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中学受験 高校受験 受験相談 渋谷で創立30年

もちろん都立新宿、都立駒場も視野の内にあります

2016.02.23

 おうようございます。胎動する春の蠢きに微かな期待を隠しながらじっと今を耐える、そういう日々です。昨日は、最後の中3の指導を静かに終えました。もともとの指導日ではないのですが、わたしの不安を払拭する意味もあって1月の冬期が終わるとすぐに声をかけたのですが、理科、社会の不安だった女子が一度も休むことなく通いつめてくれました。理科と社会が安定したことを実感できて終わることができました。20分ほど早く終わったので「もう、終わっていいよ」と言ったのですが、時間まで残る、と言うので、そういうことにしましたが、最後にもう一人の男子生徒が帰るのを待って、「先生、お賽銭入れていいですか」と言ったので、初めて、竹の会の神様に最後に手を合わせるために残ったのだなとわかりました。わたしも一緒に手を合わせました。

 二人には、「落ちない答案を書きなさい。決して、合格したいなどと気負ってはならない」といったようなことをアドバイスしました。

 いつも最後の日に生徒を送り出すのは、寂しいことでした。不安の闇の中に送り出すようで切ないですね。それでもそういう中に毅然と立ち向かっていく、そういう姿に、何か頼もしさというか、いや健気な愛おしさを感じます。

 彼女は、「今までありがとうございました」ときちんと頭を下げてあいさつしてくれました。きっとお母さんに言われたのかな、いや自発的に言ったのかも、もう大人ですからね。

 二人の健闘を祈ります。

 かつての竹の会には、二十人を越す中3がいて、わたしは指導に追われました。地元の塾としてどうしても都立志望者が多かった。新宿と駒場が定番だった。ちょっとできる子は青山に行った。新宿から下げて都立大附属というのも選択の一つとしてあったが、平成十年以後は、ほとんどいなかったかな。町田に行けたはずの女子が、慎重になりすぎて都立大附属に行ったということはあった。そういえば、この女子は2年間狛江市から通ってきた子だった。

 なぜか戸山は人気がなかった。私立難関の滑り止めという意識があったように思う。その戸山が今は竹の会の中学指導再開の一つの動機となっている。すべては公立中高一貫校の躍進に関わる。小石川、九段、桜修館、そして両国とそれなりの成果を出しつつある。その中で、既存の三年指導型都立高校が独自に進化したといえる。圧倒的な存在感を示す日比谷と西、そしてそれに次ぐ戸山が俄然わたしには輝く石に見えてきた。いやもともとわたしが過去毎年のように明け暮れた高校受験指導の日々を想起させた。わたしは高校受験のプロフェッショナルだった。それが少子化、公立中学における学習不振児の増加、都立高校の凋落でわたしの興味を削ぐに十分だった。地元にはバカ中学生が溢れた。自然必然に公立中高一貫校の研究にのめりこんだのもその影響が大きい。もう地元の中学生ではだめだ、という意識があった。公立中高一貫校制度も十年を経過して、その行き着く先も見えつつある。そういう踏み台を得て、日比谷、西、戸山がグイと伸びた。竹の会も渋谷駅近くに教室を構え、23区全域から志のある生徒を参集せしめることが可能になってきた。去年の10月に高校入試指導再開を宣言した。ただもともと子飼いの生徒が高校入試をしてきたということはあった。子飼いとは、小学生からいた子たちであった。それも一人、多くて二人であったけれど、そういう子たちが、高校受験を竹の会でやる、そういうことはずっと続いていたわけで、全く高校受験から遠ざかっていたわけではなかった。

 竹の会はもともと都立新宿、駒場、そして青山の合格者で占められていた。東工大附属、国際、小山台なども時にはいた。

 それより下の都立の合格者は夥しい数に上るであろう。都立大附属、目黒、広尾、富士、狛江、三田、文京、都立高専など。もっと下だと、松原、千歳、千歳丘、深沢、玉川、芦花、桜町、杉並総合、芸術、農業ほかにもたくさんある。そういう都立に夥しい生徒を送り出してきた。もうだれがどこに行ったのかなんかもほとんど記憶にない。ありとあらゆるタイプの生徒たちを都立高校へと送り出してきた。卒業生を数えたら数百人に達するはずだ。もうほとんど顔と名前が一致しない。

 そういう現場でわたしは鍛え上げられてきた。マルをつける感覚でその子の力を判定できた。マルの割合でほぼ正確に得点を言い当てた。マルの感覚でその生徒の合否を予測できた。バツを見てその子に何が必要か、どういう指導が要るのか、がわかった。マルとバツ、それがわたしの指導の原点である。マルとバツから嗅覚が異常にはたらいた。その子の弱点の本質を見抜くことができた。今では、「合格はんこ」になったけれど、高校入試では、やはり、マルとバツがわたしの拠り所となる。

 1月から理科と社会で全く点にならない女子生徒をずっとマルとバツで測ってきた。わたしにそれをさせないのは、竹の会のもっともすぐれた指導の核心を自ら逸らすことになる、そう理解したほうがいい。バツこそ学力健康のバロメーターである。

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