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何が真実かほんとうはだれもわからない

2015.12.16

 おはようございます。比較的温暖な初冬に恵まれました。週末にはまた本来の冬の気温にもどるそうです。師走の16日になりました。本日は、渋谷Aの指導日ですが、今日をふくめて12月の通常指導は3回になりました。2月3日の検査日に向けて放たれた矢は光陰を一気に加速するが如くに飛び抜けていくようです。

 師走のこの時期思うのは竹の会の中だけでも勉強というものに真摯に向かい合ってきたか、と問えば、「はい」と答えられる人が少ないということでしょうか。ましてや大手を選ばれた親御さんたちには今そのひとつの答えが出ている、そういう時期ではないかと思います。

 世の中の人間というのは、たいていは結果が出て自分の判断の誤りを悟るしかないのです。テレビなどでは自分の専門外の意見を求められても得意げに意見を言う弁護士や医師などを見かけますが、弁護士になるほどの人なら深い思考に基づいていいことを言うであろうという期待があるのでしょうか。しかし、勉強ばかりしてきて人生の辛酸を舐めたこともない弁護士や医者に人生についての何がわかるというのでしょうか。だいたいわたしは内科医などは百害あって一利あり、程度だと思っていれば間違いないと考えています。彼らは誤診90%の大先生なんですから。放っておいても治る病気に処方してるから大過なくきているところが真実なのでしょう。わたしの頭の中では老人と言えば何種類もの薬を毎日のまされる人というイメージしかわかないくらい、日本はアメリカにならって投薬医療で汚染された社会、国です。

 一流なのかどうか知りませんが、わたしから見たらバカにしか見えない評論家という連中が、得意の結果論、つまり後付けの知恵を披露しています。後から言うのだからいくらでもいいことを言える。そもそも一寸先は闇というのがわたしたち人間の生きている世界でしょ。先のことなんかわからない。それなのに何か起きるともう最初からこうすればよかった、ああすればよかったと尽きない。こういう後付けの論理を展開する輩は信用しないほうが無難です。

 ただし、茨城の鬼怒川決壊は人災です。予め決壊を予測していたのに予算を別に回したというのが、真実であり、国、県、市の愚行にほかならないからです。土木の予算などというものが、危険の序列にしたがって使われているのではなくて、愚かな役人や業者の癒着によりねじ曲げられている結果ですから、人災です。

 ものごとの原因を結果が起きる前から予想しているなどということはなかなかできるものではありません。予言者は特別の人、つまりありえない人です。世の中の結果ばかりを説明する人間というのは何の独創性も創造性もない輩ですから信用してはならないということです。医師というのは、特に、内科医というのは、予測を言うしかないのですが、もっともらしい嘘をよくも言うものです。医院に行けば直接の病気とは関係ないのに、必ず「念のため」などと言って検査をしてカネをとる。

  真実を見極めるのはほんとうに難しい。ただわたしたちが解いている算数や数学、適性問題には、最初から正しいとされる答えがある。わたしたちは、予め答えのある問題について、解答を求められている、ということです。これは先にわたしが述べてきた予知の問題とは明らかに性質がちがいます。しかし、ここでも実は似たようなこと、つまり結果を前提に説く連中がたくさんいる。

  結果は、出る前の段階、過程において「推論」することにこそ意味、意義がある。それなのに、この過程は飛ばして、結果の後付けの理由が横行する。書店に並べられている参考書なんかには、過去問をこんな解き方をするんだよ、ばかりに説明しているものがあるけれど、ちょっと待ってほしいと思う、あなたはどんな大先生か知らないけれど、過去問が過去問になる前に、つまりその問題が制限時間付きで出されたときにほんとうにそんな余裕をもった解答ができるのか、と言いたくなってしまう。わたしにはそういう大先生が信用できない。後付けならいくらでも書ける。医者が結果がわかっていれば論旨明快に説明できるのは知っているけれど、世の中というのは、原因も結果も見えない段階での判断が求められているのです。

 子どもたちを指導するには、だから、結果が出る前の過程にこそ子どもたちを放り込む、迷わせる、悩ませる、そこから予めの正解に達する道を体得させることが理に適っている、それが真実に近い指導術であるということが自明になってくる。少し気の利いた子なら大手のぬるま湯のような授業、レベルに「つまらない」ということくらいすぐわかるでしょ。だからそういうことに全くといっていいほどに気づかない子なら、それはその子の知能レベルがその程度のものだということなのです。そしてそれで満足している子どもを見て満足している母親もその程度のことなのです。

 竹の会の秀才が栄光やエナの無料体験やスポット体験をして「学校と同じことをやっていた」と言って、行くこともなかったのは、その子の高い能力から出てきた正直な感想であったにちがいない。

 1年も前から草枕のファンだった、3年も前から草枕のファンだったというお母さんが、遠くの区から満を持してやってきたということがよくあります。今は竹の会の子どもたちは様々な区から1時間ほどかけて通ってくる子たちばかりです。品川区や江戸川区、練馬区、板橋区、台東区など今ではそうめずらしくもなくなりました。

 近いところでは、千代田区、中央区、目黒区、新宿区、世田谷区もいます。今年戸山に合格した男子は中野区から通ってきました。自宅からバスでJR阿佐ヶ谷まで行き、そこから中央線で新宿、埼京線で渋谷南口です。彼は元代々木教室時代からの子ですが、4年以上通ってきたことになります。気がつきましたか、不思議と杉並区がいないのです。元代々木教室時代には杉並区からの子もいました。元代々木教室時代には、町田市とか、狛江市という子もいました。さらには、横浜市から通った高校生とか、埼玉県の春日部市から通った中学生もいましたね。この人たちは、わたしが書いた「竹の会指導論集」という小冊子を読んでファンになった親御さんの意思であったり、もともと竹の会に通っていたのですが、埼玉に転居して地元にいい塾を見つけられずに竹の会に復帰したというケースでした。

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