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中学受験 高校受験 受験相談 渋谷で創立30年

中学では決して伸びていかない根拠

2015.11.21

 おはようございます。今日はいい天気となりました。気温は11℃。東京には緑が少ない、だから晩秋の香りを風景で感じることはなかなかできそうもない。2年前だったか、京都の紅葉が見たくてしかたなくて出かけたことがあった。今年は日程が詰まって身動きがとれない。やがて師走である。緊張と不安がない交ぜになって押し寄せる。12歳の心には耐えがたい抑圧した時期に突入する。ともすれば勉強を蔑ろにしてきた子らには押しつぶされそうな期間かもしれない。勉強とはそんなに軽いものなのか、いつもことあるごとに犠牲にする子、家庭は多い。小5の時期だとなおさらであろう。しかし、わたしの見てきた合格する家庭というのは、勉強するということにほとんどブレのない家庭であった。これだけは不思議と変わらない。

 わたしが失望するのは、勉強に優先する、つまりは平気で勉強を犠牲にする家庭のありようだ。「お盆だから」「お正月ぐらいいいじゃない」「大切な法事だから」「楽しみにしていた家族旅行だから」「合宿はしかたない」・・・避けられない、二度とない、今機会を逃したらもうない、次から次に勉強は犠牲にされてきた。限られた時間をどう使うかは、いやどう割り振りするかは、それこそ個人の、いや家庭の自由に任されている。どう使おうがだれも文句を言うものはいないし、他人が文句を言う筋合いのものでもない。その結果、受験に成功するか否かは、あげてその個人に帰せられるものだから。

 ただこれだけは言える。勉強をなにかと犠牲にしてきた子、家庭ほど試験直前になると期待をふくらませ、不安を増長させるものだ。不安の増幅は親を子を予想外の行動に走らせる。要は、そういう親子ほどジタバタするということだけど。ほんとうに勉強できるのは、いや力をたくわえられるのは小5のある時期から小6の夏までであろう。いやその時期にこそ思い切り勉強に専念して思考力をつくりあげておかねばならない。

 成功する者は実行する者である。失敗する者ほど回避、逃避する行動をとる。

 受験というのは、伸びる素地のある者のみが伸びていく。類い稀なる勉強への愛着、実行力が勉強適性である。「この子は受検には無理だったけれども、中学では伸びるかもしれない」、たまにそういう子もいる。だが、「たまに」である。よく巷の塾の阿り塾長が、「中学から伸びる」と言うのはほとんどの場合は嘘である。「この子は伸びる」と言うにはそれだけの根拠がある。今、力を発揮できなかったのは、勉強不足、精神的な幼さ、未熟さからである。ときおり見せる、能力の片鱗、そういうものがわたしをしてそう判断させるのである。わたしをしてこう言わしめた子は必ず中学で伸びているからわたしの根拠は判断は正しい。

 わたしたちは中学に何を求めるのか、高校に何を求めるのか、そして大学に何を求めるのか。

 それは、「よりいい勉強環境」であるにちがいない。都立戸山高校に入ることができればその勉強環境は他の低偏差値の私立、底辺都立、さらには比較的上位の都立さえも及ばない勉強環境に恵まれる。暴力的なレベルの低い級友もいない。いじめもない。向学心に溢れた級友たちが物静かに学ぶ環境がある。質の高い授業についていけない生徒はもちろんいるけれどそれが全体の勉強の質を落とすことは決してない。わたしたちはそういう勉強環境を求めて、質の高い生徒が集まる学校をめざすのだ。都立中を落ちて公立中へ行けば、大半がバカばかりの集団に身を置くことになる。内申で理不尽を振りかざすバカ教師もけっこういる。とにかく耐えて、いい高校にいくことである。それはもちろん勉強環境をもとめてのことである。都立西高校、都立戸山高校などの進学重点指導校でもトップ校をめざすことである。

 大学は、まず旧帝大をめざすことである。単科の国立なら一橋や東工大がいい。私立なら早慶である。東大や京大から国家公務員試験の合格者が沢山でてもそれは秀才だから当然と思うかもしれない。別に東大や京大に行ったから受かったのだとはだれも思わない。もともと頭のいい人たちだからと納得するにちがいない。

 司法試験や公認会計士といった最難関とされる国家試験の合格者の出身大学には早慶が名を馳せる。中央の法は昔から有名である。司法試験はロースクール制度になって合格者は1500人以上で格段に合格しやすくなってしまったけど、公認会計士試験は昔のままに最難関だ。ここで翻って考えみてほしい。慶應に行ったから、早稲田に行ったから、国家試験に受かったのか、と。

 大手の進学予備校だと、早稲アカやサピックスがある。河合塾や駿台は昔からある老舗予備校である。最近は東進ハイスクールなどもある。有名講師がテレビに出たりする。大学入試はさておいて、高校受験はどうであろうか。早稲アカに行ったから、慶應高校や早稲田実業に受かったのか、ということである。ここに大きな思い違いがある。そういうところに行ったから受かったわけではない。もともと優秀な子たちがそういう場に居合わせただけにすぎない。もともと優秀な子が受かったのである。だから大手予備校は「できる子」を集めるのに必死になる。別に予備校がバカを利口にできるわけではない。ところが、世間の親たちは、これができると微かにでも思っている節がある。

 だからわたしはだれでも指導すれば進学重点指導校に合格させられるなどとは思っていない。竹の会の入会試験は訓練されていない、思考というものがまだ形成途上の、未熟、幼さを残しながらも、指導すれば伸びるであろうという子を発掘するのに最良の試験として完成した。なぜこんなにも勉強しなければならないのか。それはあなたたちがよりいい環境の学校へ合格し実際に行ってみれば自ずと答えがわかることである。都立西高校、都立戸山高校へ実際に合格してその身をその勉強環境に置けば、そのすばらしさがわかるはずである。行く高校によって全くちがう世界がある。だからわたしたちはよりいい環境の高校に行きたいと思うだけのことである。

 見えてきたのは何ですか。 塾とは、勉強を愛する子、家庭に、よりいい勉強環境の学校へ子どもが入れるように、その子どもが是非とも持たなければならない思考の力に目覚めさせてあげるところでなければにらない。知識を教えることでは叶えられないのになぜ大手の塾は知識ばかりを安売りするのであろうか。

 聞くところによると、千代田区にはエナの教室が進出し、区内枠の倍率も4倍になるかもしれないという風聞が流れているそうな。しかし、エナに通う子なら少しも恐くないでしょ。

 

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