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都立中高一貫校受検/都立高校上位校 受験専門 渋谷で創立30年

都立高校入試/都立中高一貫校に合格の秘策あり❗️

2019.03.02

 昨日の都立高校入試発表という大きな節目を終えて、ぐっすりと寝て爽やかな朝を迎えました。春の太陽がなんとも心地よいのは少しだけ心が解放されたせいでしょうか。といっても憎き杉花粉の舞い上がるこの季節には毎年往生ております。もうすぐ桜の季節ですね。合格した子たちのうれしそうな笑顔はわたしも心底うれしいのですが、不合格の子たちのことを思うと胸が痛みます。掲示板の非情を子どもよりも親御さんに理解していただきたいと切に願っております。

 高校入試は、わたしの専門というか、得意分野ですが、最近はなかなかわたしに仕事をさせてくれない親、特に受験情報に詳しい母親が増えまして、これもインターネットの影響なのでしょうね。自分で子どもの受験を差配しようとして、失敗するというのが、最近のひとつの特徴です。

 それはともかくして、新教育研究会が発表したところによると、都立青山高校の女子について、一次定員119名、受検者数235名、受検倍率1.97倍、合格者数122名、実質倍率1.93倍、前年度入学辞退率0%となっております。落ちた人の数は、113名となります。都立青山の受検倍率は都立高校の中で群を抜いて高く、一番高い、特に、女子に人気の高い学校です。高校入試というのは、背水の陣の様相があり、子どもさんよりも親御さんのほうが切実に必死となります、特に、良質都立8校を狙う家庭というのは、切実な思いがあるかと思います。私立のバカ高い学費と都立の手頃な学費の差は親にとってはこれからの家計の負担の分かれ目となる重大事です。良質都立に入ることは親御さんにも子どもさんにとってもかけがえのない夢にちがいない。高校入試というのは、ある意味最初の人生の振り分けとなる。その意味はあまりにも大きい。青山を落ちた女子は113人もいます。約2倍というのは、2人に1人は落ちるわけです。落ちた人たちの悔しさ、無念さは計り知れないものがある。それでも人生は思い直して新しい道を歩むしかないのです。わたしは高校入試を仕事として、こういう悲哀を何度となく見てきました。悲痛な思いで掲示板にいくら探してもない番号を何度も探しました。わたしはその度にもうこんな思いをしたくない、子どもたちにこういう思いをさせたくない、だから批判されても人が何を言おうとも子どもたちのうれしそうな笑顔を見るために厳しいことを言う、嫌なら止めてもらう、わたしのやりたいようにやると誓ったのです。

