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公立中高一貫校に合格できる条件  甘い認識の親や子は確実に失敗する

2016.02.04

 おはようございます。昨日は東京都の公立中高一貫校適性検査実施の日でした。無事終了の報告メールが2件ほどありました。別に、作文で「400字以上」とあるのに、「380字しか書けなかった」というCメールがありまして、わたしに意見を求めてきました。もう、終わったことですから、くよくよあれこれ考えてもしかたないと思います。潔く結果を待つことです。

 マーフィーの法則の中に「失敗する可能性のあることは失敗する」というのがありますが、わたしの経験法則では、「・・・がなければ成功する」というとき、必ず「・・・・」はあることになっています。

 平成27年桜修館合格者が、後輩たちへ残した言葉~「もらえる課題をやりきること、これが合格の秘訣です」~を覚えていますか。

 27年にわたしが出した課題を完全にやりきったのは彼女一人だけでした。小4の2月に入会して以来、2年間休んだのは2回だけ、インフルエンザと風邪による発熱のためでした。よく多くの子がやる様々な私的行事で休んだことは一度もありません。竹の会の日程に合わせて生活していたようす、勉強だけに打ち込んでいたようすが、よくわかります。雨の日も風の日もというのは彼女のことだと思いました。どんなに激しく雨が降っていても彼女は必ずやってきました。日曜日に出した大量の課題を月曜鎌倉遠足、火曜学校、なのに水曜日にはすべて出しました。解き直しもいつもいっしょでした。厚さ3㎝ほどはあったレジュメの束をドサッと出してきました。このリズムを壊したことは一度もありません。その彼女から、先日寒中見舞いの手紙が届きました。喪中のため年賀状が出せなかったのです。

 「先生、お久しぶりです。お元気ですか? 私は充実した学校生活を順調に送っています。

  勉強面では、竹の会でつけた力を発揮できています。全て阿部先生のおかげです。

  本当にありがとうございました。これからもお仕事がんばってください。」

 東京の公立中高一貫校を受けるということ、そして合格するということは、7倍、8倍という競争を勝ち抜かなければならない、そういうことの意味が多くの公立中高一貫校を受検したいという子、あるいはさせようという親には分かっていない。いみじくも公立中高一貫校を受けるというのであれば、それなりの見識、覚悟があってよさそうなものであるが、多くの親、子の認識はあまりにも甘い。「今、やっている習い事が夏には終わるので・・」とか、「・・・の発表会が終わるまで」とか、「小5のうちに・・・・」とか、いろいろと受検に専念できない事情を抱えているわけで、それでも合格するつもりではいるところがわたしにはわからない。

 受検というものをわかっていない。現実はそれで合格できるほど甘くない。試験というのは類い稀なる勉強力を発揮した者のみが受かる、それがわかっていない。

 ただ努力をすれば成功するのかと言えばそうではない。能力的にありえない子がいくら努力したところで受かるはずもない。これも現実です。

 わたしがやっているレジュメ指導というのは、不断に、つまり一回一回、その度に、「理解の深浅を確かめている」、そういうことです。ほんとうに理解しているのか、わかっているのか、いつも疑っている。だから、いつも確かめている。そういうことです。この問題ができない子が、それよりさらに高度な思考を要する問題を解いてきたというとき、わたしは信じないわけです。それで突っ込む、「式を書いてきなさい」、「どうしてこの数値が出てきたの、説明してほしい」と。わたしの疑念はいつも当たっていて、それに答えられない。どういう手段で答えの数値を手に入れたのか知らないが、彼女が、彼が、「わかっていない」ということだけはわたしにはわかります。多いのはカンニングですね。それで「わかったことにする」ということが、将来試験を受けて自分の実力が試されることになる、そういうことに何もプラスにもならない、ということがわからない。「できる」風を装う、それは他の子たち、時には、母親を意識しての行動であることも多い。

 わたしが、この問題は「解いてほしい」というのがある。そういうときに、そういう問題を解けない、あさっての解き方をする、そういう子というのは、やはり受からないのではないか、と思います。

 レジュメ指導では、「合格はんこ」をとりながら、進めていくということが、合格の絶対条件となります。いつもできないで、解説レジュメを読んで「わかったことにする」、「理解済みはんこ」ばかりもらっているようでは、合格の可能性というのは、限りなく低い、と思います。

 わたしは公立中高一貫校を受検しようと思い立つ多くの親子が、その覚悟においてすでに「落ちる」条件、前提を備えているように実感しております。

 加えて、多くの親子が行くことになるであろう、大手塾の弊害も不合格に大きく寄与していると考えております。

 特に、公立中高一貫校を受検するために、小5の1年間を日能研、四谷大塚、エナ、栄光ゼミで過ごすことは、安易な選択のもたらした結果とはいえ、あまりにも悲惨であると、認識しております。

 1年間もそういうところに通いながら、計算ひとつ満足に正解できない、割合の初歩の知識もない、というのはいったいどういうことなのでしょうか。テキストと授業で「単元」を終われば、すべてわかったことになるというシステムのどこがいいのでしょうか。それでも大手に惹かれる、それほど大手は大手と言うだけで、みんなが行っているというだけで、心惹かれるところなのでしょうか。だからわたしは親に見識がないと言っているのです。

 いや巷に溢れる個人塾、中小塾だから「いい」ということを言っているわけでもない。むしろそういう塾こそ信用ならない。借りて来たようなテキストを使って、やっていることと言えば、適性類似の問題を解かせているだけ、「わからない」と言えば、説明してやる、いやテキストについている解答を押しつけるだけのことしかやっていない。だから大手に行くというのもわからないではない。

 しかし、大手は大手で信用ならないことこの上ない。大手に通っているというだけで、ニコニコして子どもを見ている親の単細胞な脳にはついていけないが、それで満足している子も子である。そんな子の脳レベルでは実はどこに行こうが同じであろうが。

 わたしは情緒的に子どもの可能性、理解力、知能の程度を見ても意味がないと言っているのです。多くの塾は客観的な可能性ではなく情緒的な意見で親の見栄をくすぐるわけです。しかし、勉強できない子がすべて塾に、特に、大手に行けばできるようになり、公立中高一貫校に合格できる、というのはありえない話である。中にはまじめで努力家の子もいるでしょう。しかし、努力だけではどうにもならない部分があるのです。ことは理解の深浅にかかわることです。これだけは努力ではどうにもならない。天賦の才、天からの贈り物、そういうものがものを言うことは否定できない事実です。

 さて、合格の秘訣というものはどういうことになるのか。

 「失敗する可能性のあることは失敗する」。だから、「失敗する可能性のあることはやってはならない」ということです。国語の読解がネックならそれは失敗する可能性のあることです。作文が書けないならそれも失敗する可能性のあることです。「算数を読み解く能力がない」のなら、それも「失敗する可能性のあること」です。やたらと勉強を先送りする生活をしているのなら、それは失敗する可能性のあることです。指導時間中勉強に集中できないでやたら席を離れる、ふざける、おしゃべりばかりしている、これも失敗する可能性のあね行動です。ほんとうは「わからない」のに「わかったことにする」という行動も失敗する可能性のある行動です。課題レジュメをほとんど出さないというのも「失敗する可能性」に満ち満ちています。

 すべてはそういう失敗する可能性のもたらした当然の帰結ということです。

 勉強に軸を置いた生活をやきること、その覚悟がなければ受検などはしないほうがいいのです。

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