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「やめろ」という声は意識の声なのか、無意識の声なのか

2016.01.03

 おはようございます。いよいよ1月3日です。本日は冬期指導第6回目、冬期後半の初日になります。相変わらず気候温和ですが、朝夕は5℃、6℃まで下がっています。去年の2月には、0℃、1℃というのを記憶していますから、これから寒くなるのは確実です。インフルエンザの流行は1月からだという新聞の記事を読みました。竹の会ではまだインフルエンザの子は出ていません。これからは子どもたちに何が起こるか予断を許しません。緊張した日が続きます。本日は、1名の欠席の届け出が出ておりますが、ほかに2名が欠席すると聞いております。

 後半の戦略は、作文に力を入れたい、と決めております。本日から、後半は1日に2回(各45分)の作文を課す予定です。前半分の添削をして、答案がひどいのにショックを受けました。問題を雑に読んでいること、したがって、問いに答えるという意識の欠如が甚だしく欠けていること、さらには、本文の読み取りがほとんどできていないこと、などを感じております。そもそもの読解力の欠如というものは今更どうにもなることではありませんが、この問題は小学生全般に言えることなのではないか、と認識しております。読解のいい子は確かにいる。そういう子から抜けていく、それはしかたないことです。平成25年に合格した女子二人のほぼ完璧と言える読解力は伝説に残ります。17年桜修館合格の女子の読解力もすごかったですね。今年は正直それほどの読解力というものを見たことがありません。そのために類い稀なる努力をしてきたか、ですが、それもないように思います。

 表題は、さまざまな場面で起きうる、脳の中の二つの声です。よく善悪のかたちで語られてきた、それです。ただし、現実には、多くは、2つに絞られたうちの1つに決めなければならない究極の場面で、1つに決めるともくもくと起きてくる「もう一つ」の声のことです。2つまでは絞れるが、必ず候補が2つ残る、という場面は、特に、選択肢を1つに絞る場面で遭遇します。ただし、受験国語の場面では、実は、決定の根拠が、本文の中にあるのです。ですから、これで主観的判断をしてしまうのは、受験技術の未熟です。理科なら正確な科学的知識、社会なら明確な背景知識、英語なら正確な読解、とそれぞれに決定根拠があり、ということは、受験勉強もそういうところに力をいれるべきことになる、というだけのことです。

 司法試験、公認会計士試験など難関国家試験では択一式試験がまず課されますから、2つまでにしぼって、残った2つが悩ましいほどに甲乙つけ難いという状況は不断にあるわけです。この決めてというのが、知識の超「明確性」に究極的に帰着されるであろうことは知る人ぞ知るです。そもそも受験勉強というのは、「曖昧」な知識を「不明確」な知識をなくしていく作業にほかならないということです。

 それでも迷う。それは性格的なものかもしれない。科学書によると、意識というのはかなりまちがったものの見方をする、というのです。錯視というのが、ありますが、五感を通して意識が認識する世界というのは、かなり虚構に満ちている。そういう虚構の世界で起きる2つの声というのは、意識からわき起こったものか、無意識からの忠告か、ということです。というのは、無意識というのは、意識の影響なく、五感の感じたことをそのまま感じとるのだそうです。ですから、もし無意識からの忠告であれば、これはかなり信頼できるわけです。ところが、わたしたちが、なにかを決めたときに起きる、それに反対する声は、多分に意識的である、とおもうのです。なぜなら、その声は感情に大きく支配されているからです。感情というのは、意識の世界でしか起きえない現象だと思うからです。反対する声が、不安という感情論の可能性は否定できないでしょう。見たまま、感じたままの意見ではない、そう思うのです。

 いやいや待てよ、わたしたちは、感情を根拠に右か左か迷っているにすぎないのではないか。

 心を冷静にして、呼吸を平静に保ち、酸素を思い切り脳に送り込んで、わたしたちは、無意識の見たまま、感じたままを感じとるように全精神を無意識に集中しなければならない。

 なにしろ本当の答えは無意識だけが知っているのだから。

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