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中学受験 高校受験 受験相談 渋谷で創立30年

また掲示板の前に立つ日が来た

2019.01.19

本番まで 15日 初日不算入本番の日まで

 相変わらずの好天気が続いております。受検の日も好天気であればと願うばかりですが、わたしの受験の日の記憶は深雪の光景ばかりです。

🔵また掲示板の前に立つ日が来た
 都立中高一貫校、及び千代田区立九段中等の適性検査は、2月3日にあり、発表は、9日9時ということになっている。九段だけは、以前は、6日発表だったが、都立と歩調を合わせた格好である。本番のある3日から合否の分かる9日9時までが、心ここに在らずで、落ち着かない日が続く。当の子どもたちも小さな胸を痛めているに違いない。私はよく悪夢に襲われる。毎夜恐ろしい夢にうなされる。よく見るのが、合格発表を見に行く途中で道がだんだん狭くなり、ついには体が挟まって通れないとか、恐ろしい鬼婆に追いかけられるとか、である。なぜ鬼婆なのか、もしかしたら母親恐怖症のせいかも。
 発表の日は、ほとんど眠れないままに、朝起きて、パソコンを開く。たいてい桜修館は、繋がらない。まず無理、それで桜修館だけは、まず直行する。
発表は、まず、インターネットで、確認してから動く。23年の小石川では、直接見に行った。すぐに見つけられずに焦った。27年の桜修館は、2人受けていた。最初の子の番号がなくて焦って、次を探して、あったときは、心底ホッとした。心臓が止まるかと思った。
 都立高校の発表は、直接見に行くしかない。ネットでやらないから。27年、28年と戸山を連続して受けて、27年の時は、9時前に着いたら、もう行列ができていて、みんな押し潰したように静かだった。私は9時に行列の存在を知らないで、立ち入って注意されてしまった。とにかく合格していた。翌28年は、慣れていた。落ち着いて行列に並び、番号を確かめた。本人は、これから向かうところだったようで、私の「合格おめでとう」の電話に歓喜の奇声を発した。
 あの時は、すぐ都立文京に向かうところだったが、電話が入り合格。軽やかな足取りで向かったことを思い出す。
 26年の都立駒場高校の時は、校庭で、本人とお母さんに声をかけられて、一緒に掲示板を見た。前をドヤドヤと女子生徒が塞いでなかやか番号が見れない。そうしたらお母さんが、「あった」と大声を上げた。わたしは、前を塞ぐ女子生徒の隙間からなんとか番号を見つけて、お互いに喜び、記念写真を撮って、お別れをした。
 受験番号は、全員のを覚える。覚えたら、毎朝、忘れないように、思い出す。完全に覚えるまでこれを繰り返す。
 わたしが、直接掲示板を見に行くようになったのは、平成12年、長男が、新宿高校を受けた年からだったと思う。あの時は、新宿高校に、竹の会から、3人合格した。新宿高校の掲示板は、粗末なベニヤ板製で、こんなものかと思った。
 あの時から、わたしの掲示板との付き合いが、始まった。それまでは、生徒からの連絡を待つ、のが当然のようにしていた。掲示板を見に行くようになって、合格へのこだわりがわたしの中に強く渦巻くようになったのかもしれない。

 

