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2017.01.19

 おはようございます。今日は青空なしです。低温の中、子どもたちは元気に姿を見せてくれます。もっとも体の変調を訴える子も時折出ています。とにかくこの時期はちょっとした油断から体を冷やせばたちまちウィルスの侵入を許すことになる、ということでは誠気の抜けない季節です。

 1月も残すところ10日余りとなりました。この1月限りで小6は卒塾の運びとなります。竹の会ではいろいろな意味でひとつの区切りとなる月です。2月から「渋谷B」が時間を増やしてスタートします。指導時間では「渋谷A」に遜色ないものとなります。「渋谷B」のほうが指導回数で勝りそれだけ子どもたちと接する機会も増えますからより細やかな指導を可能とするはずです。「渋谷B」の体制なら十分に合格者を出せると思います。それに「渋谷A」は空席が出れば募集するという体制が続くと思いますから、現在竹の会に入るならまず「渋谷B」に入ることです。A合格なら将来「渋谷A」への道もありうる。

 特に、「渋谷A」では、厳しく勉強姿勢、いわゆる勉強の「気」というものに気を配っておりまして、勉強にかける姿勢に問題がある、つまりは勉強に集中しない、何のために塾に来ているのかと疑問を呈したくなる、そういった生徒には敏感に反応しております。特に、指導時間中におしゃべりをする、竹の会では禁止されているお菓子を持ち込んで食べる、他の生徒の勉強妨害をする、ふざける、暴力的になる、ちょっかいを出す、マンガを持ち込む、マンガや小説を読むなどのことについては、退塾も当然ありうることを示唆して警告しています。また課題を全く出さないというのも勉強姿勢そのものにかかる問題として認識しています。28年卒業の小6の中には結局課題をいい加減に終始した生徒がいましたが、後々考えてみますと、習い事、稽古事、趣味などが理由であったようです。こういう子が受かる蓋然性は低く、それならそもそも竹の会に通うことに意味があったのかということにもなってしまいます。また課題をほとんど出さないという子は家庭での勉強姿勢にも懐疑的にならざるを得ないわけで、親御さんも当然把握している、との認識です。少なくとも課題を全く出していない、という状況について、親御さんが全く知らないということがありうるのだろうか。小5の親御さんには熱心な方が多いようで、課題レジュメを毎回細かくチェックしていることが窺われます。何か抜けているとすぐ次回にはその旨のメモ書きが入っていたりします。課題を出せないほどに習い事や稽古事に時間を取られるというのであれば、もはや竹の会にこだわる意味はない、少なくともお子さんにとってもはや竹の会は必要とは思われない、そう思います。

 2月は竹の会は区切りの月です。例年なら新規募集が始まります。もっともいくら募集してもほとんど入会者なしというのが一昨年、去年の竹の会でした。本年は、「渋谷B」ついて、新小4(現小3)限定の募集を実施する予定です。まだ「お知らせ」がアップされていませんが、今週末には出るはずです。「渋谷B」は定員15、「渋谷A」は18としてスタートです。

 新小4については、「入会試験Ⅰ」を使用します。竹の会ではもっとも信用性の高い試験です。現小3、つまり、1月、2月、3月時点での小3につきましては、「入会試験Ⅰ」よりも少し易しめの「入会試験ゼロ」を本日作成する予定です。読み取り能力を重視し、より思考の機微を問える問題に作りかえていく予定です。入会試験のお問い合わせについては、竹の会のお問い合わせフォームからのみの受付となります。通常は土曜日の14時を試験日としております。小3につきましては、今がチャンスかもしれません。4月からは「入会試験Ⅰ」が使われるからです。「入会試験ゼロ」はそれよりもレベルを下げております。

 注 「入会試験Ⅰ」については、これまで小4の2月から小5相当として使用してきましたが、実は、小5でこの試験に多数落ちています。逆に、小4でもA合格が多数出ています。小5、小6では実はA合格当然なのかと思います。現在竹の会では、小5以上向けに「入会試験Ⅲ」を製作していますが、これに合格するのは逸材に限るでしょう。

 ◎勉強の「気」

 正直勉強に「気」のない子の指導は疲れるばかりである。字が汚い、読みにくいというのも「気」を削がれるが、レジュメひとつも出す態度がだらしないというのは正直退塾を考えることもある。いくら説明しても修正できない子というのがいるけれどこれはもう指導に適さない。世の中には、教えた通りにしかできない子、教えた以上のことがやれる子いうのがいるものであるが、前者は伸びないと相場が決まっている。わたしが言っているのは、教えた通りにもできないという子です。これはもう竹の会の指導の対象ではない。竹の会の入会試験が後者の「教えた以上のことをやれる子」を選抜しているのは当然として、伸びる保証のない前者タイプの子を預かった場合、正直基本的なものを修得させるだけで限界なのではないかという本音はある。これは中学では深刻である。中学は定期試験による審査が常にあるから、できない子というのは、すぐに明らかになる。親はその度に飛び上がる、「塾にやっているのに」と不満も出てくる。中学はだからだれでも引き受けるということはできない相談である。「教えた通りにしかできない」子というのは、中学では伸びない。定期試験でも成績がとれないのが通常である。数、英で70点、理社は60点とか、そういうところで推移する。だからわたしもそういう子を引き受けることはない。竹の会の中学生は「5」が9科目中4個前後というのが指導を認める条件である。現在そうなっていない生徒は黄信号です。ちなみに中1にはオール5という生徒も1人いました。ただだから秀才というわけでもない。竹の会の中学生なら普通です。

