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トップ都立日比谷、西にロック/小石川中等合格の条件/都立中は8人中1人の難関/桜修館合格の資格/いよいよ11月

2017.10.31

 おはようございます。秋というのにもう二度も台風による予定変更を余儀なくされました。二度目はさすがにHPに載せたのが遅くて見逃された方もいて、たいへんにご迷惑をおかけしました。勢力も弱く進路、速度からリスクの高まる時間帯を見定めるのにギリギリまで待ったためです。ウェザーニューズに登録しまして逐一台風情報などを得ていますが、今回のことはこれからの異常気象の際の対応に限界のあることを痛感させました。竹の会の入会要項には想定していなかったことで、異常気象などの不可抗力による中止について、条項を入れることとしました。民法では危険負担と題される条項ですが、現在の竹の会の過密日程では、振替指導が事実上困難であるため、不可抗力による中止については代替措置なしとして規定させていただくことにしました。みなさまのご理解をお願い申し上げます。

 また毎月の会費につきましては、入会時に必ず前月払いをしていただくようにお約束いただいておりますが、毎月必ずお忘れになる方がいまして、再度お約束の遵守をお願いしたいと思います。塾のような知的サービスにつきましては、商品販売にも増して、前払いが不可避となります。これは契約履行後の現状復帰というものが不可能なためです。竹の会の30年以上にわたる経験から円滑に指導等を実施するために必要なお約束と考えております。これもみなさまのご理解とご協力を切にお願い申し上げます。

 昨日のB指導にてすべての10月の指導を終え、いよいよ11月に入ります。都立中受検本番まで3か月、都立入試まで3か月と20日あまりです。都立中につきましては、8人中1人合格というリアルをわかってない方が多いやに思われます。都立中というのは「落ちる」のが普通の試験なのです。そういう試験を受けるにしては、これまであまりにも牧歌的な見通しをもたれていろいろと名目はあれふだんの勉強というものをその都度先送りしてきた、そういうこともふくめてこれからのたちいちというものが問われる、そう思います。

 翻って竹の会が予定していたレジュメを10月までにこなしきれなかった子たちも出ていまして、11月以降の指導の進め方ついても、いわゆる必ず合格がとれるという指導パターンに乗れない子たちが出ているわけです。やらなかったレジュメ、やれなかったレジュメをいまさらやるわけには行かず、そういう子たちへの次の一手には苦慮しております。おそらく竹の会の想定したとおりにレジュメをやりきるには、平日5時間、休日10時間の勉強が必要でしょう。そして何かと家庭の都合で塾をお休みするということがそれを先延ばししてきた、そういう気がいたします。

 いずれにしましても、10月までにやったレジュメが現小6のひとりひとりの知的武器ということです。11月からはこれまでにやっただけのレジュメを7回解き直しすることがなによりも優先されます。「単位あたり量を鍛える」から始まり、「適性のための計算問題」、「推論を鍛える」、「推論を鍛える・標準編」、「初見問題の研究」、「推論算数」、「新推論を鍛える」、「算数をクリアにする」、「100撰」、「続撰」など予定されたレジュメが10月までに終われたか、です。また作文シリーズのAをとるまでの書き直しもあります。11月からはこれまでに自分がこなせただけのレジュメを解き直すだけです。11月から予定している指導レジュメは1回の指導につき、2通です。ただし、このレジュメをやれるのは今あげたすべてのレジュメを終えた者のみです。未だ中途で11月を迎えた者には、11月に予定していました竹の会の戦略的プログラムが開始しますので、「撰」以外は打ち切りとします。ただし、AとBにおいて「算数をクリアにする」に取り組んでいる者については、11月上旬までに終わることを条件に認めます。11日以降は無理です。11月にやるべき指導プログラムを先送りすることはできません。