🔴都立中高一貫校に合格の秘策あり❗️
 なぜあの子が受かったのか。 
 小4の10月頃だったか、その子が竹の会にやってきたのは。元代々木教室だった。算数がよくできて期待した。小石川志望だった。が、小6になってやや伸び悩む。男の子にはこれが多い。どうしてもむらがあるのが、知能の高い男の子の特性である。あの当時、わたしがこだわって使っていたのが、「2010算数」というレジュメ集だった。彼はこの難問集をよく頑張って取り組んでいた。がわたしが、「小石川をやめて桜修館にしたら」、というアドバイスが気に入らなかったのか、直前の11月に突然「受検をやめた」と退塾していった。が、彼は、桜修館を受けていた。そして合格した。この時、合格の原因を考えた。どう考えても、「2010算数」しかない。あの時は、それでそのことを忘れた。が、今年、数年ぶりに、「2010算数」を使った。そしたら、その子が、桜修館のほかに、攻玉社と巣鴨に合格してしまった。これまでのわたしのやり方は、適性対策が始まると、算数レジュメ集を使うのはやめていた。もっともそれは定番のレジュメ集をやめたということで、実際には、灘や麻布の難問をレジュメにしたものを使っている。
 ただふとわたしの脳裏を過ぎったのは、もしかしたら、「2010算数」が、いいのか、ということだった。さらに考えてみると、算数のできる子が、結局受かるという事実であった。算数のできない子の合格は限りなくゼロに近いという事実はずっとわたしの中では経験的事実としてあった。親御さんもこの辺が、我が子を見切る限界なのかなと思う。
 「2010算数」の再評価、この事実が、実はずっとわたしの脳裏から離れない。確かに、適性対策として、適性問題をやることには、意味がある。しかし、未知の問題に対して、結局雌雄を決するのは、適性問題を解いた経験ではなくて、算数の難問、未経験の難問に知力を働かせて考えてきた事実ではないのか。結局は、それが本番で、強い、という事実であった。
竹の会の算数体系
 基礎訓練過程  5〜6冊のレジュメ集を投入した割合に特化した思考訓練
 この訓練過程を終えると、さらに上の思考過程に入ることになるが、一つ問題がある。
 小5以降の入会では、この最初の訓練過程を終わりきらない場合がほとんどだという事実である。この過程を終えないで合格した例はない。
 またこの過程だけ終えて合格した例は、2例のみある。
 基礎訓練過程を小5の4月頃までに終わることである。多くの合格者は、小4までには終えている。
 次のステップを飛躍過程と呼ぶならば、飛躍過程の最初のレジュメ集は、「推理の素」である。過去の合格者が、成功裏に終わらせてきた名作である。これを終えると、「1%下巻」「思考の源」「算数共通問題」「算数速解」などに進める。そして、問題の「2010算数」は、この飛躍過程の最後に投入されてきた。ただここまで進められる者はほとんどいないのが現実である。たいていは、ここに到達するまでに時間切れになる。
 これまで竹の会の算数レジュメには、指導用には、解説がないのが通常だった。が、適性対策として執筆したシリーズには、詳細な解説を製作している。「推論算数」とか、「新推論算数」である。推論算数シリーズは、「新推論算数」を2期として位置づけ、「第3期推論算数」がある。さらに実質的な4期である「桜修館の推理」がある。最後のものは、灘中、麻布中、開成などの第6問、つまり最後の問題、超難問を取り上げ、わたしが、解説を試みたものである。竹の会における算数の最高峰に位置するレジュメである。
 さて、今年の、指導において、わたしは、「2010算数」について、指導レジュメとして使うことを考えた。そのために詳細な解説レジュメを新たに書き起こすことになる。算数を鍛える、これが今のわたしの、最大の関心事である。算数に通暁することが、取りも直さず、子どもたちを本番に安心して送り出すことになる。
 子どもたちを本番に送り出した後の、なんとも形容のし難い不安、押し寄せる不吉な予感、この不吉な予感が現実のものとなるのは、やはり、「遅い」子、「課題をやらない」子、「算数ができない」子、である。
 「遅い」というのは、いろいろな意味で悪い前兆である。レジュメを渡されて、答案を出すまでに時間がかかる。これは、問題のレベルに能力が対応していないということである。具体的には、問題の意味するところを読み取れないということであるが、読み取れない原因は、国語能力の未熟、事実を意味あるものとして、つまり関係で掴めない、常識の欠如、など、遅いということが、示唆するものは、その子の今を炙り出す。
 「課題をやらない」というのは、ただ怠けるからという場合もありますが、習い事、稽古事、スポーツなどに時間を割いて、勉強時間を削っている人たちです。この人たちは、それでも合格すると信じている。その見込みの悪さは、いずれ我が首を締めることになる。家庭学習が絶対的に不足した人たちで、大量のレジュメの積み残しをして本番を迎える人たちです。
 「算数ができない」、これは適性検査を受ける適性がない、と言っても過言ではない。「算数ができない」子には、そもそも受検は無理です。特に、 昨今の私立難関受験生の都立中受検への参入の増加は、能天気な、いや牧歌的な、公立一本の受検生では、とても勝ち目はないと思います。公立中高一貫校のための大手塾では、私立中受験の大手進学塾に通う子たちには、勝ち目はないと思います。
 公立中高一貫校受検の現状は、制度スタートから10年を経過して、実質的に、私立難関校受験生のための有力な併願先として、本来の公立一本の受検の子たちをもともと行くべきはずであった公立中学へ追いやることになっている。事実上の排除装置として機能している。
 さて、こうした現状を踏まえて、都立中高一貫校に勝つには、どうすればいいのか、これが本日のテーマであった。
 その答えはこれまで述べてきたことから自ずと出ている。
 先述した、不安三要素が答えのヒントになる。
 その中て、「算数ができる」子が、合格の可能性が高いことは、重要である。問題は、「算数ができる」のに落ちる子である。これは、「課題をやらない」、つまり家庭学習時間が、少ない、ということが一つある。複雑なのは、知能が高いのに、算数に時間がかかる子もいるとである。つまり「遅い」のである。こういう子は高校入試では成功する見込みがある。あるいは、別の問題をかかえた子もいた。知能が高いのに、なぜか内申が、「できない」子の内申なのである。平均的な女子が、もっているとされる共感性が欠落しているという男子は多い。都立中では、小5〜小6の内申も200点満点に換算されるのが普通である。
内申点の評価
よくできる、できる、もう少しの3段階
小石川  ※25-20-5
両国  4科※55-35-4 実技※45-25-4
白鷗 ※20-10-5
富士 ※25-15-5
桜修館 ※25-17-9
南多摩 ※20-10-4
三鷹 ※40-20-5
大泉 ※25-20-5
立川国際 ※20-10-5
九段  40-20-1 ※内申で差が開く
 評 「できる」で差が出る。「もう少し」は致命的となる。
 
都立中高一貫校の合格判定基準(平成29年)
内申点の総合点に占める割合
白鷗 300/1000 ※内申重視
両国 200/1000
富士 200/1000
大泉 200/1000
武蔵 400/1600
小石川 200/800 ※内申の比率が高い。
桜修館 300/1000 ※内申重視
南多摩 200/1000
立川国際 200/1000
三鷹 200/1000
九段 200/1000 ※唯一の区立
※入試の資料では内申書のことは報告書という記述になっています。

