュメとして、最高の質を誇った。この年9月になって、白鷗に合格することになる、小6女子が入ってきて、竹の会としては、珍しく5人の受検生を抱えた。9月になって、新たに「算数をクリアーにする」と過去問の続編「合格答案への道」の執筆を開始した。わたしは、執筆に夢中になった。あの時のわたしはまるで何かに憑かれたように、過去問集を漁り、良問を探しては、レジュメに換骨奪胎した。このレジュメを使った子たちが、翌年、小石川、白鷗、桜修館へと合格していった。

 竹の会のレジュメの生まれた頃、算数は、今ほど体系化していなかった。元代々木教室時代の平成23年にそれとして認識されたミクロマクロ法が、子どもたちに紹介され、以後竹の会の算数指導にコペルニクス的転回を見せることになります。これまでに制作執筆してきた算数レジュメは、次第に、段階的な再構成を経て、竹の会算数体系が完成していきます。 竹の会は、ようやく東京23区の皆さんに少しずつ認知されようとしております。わたしが、ずっと思い続けてきた、そう、竹の会へ来てくれさえすれば、竹の会の素晴らしさはわかってもらえる、あなたたちは、何も知らないままに、竹の会を素通りしていった。けれど、わたしは、いつも心の中で叫び続けてきました。「こんなにいい塾があるのに、あなたたはどうして気づいてくれないんだ、わたしならあなたたちの子どもを思いどおりに導けるのに」。わたしはいつも叫んできました。しかし、世の親たちは、大手絶対の価値観に洗脳され、まるで竹の会を無視してきましたし、冷やかしで覗いて、大手がいいに決まってるというオーラを出しながら、かなりの上から目線で「ふーん、国語もあるんだ」と鼻で感心するフリをしていた母親もいました。しかし、この母親から二度と連絡があることはありませんでした。余談ですが、今の竹の会の国語は、今年桜修館に合格した女子のお母様に、絶賛されましたが、曰く、「偏差値70まで上がりました」、これも算数と同じく、わたしが研究した国語読解における文とは、抽象、具体の繰り返しという、原理的本質を持つこと、したがって、問いの答えは、抽象についての問いなら、後に続く具体から、具体についの問いなら、普通は、前にある抽象的記述から、抜き出すのを基本とすること、このような姿勢から、わたしは、竹の会の国語教材を執筆してきたわけです。かつて大手に行ったであろう母親に鼻であしらわれた竹の会ですが、そういう人ばかりではありませんでした。竹の会で成功した子たちの多くは、もちろんかなりブレた親たちもいましたが、その大半は、竹の会を信頼して、合格していった方たちでした。子は竹の会を信じ、親は竹の会を信頼し、子を応援したのです。 もちろん例外はいました、22年両国合格の時は、一部の親たちが、大原の志望校別なんたらの日曜コースにこっそり通って、わたしの指導の進捗がガタンと落ちたことがありましたし、25年には、突然小6が退塾しました。11月のことでした。この小6は、小石川志望でしたが、わたしが「小石川は無理だ、桜修館なら受かる」と、桜修館を勧めたのが、気にいらなかったのか、突然「受検を止める」と言って母親の説得も適わず、来なくなった。2月9日のこと、これも突然、その母親からのメール、「先生、桜修館に合格しました、先生のおかげです」。わたしは、桜修館にしたのだなよかったと、安堵したものでした。 このような、わたしには、どうにもならない親や子の造反はありましたが、そういう超例外を除けば、竹の会は、ある意味破竹の快進撃を続けてきたのだと思います。受検生は、1人とか、3人とか、多くて5人、そういう子たちの中から、わたしは合格にまで導いてきた。竹の会とは、そういうところでした。 子どもたちに、伝える「かたち」をどうするか、それは常にわたしのテーマでした。

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