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都立中高一貫校/都立高校トップ校 受験専門 渋谷で創立30年

青天の霹靂

2021.01.18

 

青天の霹靂
 これまでの尺度では測れない子たちがいた。これまでに経験がない。
 このところ、そういう子たちにやたら遭遇する。
 青天の霹靂。私には合格発表の日に突然の合格の報というかたちでもたらされてきた事実についての言葉だった。
毎年、指導を終わり受験生を送り出した後、わたしは何もかも忘れて日常に没頭していた。そんな時突然に電話が鳴り響く。「先生、合格しました!」 その時、初めて我に帰る。それまで子どもたちが受験していること、そして今日が発表の日だということもすっかり私の中から消えていた。竹の会を始めたばかりの頃は生徒が受験番号を秘密にしていたし、私もそんなもんだと別に違和感を持つこともなかった。だから指導を、終わればもうすっかり忘れた。
 だから合格はいつも青天の霹靂であった。
 竹の会のこの風習は、いつ頃まで続いたのか、あまり記憶がない。
 平成19年の九段の合格東大附属の合格は、青天の霹靂であった。平成20年の都立西豊島岡女子桐蔭理数立教などの合格も青天の霹靂、同年の桜修館も青天の霹靂。
 22年私は初めて桜修館の掲示板両国の掲示板に立ったから、この時は、予め受検番号を知っていたのだと思う。22年の桜修館は杉山太一君が合格した年であり、よく覚えている。翌23年の小石川は、ネットで番号を確認したことを記憶している。同年の桜修館はネットがなかなか繋がらず結局掲示板で合格を確かめたから、もうこの年には、受検番号を届けさせて、私が直接合否を確認するようになっていたのだと思う。
 23年小石川の掲示板はよく覚えている。
 あのときは、桜修館はスタッフに見に行ってもらった。
 こう振り返ってみると、どうも22年の受検から、受検番号、受験番号の届出をお願いしているようである。自分で見に行くようになってもはや青天の霹靂はなくなった。
 自分で見にいくようになって変わったこと
 「ない」、受検番号が「ない」という現実を体験したこと
 子どもたちに、そして親に、勉強を軸とした生活を求めたこと、それでなければ不合格を覚悟して然るべきということを暗に示したことは、習い事、稽古事、スポーツなどを続けるなら合格など期待しないほうがいいということを示しただけである。法事、実家帰省で一週間、中には十日という人もいたが、こういう人が掲示板に自分の番号が「ない」と嘆くことはない。
 普段から勉強をセーブして来た人が、掲示板に番号がないと落胆するのはおかしい。
 わたしの決意は掲示板に番号が「ない」という冷然とした現実に端を発する。こんな虚しいことがあろうか。悲しいを通り越して虚しい。「ない」という現実が私を奈落の底に落とした。
 受検を知らない親子は、あくまで楽天的である。
 勉強を先送りする子、勉強ばかりしてもしかたないと理解を示す親、習い事だけはという親子、サッカー、野球が前提の親子、旅行・会食で塾をスルーする親子、わたしの心はいつも掲示板の前にあった。わたしはいつも掲示板の前に立っていた。
 受検番号を知ったときから、もはや青天の霹靂はなくなり、ただ自分が掲示板に宣告を受けるしかないこととなった。だからわたしはいつも真剣だった。掲示板を見に行く時は、心臓が早鐘を打つ。この時、心を鎮めるのは、過ぎし日の模試の成績のよかったこと、レジュメで合格ハンコをよく取ったこと、特に、私がこれはと思ったレジュメを解いたこと、とにかく真摯に勉強に取り組んでいたことなどである。そういうことを僅か数秒のうちに一瞬に想い起こす。そしてわたしは「いや、きっとある」と思い直す。この時、私の確信を打ち消すのは、「課題をほとんど出さなかったな」、「レジュメで合格があまり取れなかったな」「こっそり習い事を続けていたんだな」「何かと言い訳して力をセーブする子であった」「模試で結果を出せなかった」などなど、わたしの封じ込めていた不安が一気に噴出する。掲示板の前に立つ、息苦しさはいつも変わらない。心臓はドクンドクンと早鐘を打つように速くなる。掲示板の前に立つとき、喉はカラカラで、全集中で「探す」、息詰まる一瞬。
 「ない」、わたしの中に無力感と虚脱感が一気に押し寄せる。虚しい、時間が止まる瞬間。
 「あった」、「よし」。この一瞬、わたしは全身に血液が満ち溢れる。わたしは余韻に暫し浸る。
 だから、わたしはいつも厳しいことを言う。子どもたちに「おしゃべりをするな!」「ふざけるな!」「騒ぐな!」と言うのは、君たちがいずれ掲示板の冷酷を知る時が来る。まだ君たちはそのことを知らない。君たちは近い将来過酷な現実を知る時が来る。掲示板の冷酷をいくら説いても子どもたちがわかってくれることはない。人はその時になってみなければ「わからない」のだ。課題をまじめにやる、レジュメに真剣に取り組む、静かに集中する、寡黙を貫く、すべては掲示板の冷酷を回避するためであった。

 レジュメ指導の始まった24年、それは竹の会が元代々木教室から渋谷教室に移転した年でした。この年に、わたしは小学生に本格的にレジュメ指導を始めた。
 24年、受検生5人。レジュメは、「竹の会入会テスト」シリーズ、9月からは、「算数をクリアーにする」と「合格答案への道」であった。毎回の指導の前日までに3通前後を作って、指導にあたった。
 この時の受検生3人が、桜修館、小石川、白鷗合格した。
 わたしは、子どもたちの受検番号を暗記してスラスラ言えるようにする。それはわたしの祈りであり、私は子どもたちの番号を竹の会の神様にお願いする。
 私がいつも言うこと、訴えることが、本番になるまでわからないのは、君たちが普通の人間なんだろうということであろうとは思う。凡人は将来を予測して行動できないからだ。だからこそ私があなたたちに必死に教えているのです。私は掲示板の現実をあなたたちに教えいるだけです。わたしのこういう姿勢を批判する人がいるのは承知しております。しかし、そういう人たちが「(掲示板に)ない」というときの悲しみを知らない。子どもの思いを考えると胸が張り裂けそうでした。発表の後、夜塾が終わりトボトボと家路を辿りながら私はよく涙を流しました。だれもいない暗い夜道が涙を隠してくれました。落ちた子たちのことを考えていると涙が出てきて止まらないのです。ほんとうにいい子たちでした。気立てが優しく思いやりのある子たちでした。だから私は鬼になったのです。わたしをあるべき論から批判する人たちは、現実を知らない、知ろうとも思わない。長い間の子どもたちとのやりとり、喜怒哀楽の日々を知らない。ただ抽象的に都合のいいことを言っているだけの人たちにわたしは何も思わない。時に子どもたちを叱りつけるのは、現実の厳しさ、冷酷さを悟らない、凡人の子どもたちへの私の心の叫びです。それは、掲示板の声が聞こえるからです。
 人間は弱い存在です。最後は神様にお祈りするしかない、弱い存在です。天の怒りには私たちはひとたまりもない。いつの頃からか竹の会には竹の会の神様がいた。最後は子どもたち素直に皆んなお祈りしていた。いつしか合格した子のお母さまたちがお礼参りにやってきて竹の会の神様に手を合わせるようになりました。

 今の思いは、素直になって、落ち着いて問題を丁寧に読み、一拍置いて、考えて、問いに丁寧に答えてきてほしい、ということだけです。

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