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中学受験 高校受験 受験相談 渋谷で創立30年

あきらめずにいつまでも叶うはずもない夢を胸に秘めてきた

2017.11.18

 「東京の渋谷に、渋谷駅からすぐそこのところに、とてもいい塾があるらしいよ」、わたしの長い間の夢でした、23区の人たちに竹の会という塾を知ってもらえることが。23区の人たちに竹の会が噂になる、どんなにうれしいことか、23区の人たちに憧れられる、そんな塾をいつも夢見てきました。わたしはいつも胸にその思いを秘めてきました。わたしのそんな思いを育んできた元代々木教室の時代、わたしは思いを胸に秘めて、夢中でやってきました。昭和60年10月から始まった竹の会。たった3人の代々木中の女子たちがきてくれた、あの日々。夢中で授業した若き日々。熱中先生だったのかな。深夜まで授業したらみんな寝てた、徹夜で参考書を読み次の日の授業に備えたこともよくありました。子どもたちの成績に一喜一憂した日々。合格を喜び、落ちた子のことを思い胸を痛めた日々。わたしはずっと思ってきた。もうとっくにあきらめていた。渋谷駅の近くになんか、塾が開けるわけがない。渋谷駅の周辺に林立する大手塾、いつもうつむいて歩いた。わたしはわたしの能力を地元のできない子たち相手に腐らせてしまうのか、そんな思いがいつもわたしを苦しめた。わたしなら日比谷だって、西だって、合格させられるのに、どうしてだれもわかってくれないのか、いつも苦しんだ。早稲田だって慶應だってわたしならできる、いつもそう思ってきた。しかし、わたしのもとに逸材がきてくれることなどない。親たちは当然のように大手に引き寄せられる。わたしはもうあきらめかけていた。だって誰もわたしを知らない。わたしが「こんなにもすごいんですよ」と思ってきたところで、誰もわたしを相手にはしないでしょう。わたしはずっとそういう思いを抱いてきました。わたしなら慶應大だって合格させられるのに。しかし、わたしのことをだれも知らない。チラシに書いてみたけれど、とても胡散臭く思われたことでしょう。自分で「すごい塾、すごい人」なんて書くなんて、バカだと思ったことでしょう。でもわたしには23区の人にわたしのことを、竹の会のことを知ってもらう方法が何もなかったのです。ですから本当のことを、心の思いを正直に書いてきただけなんです。どうしてわたしを信用してくれないのか、わたしはずっと思ってきました。いったん竹の会にきた人たちも竹の会のやりかたに不審を抱き大手に行った人たちもいました。どうしても信用してくれない人というのがいるのですね。根底のところで信じていないのです。わたしならできるのに、どうしてわたしのことを信用してくれないのか、ずっと思ってきました。「竹の会は知っていたけど、大手に行った」という言葉はよく聞きました。よくあることで慣れましたけど、でもその度に心を痛め、本音のところでは、悲しみました。母にも話したことがなかった、わたしの夢、きっと人に話したら笑われると思っていたのですね。それほど実現性のない夢のような話しでした。わたしの夢、いつか渋谷駅の近くに塾を構えて、23区から子どもたちを集めるんだ、正直、母さんにはいつもお願いしていました。だって母さんには、どうしようもない難局に直面したときいつも「母さん、助けてください」と祈ってきましたから。そうしたら母さんはいつも助けてくれました。23区の人たちが竹の会を信頼してくださる日が必ず来る、そう信じていました。2011年原発事故の年、あの年はほんとうに参りました。もう塾を止める潮時かと観念しました。竹の会ができて27年目の試練でした。2011年4月のことでした、今の場所に建物の基礎ができきつつあるのを知ったのは。たまたまでした。ほんとうに偶然でした。あれから1年、わたしたち家族は渋谷教室開設に向けて落胆を重ねながら1%の実現性に向けて奔走したのでした。母が生きていたらどんなに喜んだことでしょうか。ようやくの思いで2012年5月6日渋谷教室の初めての指導が開始したのです。それからも知名度がないために人が集まらずまたまたあきらめかけました。それでもきてくれた2人とか、3人を大切に育てていきました。その子たちが受かっていく、それでいいんだと思うことにしました。竹の会から巣立っていった子たちはみんな竹の会にとても感謝してくれました。お父さんやお母さんからは身に余る感謝のお言葉いただきました。それでいいんだ、一人でも二人でも竹の会のことを知っていただけた人がいれば、それでいいんだ。母さんがわたしにそう言っているように思えました。

 阿部先生へ

 2年間、ご指導ありがとうございました。先生と、竹の会の神さまのおかげで合格することができました。本当にありがとうございました。先生が毎回出すレジュメ、課題に全力で取り組むことが合格への道だと思いとにかくがんばりました。私は先生が出すレジュメを毎日楽しみにしていました。考えることが好きなので、どんなに難しくても、なかなか丸がもらえなくても、常に自分で答を出すようにしていました。開成や麻布の問題を解くようになった前、例えば割合や計算の練習のときも、自分で考えてきちんと理解したかったので、夜遅くなっても泣きながら(分からないというくやし泣きだったと思います)考えこんでいました。大手の塾だったら知識を教えこまれるだけだと思うので、こんな経験はなかったと思います。自分で考えるということを大切にしてくださった竹の会だからこそのことだと考えています。「合格」という結果だけでなく、大きな思考力を養ってくださったことにも心より感謝いたします。また、わたしは冬期講習のときから毎回おさい銭箱に五円玉を入れていました。本番は竹の会のTシャツを着て、先生からいただいたお守りをポケットの中に入れていきました。少し体がだるかったけれど、「合格する人は体調なんか関係ない。それに自分には竹の会の神さまがついているから大丈夫」と自分に言いきかせ、気合いと根性で乗り切りました。発表の日はなかなか自分の番号が見つからずかなり焦りました。しかし、お母さんが先に見つけてくれて「○○○○○」があったときは本当にうれしかったです。番号を見つけた時は「受かってる」とつい大声を出してしまいました。その後、嬉し涙があふれてきました。わたしは竹の会生として2年間過ごせたことをとても誇りに思っています。竹の会で身につけた大きな力をこれからも思う存分発揮していきます。本当にありがとうございます。いつまでもお元気で。

 

 阿部先生

 慎んで申し上げます。風に舞う花びらが目に眩しいようです。阿部先生におかれましては、ますますのご清祥のこととお慶び申し上げます。

 この度は親子共々大変お世話になりまして、誠に有り難うございました。

 阿部先生の幅広いご指導のお陰で息子も人として大きく成長させていただくことができました。

 息子にとって阿部先生は単に塾の先生としてだけではなく人としての考え方、在り方など人生のお手本となる大きな存在であったように思います。

 この親離れ、子離れしようとする時期に阿部先生との出会いは私たち親子にとってかけがえのない大切で貴重な時間でした。竹の会で先生のご指導を受けたい気持ちは今でもこれからも変わらないと思います。阿部先生のご指導がなければここまで成長することができなかつたように思います。心より感謝申し上げます。

 

 わたしの大切な子どもや親御さんから手紙をときおり読みます。竹の会は小さな塾だけど、本当に偶然に出会った、少ない人たちでしたけど、みんな竹の会との出会いをこんなに喜んでくださる、それでいいじゃないか、そう思っています。

 竹の会がいつの日にか23区のみなさんに知ってもらえる日がくればこんなにうれしいことはないけれど、もうそろそろわたしの仕事も終わりに近い、近頃はよくそう思います。それでもわたしの夢は持ち続けていたい、母さんに今なら話せるような気がします。

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