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なりきり度

2015.12.11

 おはようございます。師走の11日になりました。刻一刻と時が刻まれていく、気がつけば光陰矢の如し、時を光りの陰に見た昔の人は日時計で時を見た、五感で時を感じたのでしょう。この時期にできることは少ない。それはこれまでにすでに培われてきた思考力、素地というものをただひたすら磨くだけの期間でしかない。この時期から何か新しいことを始めようなどという者はそれではいままでいったい何をしてきたのですか、問われることになろう。これからはこれまでに培ってきた思考の力を静かに、そう心静かに、時間の流れに逆らわず、ていねいにしかし迅速にはたらかせることに気を集中する、今はそういう時期です。

 いちばん勉強しなければならない、ならなかった時期に、無為に時を過ごした人がいるのは承知しています。しかし、あのときにわたしが勉強の大切さをいくら説いたところでわたしの声が届くはずもない、いちばん大切なことが何かわからない時期なのです。親も同じです。なにかと勉強は先送りされてきた、そういうことの意味するものが何かは今「わかる」はずです。

 ただわたしは毎年2月9日に掲示板の前に立ち悲哀を味わってきたのです。だからこそのわたしの心の悲鳴でした。このわたしの悲痛な叫びが心に届かなかったのならいたしかたないことです。試験を受けるということは実は多くのことを犠牲にしなければなりません。それくらいそのことにだけ集中しなければ試験などというものは受かるはずもないのです。人並みにものごとを楽しみながら難しい試験に受かるなどということはありえないのです。小学生のみなさんは、これから何回か人生の分岐点となる試験というものを受けていかねばならない。都立中受検しかり、高校受験しかり、大学受検、そして難関国家試験を受けるという人もいるかもしれない。公認会計士試験、司法試験、国家公務員Ⅰが、三大難関国家試験と言われてきましたが、司法試験は今では毎年1500人以上の合格者を出し、しかも、法科大学院に行けば比較的簡単に合格できるようになりましたから、難関といっていいのか、巷では弁護士が溢れて食えない弁護士がしかたなく開業しているとも聞きます。国Ⅰは、現役合格に意義がありますからいわゆる専門試験とはいえない。財務省などの登竜門ということです。公認会計士試験は、2005年~2007年に3000人から4000人も合格者を出して、四大監査法人に就職できなかった合格者が溢れた時期がありました。今は1000人ほどの合格者で、売り手市場です。かつては医師の国家試験が難関試験と言われたこともありましたが、医師の国家試験そのものは高校の生物レベルです。医師は医学部に入ることですでに難関を突破しているわけで国家試験云々ではないでしょ。難関資格というのは自由開業という収入の道が保証されている。医師なら開業医、弁護士なら法律事務所、公認会計士なら税理士か、国Ⅰはそういう意味でも他とちがう。さて、ところが、この自由開業の道も怪しくなってきた。食えない弁護士が巷に溢れ、閑古鳥の鳴く開業医もどこそこにあるし、税理士だって、顧客を取れるのは、国税出身の無試験開業組である。つまり、いきなりコネなしに開業したって食えないというわけです。親方日の丸がやはり日本社会ではいちばん安定しているというわけです。大手と威張っているゼネコンなんかは結局親方日の丸の税金のおこぼれに預かっているだけですから。景気のいいのは親方日の丸とコネクションがあるとこだけです。なにしろ5000億円の復興予算を一年で使い切る、気前の良さですからね。

 形から入るというのも大切な気がします。素人がいきなり役者やって成功する時代です。役者なんてのは人生がそのまま教科書ですから、特別のことはないといってしまえばそうでしょ。大御所俳優というのがいて、年季の入った所作を自分たちの存在意義として粉飾するけれど、若い人なんかそんなの関係ない。いきなりヒロインやって成功なんてのはざらにある。何が言いたいのかって? 要は、なりきれるかどうか、ということを言いたいのです。ベテランだって結局テクニックよりも役のなりきり度が問われているということを知っている。

 この流れでどう落ち着くのか。わたしは、受験というのは、結局「なりきり度」の問題だと思うのです。合格するという道を歩む人はそういう道を歩む人になりきらなければならない。合格する人生のかたちというもがあり、自分はそのかたちになりきれるかということである。かつてお盆休みに一週間、どころか10日間も親の実家に帰省というのがありましたけど、あるいは、○○発表会、家族旅行、合宿などというものもありましたけどこれなどは結局前述のなりきり度からいえばダメでしょ、ということです。難関資格試験に合格するにはさらなるなりきり度が必要でしょ。自分が合格する人のかたちになりきれるか、ということです。

 そこから誤解している子、親が多いのだと思います。夏に3、4時間程度の勉強ですますという心理です。たいした勉強もしていないのに、たまには家族でなどという、そのありようです。合格する人のかたちになりきっていない、ということです。受検する、合格したいのなら、合格する人のかたちになりきることでしょ。他人を演じるからブレがない。だからまずかたちから入れ、と言ってます。

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