「遅い」子は、落ちる、「速い」子は受かるの法則
 これは正解率は高いことが前提である。ただ、「遅い」子は、比較的正解率も悪い傾向はある。できないから遅いという至極もっともなことである。理想は、速くて正解率の高い子である。
 答えに、理由ないし根拠がないことはあり得ない。速くても根拠がなければでたらめな答案とみなすほかない。
 
 最後に、「課題をやらない」子
 これは受からない。直前にいくら頑張っても受からない。これは竹の会の事実です。
 なぜ、課題をやらないと受からないのか。
  課題をやらない理由は何か、と考えてみてください。
 怠けてやらない?  論外です。勉強しなくて受かるわけがない。
 何かで忙しい? これは多い。中学だと部活ですね。部活を口実に勉強をやらない。これで受かれば世話はない。
 小学だと、習い事、稽古事、スポーツですね。ピアノ、バレー、舞踊、太鼓、バトン、ダンス、バレー、バスケット、サッカー、野球、珠算、といろいろありました。発表会とか、大会とか、まつわる行事も多いですね。これが最後と入れ込む。こういう子たちの課題の積み残しは半端ないですね。家庭での学習時間だってほとんど取れてないのでは。小6の夏休みまでやる子もいる。中には12月までやった猛者もいました。
 驚きは、こういう人たちは、落ちたとき、随分と悲しむ、泣く、嘆くのですね。私にさっぱりわかりません。
 「課題をやらない」人というのは、家庭学習時間の少ない人であり、大量のレジュメの積み残しをする人たちのことである。

 ⚫️本番まで10か月、勉強できるのは9か月
 積み残しをするな! 課題は超速で出し切れ!平日は5時間、休日は最低7時間。夏休みも一日最低7時間。過去、竹の会の小6が、1日にした勉強時間の最高は、17時間という記録がある。平成22年に桜修館に合格した杉山太一君(京大法進学)の残した記録である。この記録が本物と思われるのは、金曜日に渡した過去問のコピー100ページほどを月曜日に提出したことからわかる。丁寧な字で、原稿用紙にきちんと書かれた字は、書道七段の名に恥じない美しさで、正解率の高さにも驚かされる。
 受かる子というのは、実行力に秀で、勉強量において群を抜く。知能の高い子一般に見られる尊大さはかけらもなく、その謙虚さには頭が下がる思いである。受かる子には、傲慢さはない。常に師の影を踏まぬ、尊敬の念に溢れる。
 とにかく先へ進めろ!  習い事などに時間を割く余裕などない。君たちは、掲示板の非情を知らないから、何かと楽観する。春は実家帰省、連休に家族と旅行、お盆ぐらいはとまた実家帰省、お正月ぐらいはと息抜きをする、そういう時間を合わせてどのくらいになるのか、すべてこれからの10か月から削られていく。いったい君たちは実質どれだけ勉強したのか。大量の積み残しだけが、試験本番が終わったとき、残されたままである。それでもわたしの言っていることは、非常識なのか?
 君たちの中には、これから、様々な試験に挑戦していく人もいるだろう。都立中受検など序の口だ。それは高校受験かもしれない。大学受験は確実に目の前にやってくる。国立難関大、慶應、早稲田に合格する勉強というものがどういうものかわかる時が来る。いや甘い認識の家庭では永遠にわからないであろう。楽な人生ばかりを選んでいれば、そういう世界とは無縁でつまり社会の底辺を歩んでいるかもしれない。大学入試でも終わらない。難関国家試験に受かるには想像を絶する勉強をしなければならない。

 中国には、隋〜清朝の頃「科挙」という官吏になるための国家試験があった。科挙とは、隋から清の時代(598年~1905年)まで、約1300年間にわたって行われた官僚登用試験である。建前上、受験資格に制限のない科挙ではあったが、科挙に合格するためには幼い頃より労働に従事せず学問に専念できる環境や、膨大な書物の購入費や教師への月謝などの費用が必要で、実際に受験できる者は大半が官僚の子息または富裕階級に限られていた(引用)。
 わたしは、あなたたちに、世俗という楽を選択する凡人の人生を送って欲しくはない。少なくとも竹の会で勉強する道を進もうとするならば、科挙の精神を少なくとも理念として、実践の道、実行する人生を進んでほしい。世の中の、多くの人間が、実行イコール人生を貫く意志を貫けずに、背を向けて、凡人になる。こういう人たちには、実行してきた経験、事実がないから、大人になっても事実と乖離した、空論ばかりで、たいていは誰かの言ったことを真似ているだけということになる。こういう人はあたかも自分の見識かのようにひけらかす。似非見識家に堕する。なぜか自己評価は高く、自分以外の人間はみな自分より劣ると信じて疑わない自尊のお化けとなる。
 楽な選択をするな、楽な道を選ぶな、悩む前にまず実行する人生を実践せよ!

 

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