 竹の会でわたしが「これは退塾しかない」と決断するのは、子どもに勉強の「気」が全くと言っていいほど見られない時です。できないながらも本人なりに熱心に取り組んでいるような子はたとえできないとしてもこれは「なんとかしてあげなければ」という気にわたしもなる。入会試験に合格しないで入会したという子が何人かいますけど、そして中にはなかなか進まない、時間のかかるという子はいますけど、わたしはそういう子たちがとにかくその子たちなりに必死に頑張っている、勉強しているというところで心を動かされる。「気」を感じとるわけです。しかし、そういう子から勉強の「気」が消えたときは、それはもう終わりの時なのだなと思うわけです。できる子、頭のいい子でも勉強の「気」のない子はだめです。

 ◎空腹という自然薬

 傷を癒やすには空腹がいいのだという論には心惹かれます。「腹が減っては戦はできぬ」という言はよく出てきますが、腹一杯食って戦えるのか、と思ったりもします。すると、「嗜む」程度がいいのだとか、「腹八分」などという声も聞こえてきそうです。兵糧攻めというのがあるとおり、食糧は兵には不可避です。食べなければ戦えないというのも論理です。満腹になれば眠くなることを思えばやたら食べるというのはやはり何かをするというときには向かないのではないか。帆掛け船に荷物満載というのと、空船とでは、どうであろうか。満腹丸はやはり沈むのではないか。空腹は身が軽くて動きもいいということにはならないのか。腹が減りすぎて集中できないという人がいる。こういう人は腹を満たせばそれはそれで注意散漫になり結局集中しないのではないか。それよりも人間の体というのは、不思議なもので、そういうことに「慣れる」、「慣れてしまう」という特性があるようだ。だから慣れるまでの辛抱だということになる。

 病のときには空腹がいい、というのは真理のような気がする。病気で食欲がないのに、「食べなければ体力がつかない」などということを言う人がいたけれど、食べないという体の反応はそれが実は自然の回復作用のひとつの表れということではないか。動物は悪いと決して食べないという。じっと横たわって動かないという。それが自然の治療なのではないか。食べられなくなった老人を点滴や胃ろうでつないで栄養剤を血液などに流しこむ、これが何をもたらすか。本来使われるべき内臓を使わないままにするということが何をもたらすか。退化だけではなかろう。体内に棲むと言われる夥しい微生物を死に追いやることのもたらす意味など人間の想像をはるかに超えた事態をもたらすことなど容易に想像がつく。だいたい近頃の医師の想像力の欠如は害悪しかもたらさない。医師はまず誤診する。それからその誤診を知らん顔して次の処方をする。そもそも原因なんも予想するだけだから、的は外れるのが相場なのである。それに最初にした自分の診断を途中でそれを否定する証拠がいくら出てきても押し通そうとする。これは患者にはたまったものではない。医者は偽言しかつかないと思っていたほうがいい。いや医者だから嘘をつくのである。大企業だから嘘をつくのである。大手だから嘘をつくのである。弁護士だから嘘をつく。テレビのコメンテーターなんて偽言で飯を食っている職種である。組織人は当然嘘つきである。組織としての建前から公然と嘘をつく。政治家が嘘つきなのはだれでも知っている。「かつて自民党は強行採決など一度もやったことはありません。これだけは明確に申し上げておきたい。」と言った首相の考えてる強行採決とはどんなものか。機動隊でも導入して採決するというイメージなのか、いやそれ以外考えられない。

 想像力のない裁判官が致命的な欠陥を具有していることは疑いない。福島の原発訴訟で東電の宣伝パンフをそのまま原発有益論の判決根拠とした裁判官たちがその後の原発事故に際して、たいていすでに福島から転勤していないのであろうけれど、何も語らない、沈黙しているのは、彼らの社会が偽言社会であることを暗に示している。テレビで弁護士が話しているのを見ているとこの人たちがまた偽言社会の人たちであることに思い到るのはわたしだけであろうか。

 空腹というのは、薬です。天が与えてくれたもっとも優れた薬です。

◎渋谷竹の会、渋竹

 早稲田アカデミーは、「早稲アカ」と略される。日能研ももともと株式会社日本能率進学研究会という長々しい名称からきている。サピックスはサピと呼ばれる。さてである。渋谷竹の会は「渋竹」でいいのではないか、と勝手に妄想してみた。ところでその呼び方であるが、「しぶたけ」ということになろうか。

 

 

 

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