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中学受験 高校受験 受験相談 渋谷で創立30年

世の中には、バカ教師、バカ塾のバカ先生、そしてバカ親がいるということ

2016.03.03

 おはようございます。都立高の合格発表から一夜明けても睡眠はそれほどとれませんでしたが、体全身から心身を縛り付けていた糸が一気に雲散霧消したような感覚に満たされております。

 今回ほど心身に負担のきた入試はここ何年かは記憶にありません。高校入試、特に都立高校入試には長い経験があるとはいえ今回はいろいろと突き詰めていく中での不確定要素に悩まされました。

 わたしの場合はひとりひとりの生徒の掛け値なしの「裸の実力」というものをリアルに突き詰めていくという手法をとります。文京高校ということになりましたが、実際はそれより上の都立ももちろん本人は希望していたわけです。最終判断はわたしがしています。そういう判断というのは責任の重い判断です。ネットには、ある母親が「誰か助けて!」と悲痛な叫びを訴えていました。娘が都立を落ちた、と訴える母親は、「学校の先生も、塾の先生も、内申は100%大丈夫だから、当日80%とれば合格」と言われたのに、娘も「できた」と安心していたら、落ちた、というのです。「これから、自宅からも遠い、校則も厳しい、行きたくもない、低い私立に行かなければならない」、「娘は泣き崩れ、私も泣いている」という訴えです。ちょっとわからないところだらけです。「内申は100%大丈夫」というのは、まあ、内申は十分足りてる、という主旨なのでしょう。「当日80%とれば」というのは、500点満点で400点という意味なのでしょうか。それにしても、なんとも大雑把な話しです。そもそも学校の先生はなにもわかっていない、はずです。その子の実力なんか知るはずがないでしょ。ネットには、「学校には、過去の合否の記録があるから、学校の先生に相談するのが一番いい」などとアドバイスして、これがベスト・アンサーなのだそうです。アホか。それに塾の先生の「80%とれば」というのはいったい何なのか。なぜ「%」なのか、もっと具体的に「何点」と言えないのか。それに当の生徒の「できた」というのは一体何なのか。自己採点しないのかよ、と突っこみたくなります。今は、本番当日の夜にはもうネットで解答速報が出回っています。自己採点できるでしょ。

 だいたい塾の先生というのが、いったい当の生徒の素の実力をどれだけ把握していたのか。

 わたしは、英語なら本番で何点とれる。数学ならこの点数だろう、国語は何点、理科は何点、社会は何点、とほぼ正確に生徒が取るであろう点数を言い当てることができる。それは、理科なら理科で、過去問を使って、解かせては、バツで力を推し量るということを地道に何回も何十回も検証してきたからだ。数学の共通問題ならこの子の力では70点とれる、とわかる。その子が本番でわたしの想定した点がとれないとき、それはその問題が例年に比べて「難しかったのだ」とわたしには判断できるのである。それほどにその子の素の力というものを把握しきっているからである。わたしは「バツ」で力を測る、検証する。「バツ」が赤裸々にその子の巣の力というものをわたしに教えてくれる。

 今年の女子生徒は、とにかく理科、社会が取れなくて苦しんできたのである。だから、数学に時間をかけられなくて、そちらの「苦」も計算に入れなればならなかった。VもぎでもW合格もぎでも結局最終の1月の模試でもわたしは確証を得られなかった。とにかく手を尽くした。「手を打って」、「バツ」の数を診る、そういうことを繰り返してきた。わたしが「OK」を出したのは、本番7日から4日前だったであろうか。「これならいける」と確信をもてたのはぎりぎりであった。

 もうひとつ難題があった。その女子生徒は、VもぎもW合格もぎも、それぞれ5回ずつ受けている。これまでの竹の会の例では、W合格もぎは受けることはあっても1、2回程度で、竹の会は、業者テストが公立中から追放されて塾を対象にするようになってずっとVもぎできた。わたしはVもぎで入試指導をしてきた。それで大過なかった。ところがである、W合格もぎを受けさせてみてわかったのは、両もぎの合格基準点(合格可能性60%)があまりにもかけ離れていることである。例えば、文京を例にとれば、W合格もぎの合格基準点は785点であるのに対して、Vもぎのそれは760点である。仮に、本番で770点自己採点で取ったとして、どうなるのか、である。Wの基準なら確実に「落ちる」判定である。これもネットでよく見る話しであるが、文京志望のある女子生徒の相談に「塾の先生に文京受けたいと言ったら、410点以上とれなければダメだ」と言われて、「どうしょう」というのがあった。

