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まず日比谷・西・戸山へ行くこと/都立中高一貫の吸引力と天才、小石川中等は天才を集める/公立中高一貫校と甘い認識の親たち/その他

2017.09.21

 おはようございます。今日はめっきりと秋らしい朝です。昨日は急な発熱で休んだ中学生も出ましたが、小学生を中心にみな元気だったのでホッとしております。残暑厳しい9月もあったと思いますが、去年、今年と9月に入った途端に涼しくなりやや拍子抜けしております。季節のうちでいつが一番好きか、と言われれば、ずっと秋でした。少年の頃は冬がよかったのかもしれません。なぜか少年の頃を思いだすときは冬の光景が浮かびます。町内の若い衆が餅つきをする姿は活気がありました。母の実家の津久見からよく送られてきた蜜柑も我が家の風物詩でした。今はない石炭箱に蜜柑がぎっしり届いたものです。町内の餅つきを一気に引き受けた若い衆によってつかれたできたての餅が数枚の諸蓋に入れられて届けられ、それは冬中わたしたち家族のなにかにつけての食糧でした。火鉢に網をかけてよく焼きました。醤油や砂糖を混ぜたきな粉にまぶしたのもおいしかった。少し時間が経ってから四角く薄切りにしておかきにしました。これも火鉢で焼くのですが、せんべいみたいで美味しかった。家の裏の畑には1本の大きな柿の木があり、毎年実をつけました。といっても鈴なりになるのは1年おきです。ほかにイチジクの木、甘夏の木、金柑の木なんかもあり、とにかくいろいろと豊富でした。秋が深まるとよく山芋(自然薯のこと)掘りに行きました。これは近くの山では小さすぎてだめで、本家の山まで出かけることもありました。阿部本家は山奥にありその群の山をほとんど所有しておりました。猪が出たり、雉がいたりとかなり恐い思いもしました。何時間か夢中で掘ってもなかなか大きくて形のいいものは獲れません。よく本家の大伯母が村の人が届けてきたりっぱな山芋を持たせてくれました。阿部本家は平家の落人の末裔と言われており、村のほとんどが阿部姓なので初めて本家を訪ねたときどの家も阿部なので参りました。本家は江戸時代は庄屋だったらしくそのことを言えばすぐに通じました。本家は村の一番奥にありました。一度だけ法事で泊まったことがありましたが、田舎の百姓なのに何か各式が高く夕食にはお膳がひとりひとりに配膳されて緊張しました。倉には錆びついた刀などもありました。わたしの父は本家の長男でしたが、祖父が放蕩をして勘当されたため本家を出たと聞いております。

 秋には特別の思いがありました。それは生活に密着した、少年の頃から培われた感覚なのだと思います。紅葉がこんなにきれいなものだと思うのは後年のことで、いつも紅く変じた葉の光景になんの感慨もなかったのです。また秋が来たか、と思うだけでした。勉強が思うようにいかず苦しんでいた時代の話しです。今思えばもう少し経済的に余裕があったらちがったのかなと思います。しかし、これも環境のせいすることになる。昔は司法試験は資本試験と言いました。おかねがあれば早く合格できる試験だったからです。今も変わらない。東大へ行く家庭というのは裕福な家庭が多いのはわかります。法科大学院というのもカネのかかるところです。今はそこに入りさえすれば論文試験だけで合格できるのですから弁護士になるのも楽になりました。年間1500人以上も合格させているから弁護士では食っていけなくなった。

 この数年紅葉を見たいという思いを抑えきれずに秋深まる11月に京都に出かけております。忙しい中、一泊だけして新幹線でとんぼ返りしています。今年も時間があれば是非訪れたいと思っていますが、京都は外国人観光客が多すぎて我が物顔に振る舞いやや不愉快な思いをしています。奈良もいいですね。興福寺と薬師寺には行きました。次はどこがいいかと考えています。

