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作文で苦しむ人たちへ、なぜ作文が書けないのか

2017.07.30

 おはようございます。ここ2,3日雲に覆われ、時折夕立に見舞われるといった天気が続いております。日曜日にお休みというのは、夏休みだけのことですから、なにか不思議な気がいたしております。先週は指導日に体調不良を訴える子が2名ほど出まして、いずれも発熱をともなう症状で、心配いたしております。また、Bでは、当日指導に使うレジュメ、ないしレジュメ集を忘れてきたという子が2名もいまして、参りました。レジュメを忘れればどうなるか、その日になすべき指導は一切できません。特に、ある程度進んだ段階でこれをやるとその日塾でやることは正直ありません。そもそも何のために、塾に来ているのか、ということにもなります。どうか指導レジュメを先渡ししている場合は、出かける前に、必ず確認してから塾に向かうようにしてください。

 明日は7月最後の指導日になります。いよいよ8月突入です。毎年のことですが、8月はあっという間に終わります。1日7時間の勉強はできているでしょうか。合格はんこをとれていないレジュメについては、7回解き直しを必ず実践するようにしてください。指導レジュメによりますが、ほとんど合格はんこがとれないシリーズは、そもそもそのレジュメをやること自体が無理だったということですから、解き直しによってもたらされる効果は期待できないかもしれません。「適性のための計算」、「単位あたり量を鍛える」は、7回解き直しができるはずです。「推論を鍛える」、「初見問題の研究」もできますね。「撰」シリーズは、101回で一区切りとして、解き直ししてください。

 小6で現在日々のレジュメについてこれているのは1名のみです。他の小6はそれぞれに大幅に遅れています。早稲田進学会の模試を受けてみてわかったことと思います。あなたたちのライバルはあなたたちのずっと先を行っているということです。これまでの勉強姿勢が甘かったというほかありません。ほんとうに勉強に真摯に取り組んできたのか、そこのところが問われています。勉強ファーストの生活姿勢ではなかった、それだけのことです。

 小5から入会することのハンディーは小5入会のみなさんにはおわかりと思います。それから「まだ小5だから」と臨戦態勢を遅らせてきたという家庭も多いかと思います。小5ですとまだ稽古事や習い事にもそれなりに時間をかけている、そういう余裕はあると見てのことでしょうが、実は勉強というのはどれだけ時間をかけられるか、かけたか、です。そして凡人の予測は見事に外れて結局時間不足で泣く、失敗するのがオチとなっています。つまり、時間があると思っていた小5の時期、時間を勉強以外のことに振り分けたことの重さというものが後々にわかってくる。小6のみなさんの通常指導についてこれないという状況はすべて小5のいくらでも時間があると勘違いしたことの結果です。

 さらには、小4期にどう過ごしたか、です。まず公立中高一貫校専門の大手塾は学校の優等生程度でも伸びない、伸びていかない。もし伸びている子がいるとしたら、それは優等生ではなく、知能に恵まれた天才と思います。学校の優等生とは、「よくできる」が8割ほどある子です。わたしの経験では、この程度でも「できない」部類に入る可能性があります。学校の優等生とはその程度のことです。わたしが、入会してほしい逸材とは、必ずしも通知表だけでは判断できない。竹の会の入会試験で小4早期にA合格がとれる子なら文句なしに逸材といえると思います。小5だと入会試験でA合格とっても玉石混淆です。現在の竹の会の入会試験はかなり改良されていますから、小5や小6にも使えるようにはなっています。

 合格できる逸材というのは、適性問題ではなく、算数の推論問題に対応できる子です。もっともこれだけではダメで、国語能力の高い子ほどブレがありません。課題なんかもなかなか出してこない子というのはもうダメです。実行力のない子というのはダメなんです。勉強というのは意思ではなく実行です。

 ◎作文がなぜ書けないのか

 作文というのは、そもそも幼い小5とか、小6には無理なんです。作文が書けないのはあなたたちがあまりにも幸せだからです。満たされているからです。欲しい物はたいていなにもかも買い与えられている、生活に不足感がない。作文というのは、欠乏感、飢餓感がなければ書けない。なにもかも満ち足りて両親の愛情に満たされた子には正直書くことなどないのです。何を書いていいのかわからないのです。不満のない子には書けないのです。素直で正直なことはけっこうなことですが、過保護の結果か、あまりにも幼い。世の中の表層の断片見て言うからおかしなことになる。子ども扱いしてきたつけか、幼い文を綴る、偏り、狭い、勘違い、無理解、さまざまな未熟さが露呈してしまう。

 書く内容がないから、同じことを何度でも書く。同じ言葉を連呼する。一つの主張をバカの一つ覚えのように繰り返す。理由というものがない。ただ主張を繰り返すだけ。情けない。

 文とは、主語と述語でできています。ところが平気で主語を省略する。500字指定の作文で、2文で400字ほど書いていた子がいましたが、ありえない。短文を順接でつなぐ、これが基本です。「したがって」という接続詞を入れるとつながるかです。つまり、前の文と後の文は理由になっていることです。これで文章が流れていく。文というのは、意味をつないでいくものです。「しかし」は一回使えば十分です。「しかし」の後には、自分の主張がきます。もちろん文は必ず理由をつけて締める。何か述べる、すぐ理由で締める。次の文は前の文を受ける。受けながらつないでいく。文とは「したがって」で流れる。この流れを止めてはならない。

 文とは、定義で始まり定義で終わる。定義とは、「何々とは、何々である。」「何々とは、何々を言う。」という表現形式で表される内容である。定義は抽象的内容を本質とする。一般に通用するには特殊具体的であってはならないからである。抽象とは、諸々の事象から、共通なものだけを取り出したものである。定義には客観的なものと主観的なものがある。客観的定義は、たとえば、「平行四辺形とは、2組の対辺が平行な四角形をいう」といった例である。作文の場合、書く者の価値観を主観的定義で言い切る。もちろん定義で結論づけるには、その過程において論証がなされる必要がある。論証とは、端的には、理由づけである。少し複雑な論証として、いわゆる三段論法のようなものがある。機会があれば説明したい。作文は弁証の過程である。弁証というのは難しい言葉ですね。諸説あるもさらに論証を経てより高次の説に達する、達せしめる、これが作文の過程です。

 よく作文の指導で使われるのが、「何々という説がある。確かに・・・である。しかし、・・・であるから・・・である。」という形式ですね。これにあてはめて書くことを勧める人もいます。200字作文では有効な技術と思います。

 自分の意見はほとんど重要ではない。小学生に対策論なんて期待してないでしょ。大人だって陸な対策もないのに。作文はまず定義を書きなさい。これは客観的定義のことです。「環境破壊とは、何々」とか、「地球温暖化とは何々」の如し。それから問題がなぜ生じるのか、ここに紙面を割きなさい。それから二元論です。肯定と否定、賛成と反対、自分の対極にある意見を書き、そこから自説を論証、展開する、これでしょ。よく小学生が最後に書く「これから自然を大切にして一生懸命生きていきたいと思います」などの決意表明はいらない。

 それからなによりも大切なのが、「問いに答える」作文でなければならないということである。問いの指示はきちんと踏まえて書くのはあたりまえです。「文章1と文章2のそれぞれについて・・・書け」とあるのに、1つしか書かないとか、500字とあるのに、200字とか、ありえないでしょ。それから漢字で書かないとひらがなでは読みづらい言葉があります。あと「僕は・・・」というのは「わたしは・・・」でしょ。

 次は、桜修館の作文について、触れてみたいと思います。

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