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都立中高一貫校受検/都立高校上位校 受験専門 渋谷で創立30年

2月3日という日をめざしてきた

2019.01.02

 晴れ渡ったお正月というのは、ひさしぶりのような気がします。思い返せば、悲しい心のときほどこのような素晴らしい青空が訪れてきたような気がします。初めての大学受験は、京都大学法学部でした。あの日の京都は雪が降り積もり、京大のある百万遍まで路面電車で行ったことを覚えております。赤いレンガ造りの建物がわたしには威圧的で大きな壁した。数学が分からず、わたしは打ちのめされたのでした。あの日からわたしは自分の学力のなさを悟り、すべてを独学で勉強し直すことにしたのです。わたしにとって数学は、国立大学、いや旧帝大を突破するために絶対に「得意」にしなければならない科目でした。当時の国立大学は、受験の機会が二度ありました。Ⅰ期校とⅡ期校に分けられて、Ⅱ期校はⅠ期校で落ちた受験生の救いの神的位置にありました。わたしのめざした旧帝大は、旧帝国大学のことです。東京大学、京都大学、東北大学、九州大学、大阪大学、名古屋大学、北海道大学のことです。Ⅰ期校には、ほかに神戸大学、一橋大学、東京工業大学などの難関大学がありました。九州大学は初め京都大学の分校として設けられましたが、独立し、西日本に君臨する唯一のエリート校でした。わたしがなぜ京都大学に憧れたかと言えば、単純に、中学の修学旅行で訪れた京都に魅せられたからです。わたしの地元、大分では、なんといっても九州大学が有名でした。九州大に行くということは当時では考えられないほど難しいこととされていました。結局、わたしは九州大法学部法律学科に行くこととなりましたが、ここに辿り着くまでなんとも時間がかかってしまいました。わたしが好きなのは受験の日の朝の、零度の気温が包む、緊張感でした。肌に刺す、冷たい空気がわたしには、わたしのような不遇な人間にはちょうどよかったのです。

 Ⅰ期校の受験は、当時は、3月3日、4日、5日の3日間で行われました。科目は、国語(現代文、古文、漢文、文学史)、数学(Ⅰ、ⅡB)、英語、社会選択(日本史、世界史)、理科選択(生物)でした。九州大学を受験するために理想の内申は、マルA,A,B,C,D,Eのうち、「マルA」でした。わたしの内申はDでしたから、かなり高得点をとらなければ合格できないことはわかっておりました。わたしはいつも自らつくり出したハンディーに泣いてきました。それを不遇というのは、身勝手なことはわかっていました。合格発表は例年3月15日頃だったと記憶しております。西日本唯一のエリート校九州大学の合格発表は、予備校提供で、西日本一円にテレビで中継されました。画面に受験番号が映し出されるのです。

 わたしは合格してから母校の県立鶴高の先生に報告に行きました。そうしたらわたしのことが地元の新聞に出ていた、卒業生のだれなんだろう、と職員室でずっと話題になっていた、ということを知らされました。

 わたしにとって受験とは、独学で自らが克服した、わたしの、わたしの戦いでした。

 いつも科目の粋は、シンプルでした。京大に落ちた時、わたしは数学を克服するために、旺文社の数学解法事典を読むことにしたのです。しかし、これは労多くして功少なしでした。あたりまえですね。それから街の本屋で見つけた「数学技法」とかいう参考書、これがとにかくわたしに合っていたのか、わかる、腑に落ちる、それで数学がわかったように思います。それから最後は、Z会の通販で手に入れた「数ⅠⅡB問題集」でした。これを十数回繰り返しやりました。微分積分、三角関数、数列、楕円、高次関数、順列組み合わせを「腑に落ちる」まで、何度も読み返しました。旧帝大の英語は、8割が長文和訳で、残りの2割が英訳です。つまり、英文解釈の方法がわかればあとは単語数勝負です。前者のためにわたしは「原仙作の英文標準問題精講」を二十数回読み込みました。後者のために、赤尾の豆単を完全暗記しました。約一万語覚えました。それだけです。国語の勉強は一切やっておりません。日本史と世界史は山川の用語集をこれも丸暗記しただけです。生物はほとんどやっておりません。一度だけ受けた模試では番外(合格不可能)の成績でした。だれが見ても合格するはずのない受験でした。マルAの受験生のなかに、ただひとりDのわたしが戦いを挑んだのです。わたしの受験魂はこのわたしの苦しかった受験時代に培われたものです。わたしは、受検する子どもたちに、いつもわたしのあの苦しかった、四面楚歌の中での戦いを写し合わせるのです。心を強く持て、どんなに不利な状況、環境にも、負けるな、わたしはいつも心から子どもたちにわたしの思いを伝えてきたと思います。わたしの指導、ことばには、わたしの受験時代の悲痛な思いが込められております。わたしが失望するのは、わたしの思いが通じなかった親、子にです。受検がわかってない、といつもひとり憤ってきました。いや最後は悲しい気持ちになって終わりでしたね。なぜ自ら自分の受検にハンディーをつけていくのか、それが後々自分を苦しめることになる、それがわたしでしたから、わたしは、そういう親や子を見ていると悔しくてしかたなかったのだと思います。まるで自分のことのように憤っていたのですね。

 本番までもう1か月ほどですね。これからやること、やれることはもうほとんどない、あたりまえです。年が明けたら、もうジタバタしないで心安らかに過ごすことです。大切なのは緊張した精神を本番まで維持することです。決して意味もなくはしゃがないでください。不安だからといって、友だちとベラベラ喋らないでください。テレビなどもってのほかです。緊張の糸を自ら切ってどうするのです。小6のみなさん、受検まであと少し、竹の会ももうすぐ終わりですね。いままでほんとうにありがとうございました。わたしはあなたたちに悲しみなど与えてはならない、今はそういう思いだけで目が覚めるとあなたちの顔をひとりひとり思い浮かべて、心をひきしめております。

 

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