🔵病む母親
「先生、〇〇さん、カンニングしてます」とわたしに知らせた子がいた。何人かに確かめると、みな知っていたことのようで、わたしだけが、言われるまで気づかなかったというわけ。テスト中そっと覗くと確かに挙動がおかしい。じっと斜め前方の子の方を見ていて、問題を解いている様子がない。それで確かめるために、いつも見られていると言う子に、ありえない答えをわざと書かせたところ、そのありえない答えを書いてきた。ふーむ、困った。女子なので問い質して傷つけることは避けねばならない。しばらく様子を見ていたら、まずいことに、その子が、答案を出すと、周りがクスクス笑うようになった。さすがに周りの様子に気づかないわけはない。この子が母親にどういう説明をしたか知らないが、たいてい見当はつく。以後母親の態度が急変した。この子は合格した。しかし、母親からは、一切報告はなかった。難しい性格の子で、この子には随分気を遣って指導し、導いてきた。いつも好きな飲み物などをこの子ために用意して振舞っていた他の子たちのことを知っている。この子はいつもわたしの隣にいつまでもいて、わたしの指導の様子を見ていた。わたしは随分と大切に扱ってきたと思う。しかし、母親は、そういうことは一切知らないのか、子の、恐らくは、讒言で、わたしを竹の会を恨んだのであろうか。子どもの言うことが話し半分割引いて聞いてなどと言うけれど、子どもというのは、自分を繕うためには嘘をつくものです。ところが、親はそういう子どもの嘘を子どもサイドに立ちますから、そのまま信じてしまう場合が、ほとんどです。そしてわたしの方に誤解の上に作り上げた非難を投げかけてくる、わけです。
 様々な子の扱いの難しさをわたしはどれほどの落胆と母親というモンスターの攻撃にさらされながら、経験してきたことであろうか。わたしには一切悪意はないのに突如として、鬼と化する母親の本性というものをわたしは知っている。
 かつて竹の会を指導困難を理由に退塾することとなった母親が、退塾して一年経って、メールしてきた。「塾を移ってから、その塾で、算数が、一番になりました。桜修館ももう少しで合格でした」と本番の成績を添えてあった。そして「竹の会で学んだ一年間が良かったのだ、と思い当たった」とも書いてありました。わたしの退塾相当の判断で退塾した子たちが、他塾で、成績がいい、というのは、昔からよく耳に入っていました。
 母親という病は常軌を逸した行動をとるものである。ある母親は、入会して、2か月足らずで、止めるまで、毎日10通以上の、しかも恐怖に近い長文のメールを送ってきた。早朝、深夜関わりなく、である。私がメールをしないでほしいとメールしても、やめなかった。たまたま竹の会で、Z会の通信教材をやっていた中学生が、隣の席にいたのを見て、「先生は、嘘をついた」と大騒ぎした。この中学生は、その後退塾したが、わたしの指導を蔑ろにしていたことが、退っ引きならぬ成績低迷となったためであったが、それにしてもわたしには降って湧いた母親という災難であった。
 子どもというのは、できると誉められる、それが嬉しくて、また誉められたいために、頑張る。それが、うまく回るのは、子どもが、「わかる」ということ、そして確かに「解いている」ということ、そういう歯車が、回っている場合である。
 しかし、この歯車が、狂うとたちまち子どもは、やる気をなくし、投げやりにさえなる。
 歯車が回っているということを見せかけるために、答えを盗み見もする。しかし、できないということが、露わになるに及んで、子は壊れる。そういう時の母親の、氷のような態度も、その豹変振りが、わたしを驚かせる。
 「先生は、母親が嫌いでしょ」と子どもたちに言われるのは、鋭く見抜かれている。確かに、私は、母親恐怖症かもしれない。子どもと言えどもその直感は侮れない。
 最近は、母親化した父親というのが、増えてきた。母親は、何も口出ししない、父親が、管理している、というイメージである。いつか小4女子の父親は、よくわたしの携帯に電話してきた。あっという間に止めていなくなった。携帯に電話というと、また母親が、夜間にかけてきて、2時間近く話すというのがあって、参った。わたしが家でも仕事に追われているということは、全く気にしていない風であった。なかには、母親の意見と父親の意見が、分かれて、母親は、勉強させたいけれど、父親は、勉強ばかりさせるのは良くないということで、結局よく家族の都合で休む子もいた。子は子で勉強を休むことが嫌ではないようで、結局力がつききらないままに本番に突入した。
 わがままな娘というのはよくいた。母親が、この意を受けて、過剰に反応し、子に負担をかけないように環境整備する。これはまあ、過保護、甘やかしの最たるものなのだろうけれども、多くの場合は、子は母親や父親に素直に言われるがままに従うというのが、普通であった。時には、子が自分の意思を頑として通すという例もそれはそれなりにあった気がするが、素直な子たちの印象が強いのは、そういういい子が、母親や父親の信じる選択に翻弄されているのを見て、同情する気持ちがあったからかと思う。
