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中学受験 高校受験 受験相談 渋谷で創立30年

九段中等、桜修館、両国という選択/竹の会数学の系譜/都立西、戸山、新宿という選択/高校受験を誤解する親の末路

2016.05.09

 おはようございます。大型連休も終わり、人々のささやかな安らぎの日も過ぎ去り、また仕事に戻り、学校も始まり、営々といや黙々と人々は日々の暮らしに勤しむことになります。次の連休は、お盆になるのでしょうか。3.11の地震、津波の後、市場には熊本産の野菜、果物、魚介類が席巻しておりましたが、その熊本を今度は地震が襲いました。活断層の真上だけでなく、近くも被害が甚大であることが読みとれる、それなのに原発はなぜ安全と判断されるのか、政治的判断というのは、経済を人命に優先させることであり、生命の拠り所たる大地を一瞬にして人の住めない死の土地にしてしまう原発事故をこれほどまでに軽く扱うことがどうして許されのか。この狭い日本の国土の中に人の住めない地域を平気で作ってしまい、しかもその責任をだれもとらない、そういうことがありうるのか。日本一緑豊かな福島の地を死の地にした国会議員、政党、官僚、裁判官、地方議員、地方官僚、学者、東電幹部、だれひとりとして自らの責任を語らない、そんな世の中であっていいのか。この不気味な無責任構造に暗澹たる思いをいだき、懼れおののきつつ、何もないことを祈るしかない、今日も何もないことを祈るしかない。

 竹の会では、昨日は、Aの指導日でした。実は、金、土、日と連続して、入会試験を実施しました。小5が2名、中1が1名です。正直、落胆しました。合格者「なし」です。合否の判断はシビアです。おそらくわたし以上に落胆されたであろう、子の将来を憂う、母親の気持ちは痛いほどわたしの胸に堪え、小5については、救いの手を差し伸べることにしました。受検は無理として、近い将来の高校受験を考えての少なくとも基本訓練をする、そういうことでB入室を許可しました。小5の今しかない、基本訓練のタイミングを逸したら、もはや転がるように落ちていく、そういう危機感をもたれたに違いない、さて、そういうときに、塾をどうするか、そういう問題に突き当たる、竹の会しかない、そういう思いが痛いほど伝わった。いや入会試験に落ちたということはもしかしたら指導そのものが困難の連続なのかもしれない、そういう危惧を抱きながらも、救いの手を差し伸べるしかなかった。子を思う母の愛は際限なく深い、そういうことをわたしはいちばんよく知っている。今は亡き母の愛をわたしはいちばんよく知ってきたのだから。わたしはこのブログで大手や大手信仰の母親の悪口ばかり書いていますが、子どもたちを思う母親の気持ちには実は弱い、気持ちが痛いほどわかるだけに弱い。

 ◎中学という悪夢のベルトコンベア

 基本的な学力を身につけないままに、近くの個人塾、大手塾に通いながらも、基本的なこと、計算力、割合、思考力、勉強のスタンス、習慣、そういった勉強の基本的とされる要件をなにひとつ身につけないままに、当然に受検などは成功するはずもなく、予定されたとおりに、区立中学へ進み、問われるのは、基本的なこと、なのです。勉強習慣、スタンスというものを身につけてこなかった代償は大きい。中学というところは、学習の進度が文科省によって決められている。最低の進度というものがある。今の中学というのは、都立高校受験でさえも対応できないほどに遅々たる進み具合であるが、それでもその遅々たるベルトコンベアに余儀なく乗ればもはや停止して基本から訓練し直すなどということはできない。これが小学4年、5年、6年を大手で過ごし、あるいは塾なしで過ごした子たちの抗えない運命のロードなのである。 

