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何かおかしい、普通じゃない、という感覚は、実は一番重要

2022.05.26

 

◎何かおかしい、普通じゃない、という感覚は、実は一番重要

 正常性バイアスという言葉を初めて知ったのは、3.11の震災のとき、津波注意報を無視して動かなかった人たちが、津波に呑まれた、悲惨な惨劇、その心理を説明した本であったか。人は非日常を畏れ、忌まわしく思う。そこから普通に考えたら非日常のはずのものを日常内にあるものとして考えないようにする。日常というのは、思考停止することができるところ、いろいろ考えないでいいから楽なのである。習慣というのもいろいろ考えないでいいから頭は楽なのである。そうなのだ。私たち現代人は、日常と非日常の真境に身を置いている。非日常というのは、ストレス、しかも強度のストレスとなる。家庭というのは、普通は日常であるのが本来である。しかし、家庭が壊れれば途端に非日常に陥るほど脆い。いつも安全ではない。
 重要なのは、非日常を安易に日常に取り込まないことだ。非日常に鈍感になることが、生存を危うくする。常識的に考える、というけれど、私たちたちが、常識と思っていることが、実は、バイアスがかかっていて、楽をしたい、日常のものとして片付けたい、めんどうくさい、として、半ば未必の故意に近い心情でリスクの中に身を任せる。人間というのは、そういうものである。
 「なんか変だな」、「えっ、違うのでは」と一瞬考えても、流れを変えない、そのまま流れに任せる。「そんなことはない」と打ち消す、懸念を遺して、前へ進む。しかし、やっぱり「おかしかった」のだ。これは、意識とは、違う無意識のレベルでのセンサーが働くのかもしれない。常識論から考えておかしい、という感覚ほど大切なものはない。わたしは、先人の言葉に素直に従え、と言ったことがあるが、先人にもいろいろある。だれもが百人百様のことを言うではないか。そういうときに、常識というセンサーをはたらかせて、決してバイアスのかからない常識感覚を身につけて、判断しなければならない。バイアスが心に偏見を忍び込ませて、バイアスが洗脳を生み、バイアスが正しい判断を歪める。わたしたちの、真の敵、本当の敵は、バイアスにある。純粋に自分の常識的判断なのか。世の中には、心を惑わす「呪い」の言葉が溢れている。呪いは簡単に心を縛る。バイアスをかける。

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