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トップ都立一直線/都立中高一貫校一直線/竹の会を誤解、偏見視する人のこと

2017.04.28

 おはようございます。毎日仕事に追われまして正直ブログを更新する時間も惜しいような状況が続いております。「渋谷B」が渋谷Aと完全に別システムとして動き始めてからはそれぞれに指導プログラムを組む必要から朝早くから準備に追われることになりました。竹の会の絶対に譲れない点は、勉強に熱意のない子の指導はしないという点ですが、また指導についてこれないという兆候には敏感でどこまで指導可能なのかを常に注意深く見定め、場合によっては指導打ち切りということも想定しながら、それでもなんとかしたいと一進一退の指導をくり返すということもよくあります。竹の会というのは常に退塾と紙一重のところで指導の責任をギリギリまで果たそうとしています。だから突如として「退塾打診」のメールが届いてびっくりされる親御さんもいるかと思いますが、「退塾打診」は、わたしの思い違いを指摘する機会であり、特に、反論がなければ、そのまま退塾とする主旨です。

 標題には「竹の会を誤解する人」、根拠のない偏見視をする人とありますが、この1年ほどこういう人たちがなぜか竹の会に関心をもつようになりまして、正直迷惑しております。とにかく竹の会のことを何も知らないで批判する親には辟易としています。竹の会の指導を一度受けただけでその素晴らしさを感動的に伝えてこられる親御さんというのはこれまでに数多くいました。いろいろと塾というものを体験してこられた親御さんというのは塾の真贋についてよく知っているわけです。竹の会の何がすごいのか、どこが素晴らしいのか、そういうことが本能的に「わかる」のではないでしょうか。それは子どもさんの変化に著しいとよく言われます。子どもさんの「目」が生き生きとしてくる、勉強に対する取り組み姿勢が変わる、ということもよく言われます。なによりも子どもたちが「竹の会が大好きだ」と言うことをよく言われる親御さんがいますが、いやなかには「うちの子は先生のことが大好きです」と言われる親御さんもいまして、正直わたしにもよくわからない、「何」が起きているのかよくわかりません。

 私立中とか国立中とかをめざして受験勉強してきた親も子もまず竹の会では100%うまくいかないと思います。かれらは勉強というものに対する姿勢が歪んでいるからです。大手進学塾のお客様扱いに慣れきっている、自分がお客様だという意識がつよいので、常に「なにかをしてくれる」、つまり「何様」と思い込んでいる。自分が勉強の主体だという意識に乏しく常に環境が自分に適合的かどうかを問題にする。親切な講師とか、懇切でわかりやすい授業とか、よくできた教材とか、そういうものばかりに目を奪われている。常に他人の使っている教材が気になり、人の通っている塾が気になる。地味で地道な努力というものを嫌がる。そういうものは無価値なもの、無意味なものと信じて疑わない。環境依存症なのである。だから学校の定期テスト対策に細かく対応している塾とかに心を動かされる。勉強とは何か、ということを身をもって追求してきた子ならそんなことでいちいちぶれたりしないものだが、とにかく軸のない親子というのは、大手の煽動にいとも簡単になびくわけです。環境が自分に合わせるものという何様根性は決してぶれることはないのですが、こういう親が竹の会のことを「少し古い」と言ったことがありますが、ハッ?という感じでした。笑止でしかない。勉強の本質というものを悟らない愚かさはおいておいても、竹の会で指導というものをもっとも大切な時期、つまりは小4期から受けたこともないのに、平気で「古い」という、思考の欠片もない基準を持ち出してくる。竹の会では別に新中学問題集とか、マイクリアとか使って授業しているわけではない。マイクリアが家庭での勉強の助けになるのならという趣旨で配りはしたが、竹の会では授業などというものはないのだから、授業前提のそうした教材を使うことはない。これをとらえて「古い」といったのならアホらしくて反論する気もないが、竹の会のレジュメ指導のイロハも知らないでレジュメ指導というものを古いと言ったのならただの無知である。そもそも竹の会というのは、教材を講師が授業、しかも一斉授業するという、これまでの形態で落ちこぼれていく子たち~しかもそれは学校の優等生にしてであるが~をこれまでの30年以上の経験の積み重ねから、もっとも理想的な指導形態というものを追求し、究極のかたちとして作り上げてきたのである。自ら読み解く、考える、これをもっともいい形で実現するには、紙媒体をどのように利用するか、そこからレジュメというものが生まれてきたのである。常に、考える、指導する、考える、指導する、この繰り返しの中から、思考を徹底的に訓練された子を育て上げること、これこそがわたしの理想的な塾のありかただったのである。授業やさまざまないいと言われるテキストなら30年も前からあれこれと苦労して試行錯誤を繰り返してきたことである。それでは決していい結果は出ない。そうした中から今の竹の会の指導というものが形成されてきたのである。これを一言で「ちょっと古い」とはバカかと思いました。