 現小5のみなさんは、現在の小6の状況をよくよく見ておいてください。合格するというのは小5のときからそれなりの覚悟をもって勉強しなければならないということなのです。「まだ小5だから」と勉強よりも習い事、稽古事、家族旅行、その他を優先させることは、自ら合格から遠ざかる行為をやっていることなのだ、そしてそれでも合格できるという甘い見通しをもつからそういうことをやるのでしょうが、その誤りは小6の秋になって初めてわかる、そういうことのないように小5のみなさんは今から合格するという強い意識の上に勉強に取り組んでほしいと思います。

 合格するのは、集中力がある者だけである。実は、勉強というのは、どれだけ集中したか、これにつきるものです。集中力のある者は必ず成功しています。1日5時間というのも時間を測って5時間ではだめです。勉強始めたらもう時間なんか頭にない、これが集中するということです。途中時間を見ながら「そろそろ止めるか」ではダメなのです。こういう人間に限って、たまには息抜きも必要だなんて考える。だから大晦日も家族と紅白見て、お正月も家族と楽しむ。受検というのは本番まで一日たりとも息を抜いたら終わりです。適度な緊張を維持する。これが本番では動揺しない力としての源になるのです。

 23年に桜修館に合格した杉山太一君には1日17時間という勉強記録があります。かれはわたしの「休日は10時間を」を実行したのです。かれがやりあげて出してきた過去問100ページ分のコピーはそれは見事な字で正解率もすごかった、これを集中したというのです。こういう人が合格するのが、都立中の試験です。平日5時間を集中してやれなかった、それだけで実は合格の脈はないのです。話しは逸れますが、かつて中1の末に竹の会にやってきた女子がいました。いや正確には父親がひとりでやってきました。竹の会の数学の評判を聞いてきたというのです。当時竹の会は代々木中学と上原中学の数学5を独占している(もちろんそんなことはない。ただ数学5の子がやたら多かった、そういうことです)と言われました、竹の会は数学がすごい、とそれはかなり近隣で評判になりました。その父親によりますと、彼女は当時渋谷にあった有名進学教室すばるで2番(1番は筑駒の生徒)、上原中では中1の時から学年1番、1日の勉強時間は最低でも5時間、このようなことを申しておりました。彼女に数学の特訓をしたわけです。第一志望は慶應女子、第二志望が青学でした。彼女は戸山を併願で合格、慶應女子はだめで青学に行きました。私立は英語と国語もありますから。当時の竹の会にはよく「数学だけ」という生徒が押しかけたのです。英語はたいていどこかに行っていた。当時の進学熱心な家庭は河合塾とか、代ゼミが多かったとは思う。今竹の会にも少し中学生がいますが、当時の中学生と比べると集中力ではもう比較にならない。完全に負けています。1問を3時間かけて考えていた。顔を真っ赤にして没頭していた。途中で「説明しますか」と言うと、言下に「いいです」と否定されたものです。

 受験に成功する人には勉強以外の予定がない。かつて早稲田実業高校の普通部と商業部の2つに合格した鈴木君は、お盆にひとりだけやってきたので、「実家に帰らなくていいのですか」と言うと、「えっ」と意外な驚きを示して、「なんにも予定はありません」と言ったものです。勉強を大切に考えている家というのは、どんなことも勉強に比べたら問題にならない、どうでもいいことと、当然のように考えていたように思います。

 竹の会から青山学院に合格し、竹の会から慶應大学総合政策に合格したTさんもその集中力のすごさはとにかく驚くばかりでした。受験に成功する人というのは勉強以外のことは取るに足りないこと、なぜに勉強を犠牲にするのか、わからない、という姿勢でした。

 平成13年に都立西高校に合格した男子は小6から竹の会で学び、中学の3年間、高校の3年間を竹の会で学んだ人です。その実行力は群を抜き、必ず短期間でやりあげることでは過去に例を見ない人でした。

