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都立中高一貫校受検/都立高校上位校 受験専門 渋谷で創立30年

都立日比谷へ羽ばたけ竹の会/小石川を受けられるのは「選ばれた人」/桜修館はだれでも受けられるところではない/台風一過涼風に一息

2018.08.09

 おはようございます。台風12号の後は、13号が直撃、大過なく通過していったことにひとまず安堵しております。今日は、昨日振り替え実施のため、お休みです。正直かなりの疲労蓄積を実感しておりまして、今日は朝からくつろいでおります。

 今夏は、また「指導」の技術がさらに深まり、新境地に開眼する勢いであることは喜ばしいことと思っております。それもこれも新しい子たちの指導で、トンチンカンな答えをが返ってくることに正直面くらい、改めて指導について考えた、考えるようになったことが大きいのかと思っております。

🔴怠惰な人間は、習慣とは、無縁である

 したがって、実行することを継続させることはない。仮に、怠惰な人間が、かなりに知能が高いとしても、怠惰のもたらす弊は計り知れないものがある。知能が高いのにこつこつと真面目に努力することを嫌がる人間ならそれなりにいたが、もともとの頭の良さから高校入試は志望校に入ったのはさすがとしても、高校に入ってからの怠惰癖は流石に致命的であり、大学受験では、ほぼ全員が失敗している。失敗と言っても本来の高い理想に挫折したということであるのだが。例えば、都立戸山から一浪して立教、都立青山から法政、など中学時代のトップたちの例ならいくらでもある。彼ら彼女らは、知能の高い人たちばかりであったが、内申もオール5もいたり、とにかく5の先行した子たちであったが、高校での怠惰は致命的であり、高校をなめているとしか思えない生活、だから、早慶にも行けない、国立大学など遠い夢。この人たちは、怠惰ゆえに、勉強の習慣を形成できずに、つまり、ろくな実行もしないままに、並止まりで、人生を落着させる、ことになった人たちである。

