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公立中高一貫校の十年~合否という試練

2016.01.13

 おはようございます。朝7時の気温は1℃でした。本日は、渋谷Aの第3回目の指導日となります。冬期指導、続いての連休指導を経て、都立(区立)中受検まで、中20日になりました。竹の会の最後の指導日が、今年は31日になりましたが、体調第一に場合によってはお休みすることも考慮のうちに入れてくださってかまいません。去年桜修館合格の女子は、38度の熱を出し、竹の会の最後の指導日に出れなくて泣いたと聞いております。受検の小6は、1月31日をもって竹の会とお別れです。合否は時の運、都立中はむしろ落ちてあたりまえの試験です。落ちてあたりまえ、だから全力を出し切ればいい、それで清々しくこの受検勉強に区切りをつけるだけのことです。

 思えば、公立中高一貫校がスタートして、十年の歳月が流れました。平成18年のスタートでしたか。竹の会が初めて参戦したのは、平成19年の千代田区立九段中学からでした。公立中高一貫校ブームでこれまで受験とは縁のなかった、多くの小学生、特に、女子が受検に挑戦しました。分数の計算もできない、割合の理解も覚束ない、そういうレベルの小6が、公立中高一貫校を目指したのです。これでは地頭のいい子が受かるに決まっています。勝負にならない。大手塾も手探りで、結局、類似問題を解かせる、という方法が落ちどころのようでした。この当時から、竹の会は、小学生の低レベルの学力という問題に取り組んできました。計算力のない子ら、割合をまともに理解しない小学生のあまりにもの多いこと、特に、学校で「よくできる」を80%前後とっている子でも割合の理解の浅いこと、そしてそもそもの勉強に対するスタンスの欠如の甚だしきこと、がまん強く勉強する、考えるという習慣の欠如、・・、竹の会が公立中高一貫校受検指導の中で子どもたちにしつけてきたことはそういうことだったのではないか、と思います。もちろん、長年の懸案であった、割合教育法の発見と展開、レジュメ指導という思考育成に最適の指導形態の発見と形成など竹の会はこの十年で小学生指導の稔りある成果を得てきたと思います。

 わたしの発見した、割合教育法は、本年、全国に書籍化して販売の予定です。実は、竹の会には、これまで公開を封印してきた夥しい数と量の知的財産があります。高校入試では、神のテキスト「新英語指導案」と「入試英語指導案」がありますが、数学にも、「高校入試問題撰」という神のレジュメ集があります。これだけ繰り返しやればたちまち共通問題なら90点どころか100点もとれるという、嘘のような本当の話です。小学生のために制作した、思考育成教材は、今や夥しい数と量に達しています。公立中高一貫校研究に費やした十年は竹の会そのものを大きく変えたと思います。

 もうすぐ2月3日の本番です。結果が出るのは、九段は6日、都立は9日です。受検生のみなさんも緊張されていることでしょう。不安と緊張をどう躱していくのか、これもひとつの受検なのかもしれません。合否という試練のとき、そして合格と不合格の差というものを身をもって学ぶ、そう学んだはずなのですが、実は多くの人が何も学んでいない、それが真実です。

 試験に合格するのと不合格であるということの差が、実は、とてつもない大きな差になる、そういうことを学ぶ、いい機会なのです。公立中高一貫校の受検は、ともすれば、8倍前後にもなる。だから、落ちるほうが圧倒的に多い。だから落ちても悲しむのは一瞬で時が経てば忘れてしまう。不合格になる、ということの意味を学んでいないのである。公立中高一貫校の受検は、不合格になる、ということの真の意味を知る、いい機会である。これから、高校入試、大学入試、もしかしたら難関国家試験に挑戦する人も出てくるかも知れない。ともかく、まずは、高校入試という、真の試練が待ち構えている。高校入試でどの高校に行くかで、実は、将来歩む道まで決まってしまうかもしれない。都立戸山に合格した人と「どこでも」私立に合格した人の人生は明らかに違ったものになる。もちろん、戸山に行ったからといって全員がいい道を歩むわけではない。それは前提である。要は、蓋然性の問題である。「どこでも」私立に行けばそれだけ道が限定される、というのが、現実である。不合格になる、ということの意味は、次第に重く、自分の人生にかかってくる。大学入試だと、さらに、不合格の持つ意味は重くのしかかる。現実は、大学の序列であきらかに差別されている。いい大学を出ても、実は、保証はない。就職できない人もいるし、難関国家試験になかなか合格できないでいる人だっている。人生は何が正解かはわからない。しかし、そうだとしても、合格しながら歩む人生と不合格になる人生には、社会はあきらかに待遇が異なるようにできている。だから合格する人生をめざすのは、人の知恵である。

 不合格になるということの重みを学び、次に、つなぐために努力する、努力を惜しまない、そういうことではないか。憧れの高校に入った途端に、部活にのめり込みというのはよくあることであるけれど、そういう人は必ず大学入試で失敗する、不合格になる。合格すると今度は逆に合格することの意味を勘違いし、不合格になるという意味がまるで頭から消えてしまうのもまた悲劇である。

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