 410点といったら内申にもよるけれど、駒場とか、青山の話しでしょ。その塾の先生というのは、Wの基準で判断して疑わない、ということは予測に難くない。もしそうだとしたら、Wもぎを採用している塾だと生徒にかなり低いところを受けるように指導しているということになる。そのネットのアンサーには、在校生からのものがあり、「ふかせすぎでしょ。オレ370点だったよ。350点で受かったヤツもいたよ」と書きこんでいた。

 文京の合格基準点が、785点であるわけがない。Wには、前年度の受験者の平均点として765点と記載もされていた。Vの基準点はそれよりも低い760点である。平均点といっても、平均点に近い点数をとる者がたくさんいてはダメですが、高い点と低い点がバランスよく散らばっているなら、受験者平均点の765点より低くても「受かる」はずです。なぜって、倍率が、2倍に満たないならそうでしょ。半分は受かるのなら、平均点で二分されると単純に考えていい。だから平均点よりやや低くても受かるということになる。

 さらに、今年のように、数学がやや難しい、理科が難しい、ということになると、全体の点数も下がるから、合格基準点も低くなるはずです。そういう見合いからわたしは、内申にもよるけれど、350点あたりが合否ラインなのかなと思ったわけです。

 しかし、W合格もぎの基準では、そういう推理はまるで成り立たない。わたしはこのWの基準に合理的な説明ができるのか、発表前日に悩んだ。それでいくら考えも堂々巡りで結論が出ない、いやWだと落ちる、そういうことになる、それで寝れなかったのです。

 独自校ならVもWもない。もっともVの独自校模試では、独自問題ごとに合格基準点を決めているのでその意味では参考に値します。ただわたしがもっともたよりにしたのは、データの量がそろっているZ会の資料です。あれはかなり正確に合否を予測できます。ただそれも自己採点の結果が正確でなければならない。だから今回の戸山ではその自己採点の結果のとおりなら「受かっている」と判断したのだけれど、それでは、その自己採点を鵜呑みできるのか、そういう悩みが尽きなかった、というわけです。いずれにしても、この2人の合否予測でわたしの心身はかなりに消耗してしまいました。慢性的な睡眠不足です。終わってもまだ眠れません。発表前日はほとんど睡眠は取れていなかった。そういうことを知らない方たちは、竹の会の結果だけを見て、いろいろ判断されるのだと思いますけど、わたしには体に堪える、極限まで追い込められた日々でした。

 内申点の意味について少し述べておきます。満点が1000点で、そのうち学力点が700点、内申点が300点です。今年から、選科は2倍になりましたから、素内申の満点20×2=40に主要5の内申合計25を足して、65です。300点÷65=4.6ですから、およそ内申1あたり5点弱です。文京なら文京で受験する生徒というのは、偏差値から判断して実力的には拮抗した子たちが集まるはずです。文京のように駒場や新宿、三田レベルに本来なら入れる内申を持っている子たちが、慎重に構えて、文京に滑り込んでくる、文京とはそういうところです。先ほどのW合格もぎの塾の先生だと駒場に行ける子も文京に行くように指導するでしょ。こうして文京の生徒の質は上がり入試も実質的に難関になるというわけです。こういう実力の拮抗した生徒たちが集まる試験だと、内申1あたりの5点というものの持つ重みがかなりに大きくなるということがおわかりでしょうか。

 さて、生徒の素の力というものを全く知らない、もぎだけで総括的に、大雑把に「%」で進路指導する学校のバカ教師、そしてこれも同じく生徒の巣の力を現場で接していながら、形式的にしか知らない塾のバカ講師、バカ塾長、そしてそういう塾の先生の言葉を鵜呑みのして、概括的な取り組みをするバカ親、というものの実態を説明できたでしょうか。

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