 さて、知能もそれほどに恵まれない人たちが、勉強の習慣というものを形成することは、通常は、困難である。もともと勉強に関心もなければ、興味もない人たちであってみれば、勉強に面白味を感じることなどはほとんどないことであり、したがって、あえて勉強などやらないであろうから、もともと習慣など爼上にも載らない話であった。 ただ、皆無ではない。知能にそれほど恵まれないにもかかわらず上昇志向の強い子というのは確かにいました。そういう子は稀有ですけど、勉強の習慣という、人間の真の宝を、手に入れていく姿を見てきました。 そうなのです、あなたたちは人生の宝を探しているのです。そしてその宝は、あなたたちの手の届くところに常にあるのです。みんなに平等に「ある」ものなのです。そしてその宝ものは、怠け者には、決して手に入らない、神様がそうしたのではないでしょうか。神さまは怠け者が、嫌いなのではないでしょうか。頭がいいことを鼻にかける、こういう人間は、油断だらけです。隙だらけです。そして違わず怠け者です。怠け者には、真摯なる実行というものがありません。だから習慣というものが「ない」のです。 さて、これでわかってきたことと思います。 あなたたちが、まずやらなければならないのは、決して習慣を崩さないことだということが。習慣を一度破れば元の木阿弥です。やたらの習い事、稽古事、スポーツ、家庭の事情、なんでもいい、とにかくやたら習慣を破る家庭では、習慣はないに等しいということです。 わたしはあなたたちに人生の道の歩き方を説いています。道を外さないで、あなたたちが、目的とする職業を手に入れるために、処する方法というものを訴えているのです。 簡単なことです。しかし、平凡な人間には、難しいことなのです。平凡な人間は、並べて怠け者です。楽な道を選びがちです。凡人は、継続ということができません。また継続を破る、言い訳をたくさん用意しています。言い訳は、大義名分の様相を呈します。一週間に及ぶ盆と正月の実家帰省、法事と言う名の避けがたいと称する実家帰省、年老いた祖父母に孫の顔を見せてあげたいという実家帰省、普段疎遠にしているという親族の集まり、勉強ばかりでたまにはディズニーへという親の気配り、習い事のお祭りである発表会、稽古事のお祭りである昇級試験、試合。要するに、凡人には、習慣の形成は、とても困難なのです。 しかしです。わたしの知る限り、人生の成功者というのは、決して習慣を壊すことはしなかった。この人たちは、知っていたのです。だから簡単には、習慣すなわち約束された未来を、手放すことはしなかった。いやそれどころか、死守しようとしていた。当たり前です。習慣という神の与えてくれた人生常勝の宝ものをなんで、習い事でもなんでもどうでもいいことで捨てなければならないのか。 あなたたちが、子どもに教えてこなければならなかったのは、習慣を壊さないこと、それだけだったのです。ところが、あなたたちは、簡単に習慣を壊してしまう。大義名分、言い訳さえ、取り繕えば、平気で習慣を壊してしまう。子どもは、理由さえあれば、習慣は壊していいものだと教えられてきた。あなたたちが、早期英語でも、ピアノでも、なんでもいい、やたら習わせたがるけれど、そんなことは、どうでもいいことでした。大切なのは、勉強の習慣を、行動を、どんなことがあっても、継続しきるという強い意志、いや習慣は意志の介在を必要としないから、継続を何がなんでも、死守しきる、ということを、生活で示すこと、あなたたちが実践して教えること、これこそが、子どもたちに教えるべき、唯一の大切なことではなかったのか。 あなたたちのやり方では、子どは、習慣というものの意味を悟らない。怠け者、自堕落な人間を作り上げるだけではないか。 あなたたちが、子ども習い事に夢中になり、稽古事に夢中になり、早期という英語を習わせて、サッカー、野球、とにかくスポーツをやらせて、それで子どもたちにいいこと、将来の助けになることをやっていると、漠然と思っているのなら、それはとんでもない、勘違いだということを、いずれ自分の子が、たいていは、自堕落な、外れた道を歩むことになって、そうしたことのアホさ加減を知ることになろう思うけれど、しかし、その時には、すっかり自分たちのやってきたことは忘れて、チャンネルは、現在の自分、つまり習慣などとは無縁だった過去はすっかり忘れて、この子には、才能がないのだ、とわかったようなことを言う。

 何よりも大切なこと、それは子どもに習慣の形成、実行、意志は要らない、実行さることこそが、継続こそが、大切なのだということを、教えることではなかったのか。 習慣の継続というのは、自分を律することにほかならない。決して習慣を壊してはならない。親の教えるべきことは、そこではなかったのか。 人間は、楽に流れる、本質的に怠け者ということである。だから、習慣で封じる。人間の本質的に持つ自堕落さから、人間は、常に、自己を律することによって、自己を維持しなけれならない。教育というのは、自己を律する精神を涵養することにある、とわたしは思う。親がやるべきことは、ここでなければならない。

 魔法使いは、言った。「途中誰に話しかけられても声を出してはいけない。様々な、甘い誘惑、恐怖の脅し、何があっても、声を出してはいけない」と。 習慣は、いちいち意志を通さなくても、行動すること、継続すること、に本質がある。とにかく、わたしたちは、 誘惑に弱い意志、をできるだけ、介在させないように行動すること、それを可能にするのが、習慣である。 成功者に共通していたこと。彼ら、彼女らが、類稀なる勉強の習慣の使徒であったことである。凡人が、侮る習慣を、彼らは絶対崇拝したことである。私の記憶に残る、勉強の習慣をなんの疑いもなく、実践した人たちは、紛れもなく人生の成功者としての道を歩んでいた。 お盆のこと、「君は、どこにも行かないのか?」、ガランとした教室で、尋ねたことがある。お正月もそうだった。みんなが実家帰省や、クリスマスのパーティや、何やかやと人生の楽を愉しむとき、しかし、彼は、いつもと変わらずやって来て、勉強していた。「食事には行ったりしないの」と尋ねると、父親が某大手鉄道の重役という彼は「うちはそんなことないです。家にいてもすることないから、竹の会があってよかった」と普通に言っていた。彼は早稲田実業高校に合格し、早大に進んだ。

