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公立中高一貫校という選択/日比谷・西という選択/道

2017.02.24

 おはようございます。今日はどんよりとした曇り空で気温も下がりました。春一番から数えて春三番でしょうか、強い風が吹いています。2月も24日になりました。2月は28日までしかありませんから「過ぎる」月です。だから3月になっても上旬はまだ寒い、雪が降ることだってある。わたしが大学受験したのは3月の3、4,5日の3日間でしたが、2日前後には大雪が降ったものでした。雪の中を大学までサクサクと歩いた記憶があります。それはそれは一面の雪の光景でした。3月も中旬になると暖と寒が交互に訪れる。それから下旬にはもうポカポカ陽気の日もあり、肌寒さと陽気が同居する。そうです、待ちに待った桜の季節の到来です。いつか下の子の入学式で行った慶應大学の日吉キャンパスの桜はそれは見事でした。あれは例年4月1日なのかと思います。上の子の入学式は二度行ったけれど水道橋から歩いて10分、理工学部のあるキャンパスはその度に桜で迎えてくれました。学部と大学院で二度も入学式があるなんて初めて知りました。もちろん卒業式も二度ありました。着慣れぬ「スーツを着て」桜並木を歩きました。もうすぐ春がくる、桜の花びらが東京をつつむのは3月31日、4月1日が狙いなのだろうと見ているのは去年3月20日頃に目黒川遊覧船に乗って早すぎて空振りという失敗があるからだけれど、去年の11月下旬に京都の紅葉を見に行って空振りだったのが尾を引き今でも時期を選ぶのは自信がない。

 竹の会にお子さんを通わせる親御さんの心情というものをよく考える。指導が順調にいっているのなら問題はないのだけれど、課題の提出状況、指導レジュメの実施の状況などいろいろ勘案していろいろ考える。時間がかかりすぎその日の指導時間内に予定のノルマをこなせない小5が出始めている。まだやや失速というところか。正直このまま失速状態が常態となれば指導打ち切りということも考えるのが筋なのかと思う。思考訓練期間というものを経験しないで適性訓練に入るのは無理といえば無理である。特に、渋谷Aはこれ以上水準を落としたくない。水準を落とせば今年のように合格者は出せない。失速したまま、脱落していく子たちの処遇をどうするか、また悩みが増える。去年の小6はとうとうまともな適性対策がとれないままに終わった。竹の会としては本来の指導手順がまったく踏めないままに終わったのは初めてのことであった。もしその日の指導レジュメが成功裏に終わらせられないのなら次の指導日までに終わらせてくるほどの気概が足りないのではないか。次の指導日にはまた新しいレジュメが出る。その度に遅れるのならもはや失速に歯止めはかけられまい。

 比較的個人の理解の速度に合わせて進める渋谷Bなら「失速」という概念はない。渋谷Bなら個人の理解の速度に合わせるということをやる。無理はしないことにしている。

 現在「渋谷A」で指導を受けている現小4、小5のみなさんは、将来「失速」するというのは、すべて日々の勉強の不徹底に帰因する考えてほしいのです。勉強ファースト、竹の会ファーストという姿勢が貫けなければ、それでも竹の会にすがるというのは止めてほしいと思います。理想を言えば、「今のような勉強姿勢では、このまま竹の会でお預かりしても、所期の効果は期待できませんのでも退塾をお勧めします」ということがすんなりと受け入れられて、竹の会以外の道を探すということがごくふつうにできるようになってほしいのです。

 それから現在竹の会に通われているみなさんにご注意しておきたいのは、他塾に通いながら竹の会を併用するということは認めておりませんので、そういう事実が判明しましたら、判明した時点で退塾通知を発することとなりますので、悪しからずご承知おきください。これには斟酌はありません。

 「道」は一筋の道というのが本来の道らしい。「道」という字は、「首」という字に驚かされる。以前読んだ白川博士の説明では、確か、初めての土地に入るときは、生首をぶらさげて入るのだという、それは禊ぎの意味があるということが述べられていたような。首を用意して進むのが「道」だとするならば、道を進むというのは、相当の覚悟のいることではないか。

 ところが、昨今の親子というのは、いくらでも予備の道を準備ないし予定しているので、道を歩むのに真剣さが伝わってこない。抜け道とかも平気で考える。抜け道をいつも考えているからもともとの「道」に真剣味がないのである。平気で横道に逸れるのも道にこだわりがないからといえる。予備を用意しておくという考え方は、ぬかりないと言えそうであるが、実は、これは覚悟がないのである。とことん追い詰められたらいつでも予備の道に逃げる用意をしているからである。とことん追い詰められたときに強さ、強かさを発揮するのは、「これしかない」ということを骨身で受け止めているからこそである。なにか一つ、これしかない、これが精神を強くする。一つしかないからとことんやり抜ける。予備を用意する人生は、慎重で抜かりのない人生だけれど、次第に心を守りにシフトしていき、攻めのない消極的な人生を選択することになる。一つしかないから必死になれる。強い精神、強かな精神、タフな心が鍛えられるのである。あれこれと予め逃げ道を用意してやるバカ親、親の用意した逃げ道にそのまま逃げ込むバカ息子、バカ娘、みな「道」ということの本来の意味を知らない、悟らない。「道」は覚悟である。だから失敗も覚悟である。だから必死にやる。夢中でやる。黙々と「道」を進む、歩む。道はひとつしかない。ただ一本の道である。ただ確かなことがある。この「道」は確かにゴールにつながっている道である。この道を歩めば、たどれば目的地には必ずたどりつける道ではある。それが道である。

 

 

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