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都立中高一貫校受検/都立高校上位校 受験専門 渋谷で創立30年

都立日比谷/小石川/桜修館/九段/今日から6月

2018.06.01

 おはようございます。今日からいよいよ6月となりました。受検ないし受験のみなさんは、ほんとうに勉強できる時期というのが、この6月、7月、8月だけだということの意味をやがて悟ることになる、9月、10月になって、できることのいかに少ないことか、そしてやるべきことのいかに多いことか、そういうことを身をもって知ることになる。時既に遅し、という言葉が毎年のように繰り返されてきた。なんと凡人小学生、凡人中学生の多いことか。中学になって勉強しないことのつけはあまりにも大きく、高校、社会人として、その代償としての人生を歩むことになる、今は、そのことの屈辱さがまったく想像できない、わからないかもしれないが、いずれくる現実であることだけは間違いない。社会に出る、そのスタートから道がちがう、そのことの意味は、社会に出てみればわかることである。

 ◎竹の会の課題を過小評価する人(子、親)たち

  課題を真面目にやることが、勉強の習慣をつけることになる。 竹の会の課題で、勉強の習慣、特に、勉強を核とした生活のリズムをつける、 ここにひとつの狙いがある。竹の会の課題は、小学生に、独自の教育を意図するものである。 この辺のところを、やや具体的に、述べてみたい、と思う。

 竹の会の国語の課題についてのポリシー

  語彙力をつけるために「読解の素の素」がある。 語彙の常識をつけるという狙いがあるが、網羅的ではない。もともとこれで網羅することは考えてはいない。それよりも受験読解文とわたしのオリジナル質問から構成した「読解の素」シリーズ、ここから、語彙を学んでほしい。国語読解とは、文をあなたの主観で理解することではない。そもそも文は、抽象的な主張、具体的な説明、抽象的な梗概、具体的な例示、抽象的な価値観と、とにかく抽象と具体の交互に織りなす文脈で構成されている。筆者は、抽象的に述べて、それを具体的に言い換える、具体的に説明して、抽象的に言い換える、 そういうことを自分の意図する結論に向けて繰り返しながら文脈にそって展開していく。そして、問題出題者は、そういう前提で、問題を作る。注意すべきは、本文にどう書かれているか、ではなく、出題者の理解した、前記の構成の理解にどう答えるかだ。 わたしの国語シリーズは全てこの前提に立って書かれている。「新国語読解」「天声人語質問集」など、全て、この国語の仕組みを理解させるべく、製作したものである。 国語シリーズの異色は、「四字熟語」シリーズか。これは、代表的なな四字熟語の由来文を与えて、200字にまとめる訓練レジュメだ。 国語には、作文シリーズもある。「作文の基本」「新作文問題」「新作文」「桜修館の作文」など、いろいろあるけれど、いずれもわたしの添削とわたしの答案例を添付して返却する、 しくみになっている。

 理科の課題について

 市販の「教養のための理科」に、わたしが全編にわたって、問題を作った。提出すると、添削、答案例を添付して、返却する。 「理科をクリアーにする」は、公立中高一貫校で過去出題された問題からわたしが選んだ問題を換骨奪胎して、詳細な解説を付して、理科の理解を深める意図から作成した。「社会をクリアーにする」も同趣旨である。 理科、社会シリーズは、私立中学の過去問から、わたしが選んだものに、詳細な解説を付した「必要十分条件の研究 理科」「同 社会」がある。これは、「教養のための理科」を終えた者に課しているが、去年は、一人もこれをやれたものはいない。 「教養」シリーズは、文字通り、教養として、これだけは知っておかなければというテーマを扱い、拾いあげてきたが、今年後半には、「教養百選」として、レジュメテキストにして、課題を完全提出した者に、提供する予定である。

 さて、こうして、課題をほとんどやらないで、不作為を決め込むということが、如何に、無為な選択かを理解しえたであろうか。 竹の会の合格者にこの機会を無にした者はいない。落ちた者は、課題を適当にやる、恣意的にやる、あるいはもうやらない、そういうところで、不思議と一致していた。 課題をやらないという人たちに、何が足りないのか。 なぜやらないのか。

 ほかにスポーツ、習い事、稽古事があって、時間がない、こういう人は、少なくとも、竹の会では、受からない。竹の会は、そういう人を想定した指導体系を設定していないし、そもそも勉強量が絶対的に足りないという子の受検で、成功する手立てなど知らない。

 ただ、やらないという人もいた。要するに、怠けるという人である。塾には休まないで来る、しかし、やらない。これは、家庭学習がない、ということであるが、受検に成功することは当然ない。 勉強しなくて受かる試験など聞いたこともないし、もしあれば、ろくな試験ではあるまい。 要するに、ただの怠け者、面倒くさがり屋が試験など受けようと考えることからして間違いだったのである。

 習い事、稽古事を続けるとして、勉強にも力を入れる、「この子のたっての希望だから」とか、親の意思もあるかもしれない。しかし、こういう受検の取り組み姿勢の子、ひいては親、というのは、惨敗して終わるのが、これまでのオチであった。 ほんとうに受かりたいのか。力を分散することのマイナスを自分の子が跳ね返すだけの高い能力があるとの前提にたってのことなのか、そういうことが現実には成功することはないのは、たいていの子どもは普通の子だということである。つまり勉強に専念しても受かるかどうかわからない程度の子なのに、そういう子が力を分散して成功すると超主観的に考えている親、子の頭の構造の雑さ加減には絶句するほかない。合格をどういう根拠で信じてか、そういうの子の自信とは、いったい如何なるものか、わたしには、そういう子の頭の粗雑さだけが鮮明である。受検など口にすることの無謀さがわからない親子があまりにも多すぎる。

 何かをやることはいい。しかし、それで受検に成功するという根拠はない。勉強しないこと、足りないことを、そのなにかのせいにするなら、その資格、覚悟もなく、やっていただけである。そのために勉強を疎かにしない、それでも勉強量を確保す る、強い意思と確かな実行がなけれは、ただの負けの選択をしたというだけの話である。

 9月からの指導に臨むにあたって、勉強量が絶対的に足りない、勉強の習慣もない、いや怠けてダラダラと過ごして勉強もほとんどしない、そういう子の退場は当然と考えております。 また、頑張っているように見えても、竹の会の指導は「ここまで」という判断をする場合もある。「伸び」止まり、進捗がない、こういう場合も、退場していただくしかない。 竹の会の子たちは、竹の会のことをとても好きになってくれて、いつも楽しそうに通ってくる。わたしも、正直かなり辛い。

 あと、夏に入るまでに、退塾者が出るかもしれない、のが竹の会です。つい先日にも中学生が退塾しております。毎回の指導で。19時頃やってくる、部活のあるときだけかと思ったら、部活がなくてもそうなる、そうなるともう勉強する姿勢にもいろいろと目につく所業が出てくる。指示をきちんとこなしていく、そういう姿勢がなくなる、退塾を促す潮時です。中学生が竹の会に3年間「いる」ことは、現状の中学生というものの実態をふまえるとなかなか難しい。27年、28年戸山合格者のように、わたしの指示をきちんとこなしながら成功するという中学生は少ない。小学生だって同じで、勉強に消極なら、潮時を見ることに違いはない。

 だから、夏期についても、これから、空席が出ることはかなりの蓋然性でありうることで、その時は、おそらく1名のみになるかと思いますが、竹の会の夏期を体験したいみなさんにその機会を提供したいと思っております。予め予約の意味で、申込フォームからお申し出頂いていると優先してご案内できると思います。

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