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都立中高一貫校受検/都立高校上位校 受験専門 渋谷で創立30年

都立日比谷という目標/小石川は頭脳がなければダメ・桜修館は知能がなければダメ・九段は丁寧な性格の努力家でなければダメ/その他

2018.05.29

 おはようございます。朝からいろいろと仕事に追われていますが、正直終わる見通しは立ちません。熱心に課題を出す子たちも増えまして、いつも山のように未添削の課題が積まれ、順番に片づけていくのですがなかなか終わりが見えません。途中新作の創作もあるためです。課題の提出が雑な子がいたり、小出しでどうもやる気が今ひとつという子もいたり、全く出さないという子、例えば「教養のための理科」だけ散発的に出してくる子など子どもたちの対応は様々です。ほとんど字数もなく、殴り書きという子もいます。かなり滅入ります。国語に対する認識があまりにもなさすぎる。字については、筆圧がない、字の体をなしていない、丁寧さというものがない、などいろいろ言いたいことはありますが、これは家庭も真剣にとらえて支えていかないととんでもない未来が待っているのではないか。とにかく悲観的に考えてしまいます。

◎夏期費用30万円という大手塾のこと

 某大手塾の夏期講習について、30日30万円という情報が、 あるお母様からもたらされた。近くの大手に同級生が10人以上行っていて、夏期は、合宿、講習、セミナーなど全部出ると30日、費用は30万円ということらしい。他所の塾のことはまったく知らないのですが、30日というのにやや違和感を感じます。これはいろいろな意味で、わたしはまずいと思っていますが、 度肝を抜かれたのは、30万円という費用ですね。竹の会の小4時エナ出身 の子たちに訊いて見ると、「本当です」と事も無げに言う。これを親は出すのか、それだけ出して、それに見合うだけの実入りはあるのか。いろいろ考えさせられることがある。これは、前の問題提起に関係しますから、それはそこで論じるとして、そんな額を出せる家庭がそんなにあるのか、ということである。子どもたちによると「ある」らしいのです。みんな申し込むしかないのだとも聞きました。そこがまずひっかかる、 大手にいた子の話だと、合宿参加は、任意だが、参加するしかない空気なので、たいてい参加することになるらしい。 お正月の元旦から始めて、怪気炎という風景をニュースの映像でよく見ますが、なんかすごい、と素直に思うけど、無駄な力の使い方のように思えて仕方ない。 要するに、間がないのである。 あと勉強の孤独性という本質が抜け落ちている。 勉強というのは、孤独に耐えながら、ひたすら集中する、そういうところに本質がある。 集団で、授業をやる、もしかしたら、自習室を設けて、塾で、勉強をやらせるのかもしれない、そういう場合も含めているのだろうか。

 竹の会のような方法をとらないと、そうなる。 竹の会は、塾で、勉強のスタイルを訓練している。 つまり、家庭学習というもの、それは将来、中学、高校、大学と進む中で、勉強の場が家庭、家庭学習である、そういうことを踏まえ、家庭学習に取り組む、黙々と集中する、孤独の世界に入ることに観念した姿勢、孤独を楽しむほどに勉強に親しむ、そういうことを勉強の理想ととらえてのことてある。 その上で、勉強というものには、間が大切であるということ、塾の指導には、間が大切である、ということはいくら強調してもしたりない。指導と指導の間である。 間の中で、一人で見つめ直す、頭の中を整理する、そういう機会、時間が必要である。 集団の中での、みんなで孤独を回避し、心を舐め合い、というのが、なにを、もたらすのか。 孤独に、考える、静かな環境で、一人ぽつんと考える、そういうことのできない、バカを作ることになるだけではないか。 指導というのは、勉強というものの本質を知り抜いての、知り抜いた上での、勉強というものとの付き合い方をも含めて指導するものでなければならない。

 大手塾の費用がまたすごいけど、これなんか見ていると、やはり商売やってるという感じがしてくる。やたら選択肢を増やすのは、工事業者のやたら多い見積もり項目とそのそれぞれの単価の積算した額が有無を言わさない額になるのと似ている。まあ工事業者のノウハウを借用したわけでしょ。とにかく売りつける算段をしている。そういう感じがする。

 まあ、わたしには関係ないことですけど。 勉強というものが、高校、大学と、特に、一人で孤独に耐えながら、ひたすら机にかじりついているものということを知っているのか、ということである。

