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中学受験 高校受験 受験相談 渋谷で創立30年

今、解けないのならそれが実力

2015.12.18

 おはようございます。師走の18日。気温6℃、寒が厳しくなりました。あれほど酷かった咳もようやく治まりつつあります。竹の会でも突然の熱で一人、二人と休むようになりました。今年はさまざまなウィルスの流行が報道されていますが、幸い竹の会にはまだそうした事態にはなっていません。12月の通常指導は、A、Bともに残すところ2回、土曜算数教室は19日が最終指導となりました。1月から、渋谷Aと渋谷Bのみになります。26日からは冬期指導スタートです。狭い空間に十数人の人が勉強しているわけですから、ウィルスなどの感染者が一人でもいればすぐに全滅してしまいます。特に、熱はなくても咳が出るという場合、N95クラスのマスクでなければ感染は必至です。受検直前期ですのでそういう場合はお休みするようにしてください。

 竹の会のみなさんは、これまでもこれからも解き直し最優先でやっていきますが、中には規定のレジュメをとうとう終わりきれなかった小6もいるわけですけど、時間がなくてできなかったわけではなく、時間が十分にあったのに終わりきれなかったとすれば、もうやらないほうがいいと思います。これまでにやれたレジュメの解き直しをして理解を深めるほうがいいでしょう。レジュメは時間をかけて考え、合格はんこをとりながら進めるのでなければ意味がないと思います。合格はんこをとらないままに解説を読んでわかったことにしても、頭が荒れるだけで、実力的には何のプラスにもならないでしょう。

 今取れる、今解ける、あるいは解けない、それが実力です。これからどうあがこうと今の力は実は変わらない。これからの時期は心の持ちようで何かが変わるくらいのものです。本音を言えば、受かる子というのは、実は、11月あたりで仕上がっているものです。

 あせって急ぎかたちだけ終わったことにしてもただの気休めでしょう。試験というのはリアルです。掲示板には期待だけでは番号は決して載ることはない。できたかできないか、それはリアルに判断されるだけです。非情と感じるのは、実力のない者、それは言い訳を言って勉強してこなかった者だけです。

 わたしは毎年掲示板の前に立ち番号が「ない」ということの現実を見てきた。その掲示板の現実を知らない子どもたちにわたしは訴えてきた。それがまた真摯に受け止められるかといえばほんとの少数の心ある子、親のみがわたしの言葉を真剣に受け止めるだけであることをわたしは経験上知っている。夏が終わればもう時間はないということをいくら訴えてきてもそのことの意味がわかる親子は少ない。常に勉強を他のことに優先させること、これは楽観的な人たちにはできないことである。もっと言えば、都立中に入るために勉強した以上に中学では勉強しなければならないし、高校はまたそれ以上に勉強しなければならない、それが勉強するということなのだから。大学は大人度が問われる。もはや親が強制して勉強させるということもなく、他からの強制という契機はなくなり、フリーが原則となる、そういう中にあって自己を律して勉強できる、そういう人間のみが最後に勝ち残る、そういうしくみなのである。

 特に、中学生、竹の会の中学生は、わたしの指示を流したら、それはもはや取り返しのつかない結果をもたらすであろうことは知っておかなければならない。高校受験というのは、手順がある。この手順を外したらもうだめなのである。都立中入試なら、手順を外して失敗しても、高校受験という再チャレンジの機会があるけれど高校受験にはもうやり直しはない。そして都立中受検で手順を踏めなかった者が高校受験で手順を踏めるかというと、現実はそれほど甘くはない。手順を踏めない者は結局踏めないことは変わらないことが普通だからである。

 これは高校になっても変わらない。いやもっと厳しく手順の遵守が求められる。高校は毎日7時間勉強する者とほとんどしない者に分かれる。勉強しない理由が部活を言い訳にしても同じことである。旧帝大レベルの大学に進めるのはもちろん前者に限られる。大学に入れば入ったで、単に単位をとるだけではなく、難関国家試験を受けるなら受けるで高校とは比較にならないほどの勉強が必要である。朝起きてから夜寝るまで勉強して大学の4年間を過ごすか、何もしないで趣味やクラブを楽しみ、あるいは遊興に堕落した生活を送って大学生活を過ごすか、どちらにしても日本の大学は卒業だけはできるようになっているけれど、社会に出てからは天と地ほどの差の人生をそれぞれに歩むことになる。

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