 ◎お問い合わせに見る、若干の勘違いについて

 よく竹の会の開始時間に間に合わない、遅れてもいいのか、というご質問があります。平日の開始時刻は、16時とか、16時半ですから、これに間に合わない、ということです。ひとつ気になるのは、他塾のような一斉授業を念頭に置かれているのではないか、と思うことです。そもそも竹の会には授業などというものはありませんし、その授業で使うことを前提にしたテキストも当然ない。だからその予習とか復習という考えも当然ない。竹の会が16時開始というとき、それは「指導開始」という趣旨です。この指導というのもなかなかその概念を理解してもらうことが難しい。よく「個別指導ですか」とか言う母親がいますけど、どうしても既存の塾の分類に当てはめたがるわけです。指導というのは竹の会では独自の概念です。その意味を知るにはこのブログの該当箇所を読むのが一番だと思います。竹の会では入会したときから個人に即したバラバラの指導は前提です。時間も教室にきたときから指導開始です。だから16時というのは、指導を受けられるもっとも早い時刻ということです。もっとも指導開始の30分前に入室できますから、もっと早く来れればさらに指導の時間は早まります。

 竹の会の指導は、オリジナルのレジュメを使った、思考を鍛えるという意味で、自分で考える訓練をその実質としています。小学にしても中学にしても今では完全なレジュメ指導の体系が完成しております。小学の入会時期のタイミングは小4早期です。ここで教育熱心な親御さんというのはたいてい大手を選択することが多い。それはよくわかっています。ただ竹の会に大手からきた親御さんというのはやはり大手に見切りをつけている。大手で失敗したと思っているどうかは知りませんが、少なくとも竹の会にきてみて、塾のなんたるかを心底悟る方が多いように思います。数年前にはよく見学希望というのがありましたが、たいていは見学してそれっきりということが多かった。「ただプリントをやるだけですか」「わからないときは質問していいのですか」などという今の竹の会ではありえないようなことを尋ねる母親がよくいました。実際に竹の会のレジュメ指導というものを体験してみてわかることなんですね。その実質を言葉で伝えるのはとても難しいことです。大手に1年も2年も行って、計算も陸にできない、割合もなにも理解していない、そういうことはちっとも気にならないようです。少なくとも竹の会にはいい加減な計算をする者はいない、割合を極めた子たちが自信に満ちて様々な問題に挑戦している。

 竹の会の指導というのは、ひとりひとりをじっくりと観察し、何を理解し理解していないかを日々観察し、日々適切な指導をしている、そういうことです。個別とか、なんとか関係ないですね。それからよく体験授業をさせてくれ、というのもありますけど、そもそも授業というものがない。体験指導というのは不可能です。まず入会したら計算をチェックしますが、小数はどこまでできるのか、分数はどうか、とか細かいチェックをしていきます。そこからまず何から指導すればいいのか、決めて、それから具体的な指導が開始します。指導の手順はほぼ決まっていますから、まさに個人個人が自分の指導コースを進むことになります。そもそも体験などしようがない。指導というのはある程度期間を見込んだものです。連続的なものです。1回1回を細切れにして売る大手とは違います。だからその分の振り替えというのも意味のないことです。6か月なら6か月で割合の初歩を理解しているか、それが問題なのです。

 ひとりの子を引き受けて仕上げる、そういう意味では、請負みたなところがある。請負というのは仕事の完成に意味があります。完成したものを引き渡すことに意味がある。だから計算の達人にして完成させる、割合を立体的に理解させて完成させる、そういうことです。ひとりひとりの子をなんらかの完成に導くこと、高い理想に向けて完成させていく、それが竹の会の指導です。指導というのは、その請負という仕事の中の細かい指示の総体です。

 その意味がわかるのは今竹の会に子どもさんを預けてもう1年前後通っているという親子のみでしょう。よくわかるはずです。竹の会の指導の意味が。そしてその竹の会の指導によってしっかりと成果が出ていること、仕事が完成しつつあること、それがほんとうによくわかっているはずです。

 

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