 受検をするというのに、適当に弛めるなどいうことがわたしには到底理解できないことなのです。

 試験は他人の百倍の集中力で乗り切る、これです。

 ◎小学生という実は将来を決めてしまう時期を徒過することの意味

 竹の会では、竹の会に入会する推奨時期を小3の2月としています。小3の2月から小4のぎりぎり7月までが限界かもしれません。竹の会が使っている定番の入会試験問題が使えるのが、小4の4月です。この時期にA合格(6問中5問正解)、S合格(全問正解)する子なら99%小石川がとれると思います。この試験に小5でA合格は当然で、小5で準合格もとれないというのはかなり問題が深刻です。過去には小6で0点とか、不合格などが続出しまして、しかもそういう子たちの中には小4から大手に行っていたという子も多く、竹の会の試験が難し過ぎるのかと思ったこともありましたが、小4早期の子たちがA合格をとる例が続き、ようやく竹の会の試験に落ちるのがおかしいという結論にいたりました。

 そもそも小学生を学年で区切って教科内容を決めるというのは、能力をまったく無視した、強引な教育です。訓練すれば理解できる子にはどんどん前倒しで訓練していき、能力を伸ばしてやるのが筋でしょ。竹の会に小5や小6になって訪ねてくる子のほとんどが大切な小4期を無為に過ごして、もう手遅れの小5、小6ばかりでした。大手に早くから行っていたという子もいましたが、手遅れなのは変わりません。いったい親たちは何をどう考えているのか、とよく思います。男の子に多い、下手くそな字にも辟易としています。どうして小1のときに字をつきっきりで根気よく丁寧に書くことを教えてこなかったのか、英語やその他の習い事、稽古事には妙に熱心ですが、小5、小6になってまともな字が書けない、ということほどその子の未来にとって暗雲立ちこめることはないと思います。まず字が形だということがわかっていない。殴り書き、つまり形がない、早書き、つまり丁寧さがない、美的意識も欠落、文字が人に読んでもらう手段だという意識も教育されていない、いったいこれはどうしたことなのか。

 わたしから言わせれば、小3、小4期にどこやらの塾に行くこと自体、無駄なように思える。特に、大手は意味がない。これは過去に竹の会に大手からきた子たちを実際に見てきて言っています。大手にいたことが何かの糧になってない。竹の会に来ればみな振り出しからです。

 わたしのような指導が東京のどこかであるのか、わたしは知りません。ただひとつだけ言えることは竹の会のような指導こそが今小4期の子どもたちに是非とも必要な指導にまちがいない、わたしにはわかります。なぜ竹の会の子たちは自らの意思で考えるというスタンスをとるようになるのか、なぜ竹の会の子たちは勉強が好きになるのか、なぜ竹の会の子たちは竹の会が好きになるのか、いつも言われてきたことですが、竹の会の子どもたちは、竹の会で初めて勉強というものがわかった、だから楽しくてしかたないのです。指導の日が楽しみでしかたない、それはわかるからです。わかるから楽しい、小学生というのは、訓練していくものなんです。言葉でわかるのはずっと先のこと。まず訓練、型を学ばせる、型とは思考の型です。思考の型はわたしが考えました。子どもたちは今では型を訓練するところから入っていきます。訓練を重ねるうちに思考の型が身についてくる。いつしか型で考えるようになる。自分で意識しないのに型が動く。いつしか型も意識することなくただ考える。子どもたちはいつしか考える人になる。なんでも考える。じっと考える。考えるのがあたりまえになる。竹の会はそういう塾です。

 わたしはまだ小4早期の子たちを募集はしていますが、この竹の会がどこまで続くのかは正直自信がないのです。小4期の子たちが小6の受検まで竹の会があるのか、竹の会がそこまで続くのか、全く自信はないけれど、今このときに、竹の会の指導技術をとにかく子どもたちに生かしておきたい、そういう願いしかありません。わたしが今の指導技術を完成させるのに要した三十数年の歳月の所産をわたしに残された時間がある限り生かしたい、ただそう思っているだけです。

 ある日突然わたしの身体がもうダメです、という日が来ると思います。そのとき竹の会はこの東京で三十数年間存在し、そして、静かに消えることでしょう。

 

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