 世の中には深いことは何も知らないで、ネットやらなんやかやと権威づけされた情報だけを取捨選択して評論家然、批評家然みたいなことを言って自己陶酔、自己満足する親というものがいて、この人種というのは他人に批判されたことがないのが特徴で、いやもっと人から傷つけられる、特に、プライドを傷つけられることに異常に敏感で、わたしには信じられないというか、インテリジェンスというものに精神の拠り所を求めるわたしには信じられないのですが、平気で人を面罵してくるのです。こういう人種というのは中野信子の「サイコパス」という本に出てくる人格によく似ている。とにかく一定の距離を置くべき人種、近寄ってはならない人種なのだと思います。

 子どもたちの作文なら、一部の黒いところをまるですべてが黒いかのように書くことはよくあります。しかし、人生経験を積んできたはずの親が、たった一点の黒いところを見つけて、それですべてが黒だと決めつけてしまう、こういう親が多いのには驚かされます。子どもならしかたない。しかし、親ならこれまでどのようにしてそういう偏見を維持できるだけの、恵まれた環境、ゆるい環境で過ごして来れたのかと、不思議な気もしますが、たとえば、医師だったりすれば、自分の偏見を糺してくれる人はまず周りにはいないだろうから、ずっとその偏見と鼻につくプライドをなんのストレスもなく持ち続けただろうと思いますから、比較的裕福とされる私立中受験の親たちにそういう人種が蔓延していても少しもおかしくはないという結論になります。

 竹の会の指導というのは、一人の子を徹底して観察してもっとも適切な指示、指導をするようにしています。渋谷Bだと週3ありますが、週2だとどうしても指導が間延びしてしまう、そういう弊害がある、だから週3にした。この違いはかなりに開きがでる。週2だと1年も経てば本来やれるべきであったことのかなりのことが先延ばしになっているはずである。逆に、週3の効果はいつも塾に来ている感じで、間がないからよく伸びるわけです。週2と週3の差は、伸び率が真逆なほどに違うということだと思います。安易に週2を選べばそれは取り返しのつかない機会を捨てていることになる。

 わたしにはこの子が何がわかっていないのか、手に取るように理解できます。だからこの子がわからないというところをしつこく繰り返すわけです。その子がそれに耐えられないで勉強が嫌になればそのときは指導は打ち切りです。この鬩ぎ合いの一線は、常に、退塾の一線でもあるということです。わたしはいつもそういうつもりで指導しています。わたしの能力の限界を超えたときが潮時だと心得ております。

 だからいったん入会しても見込みがないのなら早々に退塾するのが無駄なカネも使わなくて済むのですからいいに決まっています。ところが、世の中にはまた変わった考え方をする親というものがいまして、「できる」、「順調に進んでいる」、「伸びている」のに、ただ一点、入会試験でA合格以上をとらなければ小石川に合格するのは難しい、と言った、わたしの言をとらえて、「それならこのまま竹の会にいてもしかたない」と退塾した親がいました。キツネにつままれた感じでした。大手塾で小石川に受かるのか、という根本のところから竹の会に来たのではなかったのか、もともとの天才でなかったから大手を避けたのではなかったか、天才ではなかったけれど現実には伸びているのに…と不可解でした。竹の会だから伸びていたかもしれないのである。もしそうだとしたら大手に行けば潰されるのではないか。そんな風には考えないのであろうか。

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