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竹の会レジュメの精神

2020.11.28

 

◎竹の会レジュメの精神

 スッと頭に入ってくる本というのがあります。
 ごちゃごちゃして、頭に入りにくい、要は、面白くない本というのがあります。
 面白くない理由は、専門的過ぎて何を言っているのか、わからないということがある。あるいは、自分のレベルが達していないからということももちろんある。が、世の中には、本当に文章を書くのが下手くそな人間もいるから、確かに、ダメな著者の可能性もある。
 団藤「刑法綱要(総論)」は、専門用語の予めの理解がなければ読むのは不可能と思う。昔の人はよくこういう本を読んでいたと思う。前田傭「会社法」は、一文が長過ぎておかしくなる。一文が1ページを超える文が多く、数ページ続けば読む側のストレスは限界を超える。主語のかかる述語を探すのに、何ページか先にあるなんて考えられない。これで主語を省略されたら、もう何を言っているのかわからなくなる。悪文の最たるものであろう。神戸大の河本教授の会社法の論文集は論理的で主語の省略もなく、一文は短く、心地よい読み心地であった。同じ法律の文章でも著者によってここまで違うとこりゃー読む側の能力のせいばかりとは言えないのではないかと疑念が湧く。東大の鈴木竹夫の「会社法」は200ページほどの体系書だった。簡潔過ぎて含蓄があり過ぎて、名文と言われたが、読み解くにはかなり時間がかかったことを記憶している。
 わたしは法律の本を読むことを通して、読む経験を重ねてきたように思う。読んで、すーと頭に入ってくる文章に出会うととにかく心地よい。わたしの理解の細胞の一つ一つに満遍なく染み渡るように、染み込んでくるような気がした。
 世の中には、真に、「何を言っているのか、わからない」本が、溢れている。わたしもタイトルに騙されて、あるいは著者の肩書きに騙されて、あるいは確かな出版社だからと勝手に思い込んで、どうでも本を買ってしまったことはいくらでもあった。昔は書店で立ち読みして、品定めということもできたが、いやそれでも内容はたいしたことはなかったという失敗はあったが、今はアマゾンで買うのがほとんどになったためなおさら難しい。タイトルと著者は重要な決め手であるが、レビューも参考になる。ただレビューを書いた人の学歴、職業、性別、年齢で意見も変わるから、これも斟酌しての、選別となる。
 私がめざしたのは、スッと頭に入るレジュメであった。簡潔に書くというのは当たり前として、一目見て、何が問題か、何が重要か、要点がわかるように書くことを心がけた。だから図を駆使した。竹の会のレジュメが、変わったのは、平成17年を創始とする。あの年から、わたしはある数式ソフトで私の想い描いたイメージを表現する、描くことができるようになった。それまでワードでかいてきたレジュメは、コペルニクス的転回を遂げた。このソフトは確か平成16年か、15年にたまたま量販店で見つけて、高かったが、買った。それから1年以上放置されていた。時々試しに使って試作品を作ったりしてきた。平成17年に都立西志望の中1が入ってから、それまで竹の会で長く使われてきた、竹の会オリジナルテキストの数学体系を全面的にレジュメ化する大事業に取り組んだ。使い慣れない数式ソフトとの悪戦苦闘が始まった。この数学体系は、平成19年の春には、完成し、わたしは今度はこれまで書き溜めてきた高校入試の過去問の解答、解説のレジュメ化に取り組んだ。わたしのレジュメで指導したその女子は無事西に合格、豊島岡女子にも合格した。同年同じレジュメ指導の男子が立教、桐蔭理数に受かり、彼は東大文IIに進んだ。西に進学した女子は、お茶の水女子大に進学した。
 わたしは、平成18年から、公立中高一貫校の指導に取り組むことになる。このあたりから、やはりワードでレジュメをいろいろ試作してきたが、算数については、数式ソフトを使ったレジュメにも取り組んで、技術を、磨いてきた。転機は平成24年の指導で訪れた。この年に初めて小学生のために数式ソフトを使った算数と適性レジュメの制作に取り組んだ。ちょうどこの年から入会試験がスタートして、わたしは適性問題を検索しながら、数式ソフトによる入会試験問題の制作に挑戦した。これが契機となり、わたしはその流れで次から次へとレジュメの制作に取り組んだ。最初のレジュメ集のタイトルが、「竹の会入会試験第1類」となっていたのは、もともと入会試験のつもりで作っていたのが、百枚、二百枚と枚数が増えていったものである。わたしの操作技術も格段に上達し、わたしは想い描いたイメージを次から次に精緻な図やグラフにすることができるようになった。シリーズは、「第2類」「第3類」「第4類」と膨大な量になっていった。それからさまざまなレジュメシリーズが完成していった。
 頭にスッと入るレジュメ
 私の関心は、いつしか算数の難問へと向けられる。灘中、麻布中、早稲田中、開成中などの第6問を軸として読み解いていくシリーズの執筆に入った。寝ても覚めても問題を解き、解法の研究に没頭した。このレジュメは、「推論算数」シリーズの最終巻として位置づけられている。
 今年は、新しい算数レジュメを多数執筆しているが、指導を通して、新しい解法を多数発見している。これまでの難解だった解法の多くが、新たな解法発見により、より算数を身近にすることに寄与するにちがいない。子どもたちには朗報である。スッと頭に入る教材は長年の竹の会の夢であった。昭和60年発足当初は、ワープロ専用機が出始めて、たちまち広がった。わたしも7,8機は使い潰した。今ある「英語指導案」や「心の指導」などはワープロ専用機で書いたものだ。あの頃、教材を作るのに、図やグラフが思うようにかければとどれだけ思ったことか。ワープロ専用機からパソコン時代に時は遷り、しかし、それでもわたしの夢は果たされることなく、暗黒時代が過ぎた。パソコンが進化し、ソフトが進化して、わたしは、ようやく女神に出会うことができた。それでも最初は、わたしの習性であるのだが、しばらく放置されたまま、本格的に使いこなすようになるまでに1年以上の歳月を必要とした。竹の会が大手や出版社の教材に引けを取らないまでに成長できたのは、すべてわたしが女神と崇めるソフトのおかげと思う。数式ソフトやOCRソフトなど、わたしは様々な科学技術の助けを借りて、竹の会の理想を夢を実現させてきた。竹の会のレジュメの精神は、昭和の終わるころの竹の会の夢にあったのだと思う。

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