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中学受験 高校受験 受験相談 渋谷で創立30年

何を云っているのかわからないという事態について

2015.11.01

 おはようございます。本日は渋谷Aの指導日です。今日から11月に入りました。 日本列島はこれから紅葉の季節に入ります。寒さが日増しに深まると紅葉も本格化します。肌に染みいる寒の冷気が一段と紅葉の艶やかさを引き立てる、京都の紅葉はそうでした。

 なぜやらないのだろう。受検(受験)の子たちがわたしの思い通りにやらないことへの焦りがこの時期になって深刻さを増してきた。11月を余裕を持って迎えられるようにと早くから指示もし手を打ってきたつもりでした。高校入試はわたしの専門です。理科や社会は中2の夏から手を打ってきた。数学は中3になる前に標準的な入試レベルの過去問は終わらせるように指示してきた。だが、定期テストのたびに中断しとうとうほとんどやらないままにここまできたという生徒もいる。11月にはまた定期テストで中断される。そうなると、12月と1月しかない。それでどうかなるのか、わたしには未体験の領域に入る。

 受検の子たちだってこれまでほとんど課題を出さないで来た子たちにはこれからの伸び代はほとんどないといっていい。「天声人語」と「新国語読解」は必須であった。ところが、そういうものは一切やらないでただ書くだけの「四字熟語」ばかりやる体を見せる子たちがいた。要するに「逃げている」「回避している」としか私には見えない。やはり11歳、12歳の子たちには荷が勝ちすぎたということであろうか。

 受検というのは大人試験である。毎日勉強だけ実行する強い精神が求められる。12歳の子どもたちにそこまで要求するのは酷なのかも知れない。まだまだ幼い。責任という意識が精神に緊張感をもたらすほどには成長していない子たちばかりだ。試験というのは勉強を優先させて実行した者のみが報われるしくみである。習い事や稽古事に時間を費やす子が勉強のみに専念する子に勝つはずがない。そういうしくみになっていないからである。ましてや勉強そのものに不活発な子が勝てるものではない。勉強にいやいやをしているとしか見えない子がいる。そういう子の心はわたしには透けて見えるようにわかる。 勉強になかなか腰を上げない、その姿勢がその子の真の心を垣間見せている。が、当の本人は一向に気づかない体ではある。

 わたしの今年の作品のひとつである「新国語読解」については、中3の一人が「これをやっていたら次第に国語の問いに対する答え方がわかってきた」と言っていた。 まさにそれが狙いのレジュメであった。国語の読解ということの意味を知ってもらうために書いた。題材は全国の公立高校の入試問題から探した。論説文ばかりである。それにわたしが読みながら「問い」をつけていった。この「問い」に読解とは何かを託した。国語というのは、あなたの意見を、あなたの読解の結果を訊いているのではない、本文の、問題文の作者の真の主張を訊いているものでもない。ほかならぬ、問題作成者の解釈を訊いているのだ、ということ、これを伝えたかった。問題出題者は、本文の筆者ではない。だから筆者の気持ちなんかわかるはずがない。彼は、問題文の論理的な、形式的な帰結を問いにしているのだ。つまり、「言い換え」た部分を訊いているにすぎない。よく国語に正解などないという塾や学校の先生がいるけれど、そうではない。国語というのは、問題文の論理的帰結をいや「言い換え」の部分を訊いているだけなのだ。だから当然正解はある。わたしはそのことを理解してもらいたくて、制作したのである。件の中3はこれまで国語はよくなかった。ところがこの前の模試で偏差値70を越えた。読解ということの意味が伝わった結果なら幸いである。

 世の中には何かわけのわからんことばかりである。安倍の政策なんか眉唾政策に違いないし、オバマにしたがっていれば間違いないという信念、あそこまでぶれないのは、かつての民主党政権と比べて筋金入りである。 電力は足りているのにこれからどんどん原発を再稼働させる必要があるというのも全くわからん話である。福島の子どもにガンが増えているのに原発事故とは無関係という、学者や医師の言もわけのわからんことである。 勝手に暗礁を島に仕立て上げて領土と主張するなどはここまでくると「わけのわからん」を通り越して、あきれるほかない。

 子どもたちには当面「わけのわからん」対象は、勉強であろう。今年はなかなか「合格はんこ」をとれない子たちがそれなりにいる。考えてもわからんというわけである。たまにズルをすることもある。どこで盗み見たのか、答えだけあっていて式がない、あるいは答えに合わせた偽の、稚拙な式まで仕立て上げてくる。さすがにわたしの目はごまかせない。意味のない式には敏感に反応するのは職業柄である。

 ここまできたら戦略は変更するしかない。基本を徹底して反復させる作戦である。幸いにして適性検査本番の合格点は50%のやや下あたりである。基本的な、だれもが解けるはずの問題をミスするのか、もともとできないのか、解けない子たちばかりなのが真実のようだ。不合格となるほとんどの子たちはまともに点を取っていないと思われる。 とにかくも合格のありうべきところを突く指導しかないと心得ている。

 さて、表題にもどる。 何を云っているのか、わからないという事態について。 これはよくない兆候、好ましくない結果の到来を予想させる兆候であろう。そういうときは踏み込んではならないのだと思う。わからないときは真実ではない、まず間違いなくウソをつかれている、と考えて正解であろう。

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