画像
中学受験 高校受験 受験相談 渋谷で創立30年

なぜ竹の会の子たちは普通に都立戸山に受かるのか

2016.04.09

 おはようございます。今日は午前中は雑用に追われました。桜の季節も一瞬で雨と春の嵐でたちまち花は散り、葉桜に変じつつあります。これから最もいい季節、そう、それも5月の連休までのことでしょうが、心地よい春の風が肌をすり抜けるような感覚、そういう季節を迎えます。連休を過ぎるともう初夏の装い、どうかすると汗の滲む日も多くなる、だから4月のこの時期は、かけがえのない一瞬の時期なのです。

 すぐに梅雨がきて、からっ梅雨かどうかなど話題にしながら、やがてくる炎天の夏のことを思います。ついこの前に受験が終わったばかりなのに、もう次に向かって進み出しています。

 4月は入学式が終わり、期待に胸膨らませて、未来のことに思いを馳せる、そういう月です。

 さて、ところで、竹の会のここ3年の高校入試の結果というのを見てみますと、26年都立駒場高校合格、27年都立戸山高校合格、28年都立戸山高校合格、都立文京高校合格、となります。26年は1人いた受験生が1人受かった、27年も1人いた受験生が1人受かった、そして28年は、2人いた受験生が2人受かった、ただそれだけのことです。合格者に共通しているのは、いずれも小学生の時から、竹の会にいたということです。そして、都立文京の合格者だけ、小6の9月から、残りはみな小4ないし小5からいたというちがいがあります。つまり、小学時代に長くいた子ほどいいところに受かっているというふうに一応は見えます。

 確かに、文京合格者は、小学の時代に思考力を鍛えるという期間がほとんどなかった。他の3人は、もともとの才能あったけれど、とにかく1年ないし2年以上、思考力を鍛えてきた、それは言えると思います。

 さて、竹の会で小学の時、1年以上思考力を鍛えてきた子というのは、竹の会で普通に指導をこなしていれば、少なくとも都立戸山には普通に合格する、ということは言えます。

 そういう竹の会が何かそのために特別のことをやっているのかと言えば、特にない、というほかないでしょう。ただ数学にしても、英語にしても、最短で、受験レベルに達し、ムダがほとんどない、というのが特徴といえば特徴かもしれません。戸山合格者が解いた数学のレジュメは竹の会では定番のレジュメです。問題数にして、150問ほどです。これだけの問題数で戸山で数学70点をとりました。英語は最近苦戦していますが、英文読解不足のためです。じっくり時間がかけられないのです。

 竹の会では、平成20年に都立西に一般受験して合格していますが、この生徒は豊島岡女子にも合格しています。つまり、私立にも対応できる力をつけていました。戸山の場合、27年合格者は国学院久我山に合格した程度ですが、28年合格者は落ちています。原因は、手抜きのせいです。竹の会の定番テキストをきちんとやらなかったからです。竹の会の日比谷、西対策は、少なくとも早実には受かるほどの力をつけることを目安としていますが、戸山ではそこまで求めていません。そこまでやらなくても合格はできるとふんでいるからです。

 早実合格のために特別のことをやるのか。数学なら、私立難関向けのレジュメ、英語なら通常とは別に英文読解レジュメをやることにはなります。しかし、基本は同じです。

 さて、合格したければ、わたしを失望させないことです。落胆させないことです。わたしは、わたしの指導が前へ進められない、なにやかやと、特に、親の持ち出す、避けられないイベントで、妨げられること、これで失望します。小学生には、朝バスケというのがいましたが、23年に小石川に合格した男子は、朝勉を毎朝1時間やっていました。毎朝、算数パズルのようなものを解いていました。受検するというのに、いろいろ習い事を続けるというのは、わたしには落胆です。

 とにかく、わたしの言うとおりに指示をこなしていけばいいだけなのです。それでわたしは都立西でも日比谷でも道案内します。失敗するのは、みなわたしを落胆させた結果、失望させてきた結果なのです。わたしの言うとおりにやってさえいれば間違いなく合格できたのです。わたしは今のところ、1日5時間の実働的勉強を希望しています。まず勉強するという習慣を生活の一部としてあたりまえのこととし、そこから勉強のスタンスが自然にできあがってくる、そういうことを理想のかたちとして望んでおります。

 丁寧な字が書けなければ失望します。なかなか単語が覚えられなければ、それだけで将来を憂います。理科や社会のノートがきちんととれない、それだけで絶望します。英語のBe動詞と一般動詞を混乱する、そういうときは、何時間かけても理解につとめて下さい。毎日の勉強は、帳簿をつける感覚です。選科のノート(帳簿)、理科のノート(帳簿)などなど時系列に帳簿をつけるように書きこんでいってください。数学は焦ることはありません。この科目だけは、才能の差が出ます。努力では補えない科目です。ただ才能が不足しているのなら、人の2倍も3倍も練習することは必要です。数学ができなくても、ただの練習でなんとかなるところは練習を怠ってはならないでしょ。数学は才能が足りなければいくらがんばっても点はとれないものです。そこはしかたない。数学の才能がなければ、戸山合格というのは「ない」けれども、英語ができれば、駒場はとれるかもしれない。

 わたしは、高校入試のいちおうプロと言っていいのかな。まっ、プロと言っても、プロとは何かなのか、という話しもありますけど、まあ、合格する、させる技術というか、合格までもっていく技術というものがプロの仕事だとすれば、それは「ある」と思っていますから。だいたい高校入試でも中学受検でも、失敗するのは、わたしの言うとおりに、親でも、子どもでも、やってくれないからです。わたしにはわたしの指示さえ守られれば、合格させられる、という思いはあります。しかし、たいてい親のなんやかやという考えで邪魔されるわけです。これは一般論ですけれど、部活は天才でもない普通の生徒には受験を失敗させるだけです。お盆休みだ、実家に帰るだ、お正月はのんびり過ごすだ、たまには家族旅行だ、家族で食事だ、趣味は止めたくないだ、・・ともうそれなら日比谷、西など合格したいなどありえないことだと思うのに、・・・

 わたしには、わたしの言うことに100%したがってくれれば必ず合格へもっていける、という確信があります。それは30年以上にわたって都下で高校受験を指導してきた経験から導き出された、わたしのセオリーがあるからです。

 竹の会でわたしの指導を受けるみなさんが、わたしの指示を100%やりぬくという強い意思をもって、日々の生活を勉強を軸として過ごしてほしいと切に願うばかりです。

 

ページトップへ