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公立中高一貫校は運不運トップ都立3年型は戦略/受かる子と落ちる子の差

2017.02.22

 おはようございます。幾分寒さも和らいで日中は春の空気が漂う日も多くなりました。書店やデパートの中は今の服装では暑すぎて困ります。今日は霞のかかった薄い空色の晴れ、まさに春のそれです。朝から大量の添削をこなしてようやく一区切りです。今日は2月22日、渋谷Aの指導の日ですが、2月の渋谷Aはあと26日の1回ですね。

 渋谷Bについては、何度も説明していますが、渋谷Bは「祭日を除く」平日のみて定義しております。さらに時間についても本来18時~20時ですが、現在のような16時半(事実上16時)開始にしたのは、3月、4月、7月、12月、1月のような夏休み等にかかる月に回数がとれないというところからそれを配慮したためです。先日、ある小4が、3月の日程表を見て、「3月20日(祭日)はなぜ休みなのか」ということを訊いてきましたが、もともとそういうものなのです。渋谷Bは月・木・金型をとればかなりの指導回数になりますから、渋谷Aには負けていないとみております。

 竹の会にいるというだけで安心されている親御さんも少なからずいるのではと思いつつ、そのような期待を裏切る結果になることをまた懼れつつ、子どもたちの進捗を観察しているということはあります。特に、小6に関しては気を遣っています。高校受験の小6の場合、小6の段階である程度予測がつくものです。そうした見通しをもってこれから中学も引き続き指導をできるのか、実は危惧しております。ほかに小学6年時居眠りばかりしていたという子が中学で覚醒できるのか怪しんでいます。あるいは竹の会に入会してそろそろ6か月という子について、「ようすを見る」という期間は既に満ちており、このままようすをみるままでいいのかとか、懸念することは多々あり、さてどうしたものかと日々頭を悩ませております。

 親御さんの中には、それほどできていないという認識はありながらも「竹の会ならなんとかしてくれるのではないか」という期待もあるのかと思いますが、正直わたしには神の指導はあたりまえですができるはずもなく、指導できない子というものがいるからこそ入会試験をしてそういう子たちを予め排除しているのだということですし、ましてや入会試験で合格できなかった子たちを「ようすをみる」ことにして、、あるいは小3という微妙な時期を考慮して、入会許可をすることもありますが、これはかなりにリスクのともなうことではあります。熱心な親御さんの心情は察するにあまりあり、そうした思いを汲んで入会させたとして所期の効果は出なくてあたりまえという中でなんとか効果を出すことを腐心し、とにかく「ようすをみる」ばかりです。

 今年受検の小6についてはあまり語りたくないのが本音です。少なくとも2名については、小6前後に大手からきた子たちであり、きてすぐに受検指導ができればまだよかったのですが、大手の子たちは予想を裏切らず、計算力なし、割合はなにも理解していない(もっとも本人たちはそうは思っていないようで「いちおうはわかる」ようなことを言いますが、こういう反応も大手の子たち特有のものです)、そういう子たちが適性問題をやってどうなるか、これも自明のことです。全く「解けない」、そういうことです。少なくとも竹の会では小5の1年間を思考訓練に費やさなければまず適性問題など解けるはずはないという認識ですから、小5の1年間を竹の会で訓練してこなかった、それだけで実はすでに結果は見えていたと言えます。大手で過ごした1年というものが何の糧にもなっていない、そんなことがあたりまえなのが大手です。大手でこれですから、大手模倣型、追従型の弱小個人塾など歯牙にもかけられまい。しかし、世の親というものは、近い、便利がいい、それだけで地元の塾に平気で子を放り込む、恐ろしいことです。小4の2月は竹の会が譲歩して募集した時期です。もう小5になる直前です。しかし、今年受検の小6たちの世代はだれひとりとして竹の会を訪れることはありませんでした。小4の3月に一人きました。この子は大原の模試で合格可能性70%とりました。でも落ちました。平成28年に大原の模試で60%をとった子、50%の子も受かりました。この差は何なのでしょうか。

 勉強に対する真剣度に欠けていた。追い詰められた緊張感というものが全く感じられなかった。「合格はんこ」をとれないという点ではそうなのだと思いますが、60%でも受かった子の場合、それなりに「合格はんこ」はとっていたし、必死さ、断崖絶壁にあるという悲壮感を感じたものである。50%で受かった子は「合格はんこ」というものがほとんどなかった。ただ作文のセンスは優れて高かった。そしてこの結局は合格した子たちにはなんと共通点というものがあった。それはわたしに対する態度である。先生という懼れ、敬意、礼節は決して譲らぬ一線、信念に近いものであった。ここである。 

 落ちる子というのは、親しさの中に敬意を忘れ、侮りさえも見え隠れする。礼節を忘れたこの一点において、落ちるべくして落ちたということである。

 受かる子と落ちる子の差はおのずと見えてくるものである。三歩下がって師の影を踏まず。これである。その心があるかぎり合格はおのずと自らの手の内にある。

 進捗がはかばかしくない、というのは、悪い兆候です。いや悪い前兆です。特に、合格はんこがほとんどとれない、というのは悪い兆候です。時間がかかるといっても真摯な態度、きちんきちんとやる性格、びっしりと丁寧にまとめたノートなどを作れる子というのはいい兆候です。「わからない」からと7回ノートに解き直した子が九段に受かるまでに成長したのです。この子は進捗ははかばかしくなかったけれど、1年、2年かけて小6になってこなせるようになってきた。小3の2月からきたのがよかった。安易に答えを見る子、解き方を聞く子というのはいずれダメになります。進捗がはかばかしくないときに、それでも解き直し、丁寧にノートにまとめるなどの真摯な態度をとるのか、だれかに答えや解き方を聞いて済ますのか、その差がとてつもない大きな差になる日がいずれ来る。

 

 

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