 入学して、6月には中間テスト、7月には期末テストと学習理解が問われる。このときに、計算力のない者は、正負の数、文字式の計算で苦しみ、割合を理解しない、思考力を形成してこなかった者は、正負の数、文字式の文章問題にすでにして躓く。入学するとすぐ部活に入り練習に明け暮れる、もともと勉強の習慣のない、スタンスのない子が、部活に明け暮れれば、もう先は見えている。ベルトコンベアがそのまま予定の地点へと運んでくれる。低偏差値私立高校がそういう子たちの最終学歴となる。いやもしかしたら中卒が最終ということもありうる。

 図々しくも高校受験は、「駒場に行きたい」、「新宿に行きたい」などと親は期待し、本人も口にする。それで部活やってれば世話はない。そういう親子が、駒場などに行ったなどという話しは寡聞にして聞いたことはない。そもそも内申にしてもよくて「3」がオンパレードが関の山で、どうしても都立と言えば、底辺都立、そこは茶髪と低学力のメッカ、好環境?、ということになる。私立単願というのが、行き着くところで、中学でまともに勉強しなかった者が、選ぶのは楽な道ばかり、無試験である。楽な道ばかりを歩んできた子にがまんという言葉はない。社会に出てもまともな職などないだろうけれど、低賃金でこき使われて職を転々とする、楽な道ばかりを探そうとする、楽して稼ごうと店を開いて失敗して借金にまみれる、そういう話しは陳腐なほどある。

 特に、多いのが女の子の、しかも、よくできる女の子の親である。女の子だからという意識があるのか、どんなにできても塾にやらない。できるから塾はいらない、と考えている節もある。これが大きな誤解であることはすぐにわかる。学校で塾に行かないで、1番、2番というのが、いちばん危ない。もちろん中1、中2まで、学年1番、2番という子は頭はいいに違いない。塾に行っていってる連中よりできるのだから。

 だが、高校入試というものは、そう単純ではない。まず、学校のレベルが受験に対応していない。学校だけでいいのは、中2までである。中3になったら、塾で先取りしてきた秀才が伸びてくる。河合塾などの大手進学塾では、中2の1学期には、中3レベルの数学、英語を終わらせている。もちろんそういう進度についていけるかどうかは別で、そのなかでも真の秀才が生き残るということは織り込み済みである。

 だから、中1まで、あるいは中2まで、塾なしで学年1、2番という生徒は、普通は中3で落ちる。もし落ちないとしたら、それは天才だけである。ときにそういう天才もいる。しかし、それは超例外であり、こういう生徒を一般化できないのはもちろんである。わたしは一般論を述べているに過ぎない。

 区立中学に子どもを通わせている親の多くは、自分の子が「できる」、「学校の成績がいい」とき、塾なしでも困らないと思い、あるいはそのへんの個人塾でのんびり勉強してることに満足しているのかもしれない。なかには、中3になって、「そろそろ塾を探すか」などというおめでたい親子もそれなりにいるのであろう。こういう親たちが、高校入試というものを、頭から誤解しているのは、わたしにはどうでもいいことである。それだけ竹の会の中学生が高校受験を、特に、都立戸山、駒場、新宿といった優良校を確実にとれることに協力的なそういうバカ親子が巷に溢れていることはけっこうなことである。

 中1のときまで、あるいは中2、中3になっても、内申がよく、将来は、日比谷、西、悪くても戸山だと目されていた学校のトップクラスの優等生たちが、駒場さえも諦めて、広尾あたりまで下げていった例なら、ここ最近でも何例でも知っている。高校受験の現実というのはそれほどシビアである。優等生を自認した生徒たち、安心しきった親たち、日比谷、西と騒がれたこともある、それがふたを開けてみれば広尾、目黒にまで落ちていく、これはどうしたことか。親の脳天気、誤解と誤判断、そういうことでしょ。優等生が陥る都立の罠、第一志望の戸山に落ちた子たちが、落胆して、親や塾の先生か、電話する姿はいくらでも見てきた。そういう子たちはきっと「できる」、才能豊かな子たちであったのだろう。しかし、これから行く学校は、希望の都立とはあまりにもかけ離れた、落差のひどい、私立高校なのである。制服に誇りも持てない私立高校に、都立の十倍ものお金をかけて通うことになる心情というのはどういうものであろうか。戸山の発表の帰り道、地下鉄のホームに泣く女子生徒、それを見つめる母親、難しい顔をしてうつむき加減の父親がいた。父親にはこれから通う私立に払う費用のことがあったのかもしれない。母親は娘が哀れでいたたまれない気持ちなのであろう。都立に落ちるということはそういうことである。まるで人生の岐路、落ちた者の歩む人生は最初から暗い、飽くまでも暗い。

