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都立中高一貫校受検/都立高校上位校 受験専門 渋谷で創立30年

9日(木)B→8日(水)に変更/竹の会緊急のお知らせ

2018.08.07

 ◎早稲田進学会模試受検のお願い

 次の指定模試について、

 〇小石川志望者 8月25日ないし26日実施の「小石川合格模試」を受検してください。

 〇小石川志望者、桜修館志望者、九段志望者は、9月22日ないし23日実施の「そっくり模試(小石川・武蔵・大泉)」を受検してください。

 注意 「そっくり模試」の、白鷗・富士対策は、練習にはならないと思います。「できる」人間が集うところで、自分の力を試さなくては、意味がありません。同じ 「そっくり模試」でも、白鷗・富士対策は、受検者が極端に少なく、都下の優秀な実力者たちと競い、その中で上位をとる、という模試本来の利用価値がなくては意味がないからです。

 〇富士志望者のみ、9月23日の 「そっくり模試」の、白鷗・富士対策を受けることを可とします。

 模試については、九段、富士志望者も、11月までは、早稲田模試を受けたほうがいいと思います。大原の模試は12月からでいい。11月に大原と早稲田を受けるという選択はありです。

🔴模試の結果が、あなたたちの実力の赤裸々な真実を映し出していることだけは、知っておいたほうがいい

 早稲田進学会の模試で、100点未満というのは、限りなく、合格からは、遠い、と思います。本年富士合格者は、100点未満ということが複数回ありましたが、最後は、100点をはるかに越えています。100点未満しかとれないというのは、これまでの、あなたたちの勉強量が絶対的に足りないか、能力が及ばないか、のどちらかです。 実際、模試で点が、取れていない子というのは、課題を規則正しく出してこなかったとか、指示されたレジュメを放置していたとか、レジュメをやるのが塾に来た時だけとか、レジュメの進捗が甚だよろしくなかったとか、そんなこんなで、わたしの想定する通りに進められていない、という子たちであったということなのだろうと思います。 わたしの思い描くように進められていない子たちが、習い事、稽古事、その他で、忙しいため、そのような仕儀にいたったというのであれば、それは自ら意図した結果であり、それぞれの家庭の見識であり、わたしなどの容喙するところではありません。わたしは、勿論落胆はしますが、それは模試の結果というよりも、わたしの思うような、勉強をしてくれていない、ということでありますから、落胆するのはそこです。もし、レジュメで合格ハンコを取っているとしても、模試の結果が、悪いなら、わたしは、あなたたちが、ほんとうに自分で解いていないのだ、という判断をする、しかないのです。あなたたちがどんなに自分で解いたと主張しても、わたしの過去の経験が、自分で解いたのではない、と判断することを余儀なくさせる。

 合格はんこをとる子は100点未満というような点は絶対にとりません。ただし、合格はんこをとるというのは、教室で1問解いて、わたしの審査を受ける、という解き方をしている場合を前提しております。レジュメの出し方が、教室で、一枚やっては判断を仰ぐというものではなくて、家庭でやってきてまとめて出すというかたち、これで合格ハンコなら、わたしは信じない、 信じることはできません。算数のレジュメ集の2回目の解き直しを例にすれば、よく家でやってきたといって提出する子がいますが、そのときほとんどできているというのは、実はおかしいのです。2回目の解き直しも1回目にやって答えを見ることなくやることが大切で、そのためには、もう一度教室で1問ずつやっては審査を受けるようにするしかないのです。そもそも家庭で一気にやってきました、というのは信用していません。

 受験、受検の世界では、「はずだ」という根拠は、必ず裏切られる、というのが、わたしの経験で得た信念です。この子が家庭で時間をかけて考えて解いてきたはずだという仮定を根拠にすることはできない。かつて、そういう子たちがいた。そして、間違いなく、落ちた。わたしが問い糺すと、「親にヒントをもらうだけで、自分で解いた」という、親も似たようなことを言っていた。 竹の会のレジュメが、思考訓練であるということを忘れて、レジュメの答えを出すこと、そして先へ進めること、を目的と勘違いした親子であった。 模試で名前をのせる子は、明らかな違う。まず家庭の勉強に対する重きの置き方が、違います。習い事、稽古事、スポーツ、家庭の事情などを勉強と同等以上に置く家庭の子は、無理です。 何を置いても、勉強を常に最優先する子、家庭が、模試で、結果を出している。 結果が出せない子は、勉強が、あまりにも遅れているか、遅れているのを承知で、家庭の事情を優先するからです。自らの芽を摘むことをあえてやっているようにしか、わたしには見えない。

 

🔴わたしの真の敵は、子ども、生徒の心の中にある

 端的に言えば、子どもは、嘘をつく。 子どもは、自分の小世界を守るために、嘘をつく。その小世界は、矛盾に満ちた世界、自分しか見ていない世界、嘘で取り繕うしかない世界です。この世界を作りあげたのは、ほかでもない親の期待、祖父、祖母の優しさ、「〜ちゃんは、頭がいいのね」という何気ない言葉、学校の先生の「いい子」という評価、親戚の「すごいわね」という、心にもない賞賛などです。 子どもたちの自尊心が、くすぐられながら、子どもたちは、自分の思い描く虚像を作り上げていくのです。周りの目を意識し、周りの期待に合わせるように自己を制御していくのです。周りの「できる」という目、それを意識することが、子どもの、ある種の人格を形成していく。 子に、虚像を虚像のままに終わらせないだけの、能力が、備わっていれば、虚像は、やがて実像になるけれど、虚像が虚像のままに終わることも多い、と思います。親は、このような子の異変に気づいて、慌てるけれど、子にそもそもの能力がなかったと認めることはほとんどない。やりかたが、悪かったのだと考えようとするのが親です。 子どもには、期待に沿えないことが、負の働きをする。心が囚われる、つまり呪われる。 親の期待、周囲の期待、そういう期待に応えようと子どもは、行動するものである。しかし、子どもには、持って生まれた能力というものがある。だから期待に応えられないことの方が多い。期待が子どもを壊す。周囲の失望は、本人には、絶望に近い。 期待とは、子どもに夢を与える、やる気を出させるというプラスの感情であるはずが、子どもには酷な、鋭利な刃にもなりうる。

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