 彼女は、もう本当に勉強しかなかった。青山学院高等部に合格し、青学の3年間、これも本当に盆も正月もなかった。竹の会では、3年間、英語と数学を指導した。彼女は、英語3科目、数学2科目、10段階評価で、全て10だった。慶應に進み、毎日新聞に就職した。

 彼は都立西に推薦合格した後も、竹の会に通った。竹の会では、歴史に残る、実行力と集中力の人であった。天才の集まる慶應理工に合格後、様々なソフトを開発し、卒業後起業して、今は、資本金数千万円の会社の社長として、活躍している。

 わたしは、こういう人たちを見てきたので、やたら何かと私的な、つまりどうでもいいイベントに、時間を浪費する人たち、つまりは並みの人生を歩むことになる人たちの選択が、信じられないのです。なぜあえてそのような、まずい選択をするのか、わからないのです。あなたたちが、勉強を回避するたびに、先送りするたびに、あなたたちは、人生の底辺に近い、底辺にいる人たちと、同類の人生を選択している、そういうことに一向に気づかずに、ただ「楽」、当面の「快楽」を求めているようにしか、見えないのです 。悪魔は、あなたたに、「今の楽」と引き換えに、あなたの未来の「楽」を買い取っているのです。 勉強を苦痛とする人たち、あるいは何か面倒くさいものと兎角「楽」をしたがる人たちは、悪魔に「未来の楽」を売り渡しただけです。 人生のバランスシートは、苦と楽が、貸借対照されているのではないかと思うのです。若い時に、楽ばかりしては、トータルとしては、未来には、苦しか、計上できない。あたりまえのことです。 人生は楽しまなければ、という人たちがいます。子どもに、そんなに勉強ばかりさせてどうなるのか、スポーツに打ち込んだり、習い事を楽しんだり、とそれが人生なのではないか、と言います。 しかし、現実は、高校に入る段階で、振り分けられる、都立西に行った人と、どうでもいい都立に行った人、私立単願の人とでは、ここから人生が、振り分けられる。もちろん都立西に行けばそれで終わりではない。大学でまた振り分けられる。高校でも並みの私立から、敗者復活戦でもないが、慶應に受かったという人もいた。 勉強だけが人生ではないという親の見識は、いかにも正論のように聞こえるが、現実は、子が、月並みな私立、よくて専門学校出て、職につく、そういう人生の選択にほかならない、ということを踏まえての見識であれば、もちろんそれはあなた方の勝手です。

▼「あぁ、娘が小学校4年生になって竹の会に通塾できたら良いなぁ」と思うようになりました。(小1のお母さんからのメール)「先生、3年後に竹の会で新4年生を募って頂けるでしょうか。その後3年間先生の指導を仰げそうでしょうか。」「大変不躾な質問とは承知しております、おりますが、真剣だからこそ、先生が、竹の会があとどの位続いてくれるのかが気になって仕方がありません。」 「また、入塾前(試験に合格することが前提ではございますが)の小学校低学年でこれだけは身に付けていてほしいと思うことがございましたらご教示いただけたら幸いです。」