 ところで竹の会の夏期のAとBの両方に出たいのですが、可能でしょうか、というご質問がありました。 費用が2倍になるので、想定もしていなかったのですが、空席があれば、対応することにしました。 例えば、低学年だと、一人でやるのにも限界がある。四六時中指導が必要な時期ということはあります。特に親御さんが働いていると見てやることができない、それなら塾に預けて見てもらった方がいい、そういう考えもよくわかります。あるいは、家で静かに勉強する環境にない、特に、騒がしい弟や妹がいて、などという事情もあるかもしれない。高学年だと指導時間を増やしたいと単純に思っているかもしれない。 まあ、そういう事情はよくわかりますので、空席がある限り、断る理由もありませんが、家庭に静かな環境が確保されて一人で勉強するのも大切ですよ。かつて平成28年に九段に合格した女子は、両親が共稼ぎでいつもいない。それでひとりで黙々と課題をやり解き直しをやっていたということである。このようにきちんと勉強できる子なら問題ないわけです。孤独に勉強する訓練も大切ですよ。  

◎基本のところをいい加減にしてスキップするから後々失速することになる

  基本のところはもう完璧にする。だからじっくりと時間をかける必要がある。私が、小学生は、小4から、と訴えているのは、基本には一年はかかる、そういう計算があるからです。小4の4月までに来ていれば、それはもう、小数の計算、分数の計算の初歩からじっくりと学ばせて、そう適当に「間を取る」指導ができるわけです。じっくりと丁寧に時間をかけられる。2か月、3か月もすれば、計算はマスターしている。つまり、難関中学の出題する計算問題なんかも解けるようになっている。竹の会ならそれが普通です。もしこの計算で手間取る子なら、竹の会では指導に適さないということです。割合という仕組みを真に理解するまでにはそれは長い道程をたどることが必要です。竹の会では、この過程をそれは緻密にきっちりと理解するまで指導していきます。この指導の過程に1年はたっぷりと使います。小5だとこういうことができない。それに大手にいたという子は「ねじ曲がった釘」のようである。それまでの勉強姿勢、それは受け身で、公式を覚えて使うという態度に表れる、考えるということができない、そういう姿勢を指して、ねじ曲がった釘と表現しています。ねじ曲がった釘というのは、なかなか新しいやりかたに順応できない。すんなりと受け入れることができないのです。曲解してしまう。ですからすくすくと伸びることがないのです。

 大手にいたという子たちを見てきた経験では、とにかく基本ができていない、そこのところを適当に終わらせて、難しい問題ばかりをやらせている、そんな感想です。基本を簡単だからという思い込みで簡単にスキップしてしまう。親も塾でやっていることを子どもがきちんと予習復習してやっていればなにも文句は言わない。基本をスキップしてきたことの重大性についてなにも気を留めない。大手の確認テストなんかで、類似問題を覚えるほどに賢い子はいい点をとるから、親は物の本質に気づきもしない。こういうことは、竹の会にきてわたしの診断を受けて見れば、たちまち露見してしまう。大手に2年いた小6が、竹の会で小4の数か月を過ごした小4にかなり劣るということは、竹の会では日常的なことで、だれも驚かない。小5が小6よりできるということはすでに去年の小6たちが実際に見てきたことであった。それほどに小4早期から竹の会の指導を受けるということの意味は大きい。

◎夏までの勉強姿勢を見て、9月以降の指導継続の可否を決断したい

 竹の会には、実は、仮合格者というのがかなりいます。小4期の仮合格者のほとんどは、竹の会の基本指導システムによって、かなりできるようになっています。仮合格者の帰趨もそうですが、小6についても、去年のように夏に勉強しなかった子について、「受検」の意思と勉強の意思はあるからということで、当然のように指導を継続した経緯がありますが、やはり夏の勉強で手を抜いた子たちは不合格になるしかなかったわけですから、結局夏の終わった時点で、竹の会から退場していただいていたほうがよかったのかと反省したものです。基本的に竹の会には勉強しない子は来てはならない、そういうことです。小6の受検生なのに、1日7時間もやれないというのは受検の資格はないと思うのですが、どうでしょうか。そもそもそれでは受からないでしょ。そして小4、小5のみなさんについても、夏の勉強姿勢、つまり家庭学習、勉強の進捗、レジュメの解き直しなどに積極か否かなどを見て、ひとつの判断をしたい、と考えております。どうか親御さんのご理解・ご協力をお願いいたします。

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