 高校受験というものを甘くみてはならない。特に、自分の子ができると思っている親は要注意である。高校受験のプロたる名にふさわしい塾を早くに選び、子を託すことを薦める。

◎竹の会数学の系譜

 昭和60年10月、高校受験の数学指導開始。昭和62年、青山学院高等部、市川高校に偏差値62の生徒を合格に導く。

 首都圏の偏差値60以上(後に50以上に広げる)の高校入試過去問10年分をほぼすべて解き尽くす。開成や武蔵、早稲田などの高校については、20年分以上を解き尽くす。毎年の高校入試に合わせて、新問題を解くから、解いた問題は夥しい数になる。問題はコピーして、解の道筋を書きこむ、時には、わら半紙解答を作るなどして、蓄積されていった。いつの頃からか、首都圏の中学入試の過去問にも手を広げる。こちらも結局解き尽くす。ある年から、青山学院高等部の生徒、新宿高校、駒場高校の生徒を対象に、英語、数学の指導に取り組む。わたしの解説は好評を博し、噂を聞いた入門者が後を絶たず。現在の竹の会英語の元となった講義ノートがおよそ2年にわたって新宿高校の女子生徒によって書き継がれた。平成10年には、中1から指導した鈴木君が早稲田実業高校に合格する。鈴木君は早稲田実業高校在学の3年間竹の会に通う。高校数学の指導をする。平成12年に竹の会から青山学院高等部に合格した女子は3年間竹の会に通い、数学と英語を指導する。3年後、得意の数学で、慶應大学総合政策と上智大学経済に合格を果たす。彼女は4年後毎日新聞社に就職。彼女は青学時代、数学、英語のすべての科目で10段階評価の10をとり続けた。平成13年、竹の会に小6からいた男子が都立西高校に合格。かれは西高校の3年間竹の会に通う。常に学年50番内にあり、一浪時代は三大模試で全国20番台をとりながら、数学でミスして結局慶應理工に進む。

 平成17年竹の会数学の集大成という遠大な計画に挑戦。指導レジュメの完成に向けて執筆を開始。これまでに書き溜めてきた数学解説のメモ、ノートを掘り起こして、高校入試数学のための戦略的、体系的指導レジュメの執筆、完成に向けて日夜没頭する。これは平成20年に都立西高校、豊島岡女子学園に合格することになる、ある女子の成長に合わせて、作っていくことにしたもの。小6からいたその生徒が中1になるに合わせて、レジュメを執筆・制作していった。その女子が中2になるころまでには、高校入試問題のほとんどを網羅するまでに完成していった。わたしのレジュメで、これだけで都立西に合格した女子生徒をもって、竹の会の数学レジュメは一応の完成を見たといえる。

 彼女が、都立西高校に進学して以来、竹の会には、子飼いの、つまり小学で竹の会を過ごした子が、1人、2人と高校入試に挑戦していった。

 平成22年 都立富士高校合格 (1名中1名合格)

 平成23年 都立小山台高校合格 都立文京高校合格、都立産業技術専門学校合格 (3名中3名合格)

 平成25年 都立北園高校合格 (1名中1名合格)

 平成26年 都立駒場高校合格 (1名中1名合格)

 平成27年 都立戸山高校合格 (1名中1名合格)

 平成28年 都立戸山高校合格、都立文京高校合格 (2名中2名合格)

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