 上記は、最近竹の会に届いたメールです。ブログでご回答申し上げることといたします。

 実は、最近は小1の親御さんからの問い合わせが、相次いでおりましたが、たいていは、「小冊子希望」ということで、このような問い合わせは、初めてのことです。 竹の会が、そんなに長くはできないだろうとは、漠然とですが、渋谷教室に移転してから、ずっと考えてきたことです。それは私が年齢、体力の限界を感じてきたからです。それでも私の指導に対する思いは変わらず、暇さえあれば、指導技術の向上に腐心しております。子どもが、「逆算」に迷えば、その日は、ずっと、「いいアイデアはないか」と、悩みます。私の頭の中はもうそのことで一杯になります。➗とは、1つを2つに分けること、➖とは、1つを2つに分けること、これに対して、✖︎も、➕も、2つを1つにまとめること、そこから、作り出したのが、私の「魔法の逆算」です。子どもたちの逆算マスターが、速くなりました。指導というのは、工夫なんです。毎日の指導で、指導しながら、常に、指導技術の向上を考えている。割合なんかは、いつも工夫です。「わからない」という子を見ると、どうしても捨て置けない。割合の物差しの話しを考えました。不思議な物差しのお話しです。なにしろ、測る物の大きさに合わせて、物差しの大きさが違うのです。例えば、東京タワー、300mなら、物差しも同じ300mのオーダーメイドです。ただし、メモリは、300mのメモリが1です。0.5のメモリなら、150mです。子どもの身長が、150㎝なら、150㎝の大きさの物差しです。やはりメモリは、150㎝のところが1です。わたしはいつもこんなことばかり考えています。今の私は、指導しているとき、なんともいい説明ができたりする、その時は、忘れないようにすぐメモをとる、後でそのアイデアをさらに工夫するためです。だからいつもワクワクしています。だから、もう夢中で指導している。いつも今年一年をなんとか終えればと必死である。後何年頑張る、そういう考えはない。もしかしたら、来年倒れてもうだめかもしれない、そんなことを考えることもある。適当にやれない性格なんです。毎年、新6年生を合格まで道案内する、そういう決意だけは強い。ただいつも言うことですが、もう勉強に関心のない子の指導はいいかな、そういう子の面倒を見る情熱はもうなくなりました。竹の会は、勉強に強い思いのある子だけに来てもらえればいい。だから竹の会は退塾してもらうことも多い。それで子どもたちがいなくなれば、その時はきっぱりと塾を畳めばいい。そういう覚悟はしております。渋谷教室に移転した頃、募集しても誰も相手にしてくれなかった。募集と言っても、学校説明会で、チラシ配るだけですけど。だからいつも教室はガランとしていた。このまま来なければ廃塾かな、と思ったこともある。 東京23区のみなさんに竹の会が認知されること、その夢を抱き続けて、たまたま竹の会に来てくれた、2人とか、3人の子たち、小4のこともあったし、小5のことも多かった。小4早期から来て欲しいと思ったけど、たいていの親たちは、小4の2月でも早いと思っていた。小4の4月から来てくれる親など1人いればいい。生徒がいないので、小6も取ったこともある。そういう子を指導して、確実に、受からせていった。竹の会の名前がいつか23区に響き渡ることを夢見てきた。 だから、小1の親御さんに、竹の会を知っていただいたということは、わたしにはとても嬉しいことです。ただ竹の会が今小1のみなさんが、小4になる時まで、続けているかと言えば、甚だ自信がないのです。わたしは、一年一年を真剣に生きていくだけです。もし来年もまだ気力が続けばまた頑張る、それが今のわたしの本音です。また指導のアイデアは指導のたびに湧いてきます。さらにさらに高い技術を身につけたい、そう願い、その探究心の衰えることはありません。一年後のわたしの指導ははるかに進歩した、指導術を見せることは間違いないと、思います。 小1からやっておくこと、特にないですね。ただ字だけはきちんと書けるようにしておいて欲しいですね。楷書で形のいい字です。筆圧も適度にね。それから計算ですね。丁寧にゆっくりと計算して欲しいですね。確実に、正確に計算できることが宝です。思考を培うには、ナンプレがいいと思います。後、読みの練習、音読ですね。毎日でも音読して欲しい。読書は、いいと思いますが、強制するのではなく、習慣というものを学んで欲しいと思います。親にできることは、習い事、稽古事に子どもを丸投げすることではない。勉強という習慣をプレゼントすることです。

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