 祖母が、わがまま放題の孫の教育を見ている、というのもあった。離婚家庭だった。母親は、仕事で不在、裕福な祖母が面倒見ていたが、とにかく甘やかし放題たった。勉強は、全てが中途半端で、空回りしていた。
 親が、子に自分の思い入れを持ち込む。ところが全ての子が親の思い入れを受け入れるだけの能力を持ち合わせているわけではないから、子の疎外が、子を蝕むのは、当然の成り行きであった。子どもというのは、生存本能で、行動するものである。勉強できなければ、カンニングもする。これが子どもには、今を生きる手段となっているから仕方ない。そんなことをしても意味がないということが、子どもにはわからない。
 塾の先生というのは、少なくとも、わたしは、この34年の中で、ありとあらゆる、まさに小説よりも奇なる事実に遭遇してきた。
 そういう中から、わたしには、合格する子の像、母親の像というものが、ある。
 合格者の母親は、心から竹の会を信頼していた。
 合否を分けた分水嶺は、母親、時には父親の心底からの信頼にあったのではないか。
 合格者の母親は、いつも心より竹の会を敬愛し、わたしを信頼してくれた。
 世の中にはいろいろな人間が、いるから、不遜な母親、父親に、遭遇することもある。
 塾の先生というのは、常に、そういう危険の中にいる。世の中には、まともな親ばかりではない。何かしら病む親が、むしろ多い。
 病む母親は、子の能力の限界を覚知し、悩んでいる。悩むというのは、迷う、ことである。
 子の思わぬ、障碍に悩む。しかして、この障碍は、母親の過度の期待のもたらしたものかもしれないのである。ところが、母親というのは、まず自分に原因を求めることはない。悪者は、塾ということになる。子の不調の原因が、自分の性格のもたらしたものとは、考えない。
 こうして塾の先生をやるというのは、側から見るほど楽ではない。わたしは、ただ指導に専念したいだけなのである。そしてこの子は無理と判断したら、指導から手を引く。それは当たり前ではないか。わたしの指導が効果を発揮する、そういう子だけを見るのは、当たり前ではないか。わたしは、わたしの指導を子どもに効果あらしめたい。だから、習い事、稽古事、スポーツなんでもわたしの指導を結局無にするであろう家庭の事情というものに物申しているだけである。
 家庭の事情をやたらに言う親というのは、結局子の成績を不調にしている。している張本人は、自分なのに、これが勝手なもので、悪いのは、塾ということになる。なんとも都合のいい理屈である。部活を優先することを公言して思うようにやってきたのに、成績不調は、塾のせい、これが大方の母親の論理である。
 わたしは、やんわりと部活にしても、習い事、稽古事にしても、勉強には、少しもいいことはない、と話してきたが、通じることはなかった。自分だけは「別」という論理が、楽観的な母親のアタマの中を支配しているから、どうにもならない。 
 子どもが、できるとなると、この別論理は、もう信念に近い。
 塾歴34年のわたしに受検番号を他人に漏らさぬようにと注意してきた母親がいたが、何か根本のところで、塾の先生に対する不信を察知したせいか、不遜な態度を感じた。
 竹の会では、レジュメ集を製本したものを渡しているが、たまにわたしのミスでホッチギス止めを逆にやってしまうことがある。忙しいときは、レジュメ集を製本する時間もなく、それで我慢してもらうこともあった。復習用に使ってもらうこともあるが、ある時、こどもから、「お母さんが、こんなもの」と言って、破り捨ててしまった、という話しを聞いて、心にグサリときたことがあった。
 こどもというのは、正直なもので、もちろん自分の都合で、嘘もつくが、なんでも家庭の事件をよく話します。聞いて良かったのか、考えこむこともあります。
 その子がどんなにいい子でも、塾で、指導していくことが可能かは別の話しです。素直だし、朗らかだし、塾も楽しいのかもしれない。しかし、指導できる子かどうかは、別の話しです。長時間集中して勉強できるのか、きちんと課題をこなしていけるのか、家庭学習をしっかりとやっていけるのか、部活に流されて怠けた生活に堕することはないのか、そういう視点から、わたしは判断するしかないのです。
 確かに、頭も良くて、いい子だと思います。しかし、竹の会は、指導を第一に考える塾です。竹の会には、竹の会の論理があり、それが最優先と考えています。なぜなら、そうしなければ合格という結果は、とても約束できないからです。
 竹の会のポリシーにそぐわなければ、最初から入会しなければいいし、いつでもやめるのはできるはずです。
 わたしには、合格の見通しのない子を、指導することはできない。が、やるだけやってみたいと、努力を惜しまない子に手を差し伸べるのは、私の弱いところかもしれない。ただ努力を惜しまないというところに負けたからである。努力もしない、家庭学習もゼロという子ならこれはやめてもらいたい、と心底思うのもわかってもらえるのではないか。

 

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