画像
中学受験 高校受験 受験相談 渋谷で創立30年

公立中高一貫校への道/トップ都立高校への道/勉強ファーストでなければ竹の会に来るべきではない

2017.02.18

 おはようございます。昨日は20℃を超したそうで、春一番が吹き荒れたとか。風邪をこじらせてとうとう医者にかかりました。痰を伴わない咳があまりにも苦しくてギブアップです。かなりの副作用を覚悟して呑みました。昨日は朝目覚める7度4分の熱がありまして、やや焦りました。喉の痛みから気管支にまでたぶんウィルスなのでしょうが入り込んだようでこれは防ぎようがありません。教室で子どもたちからもらうのが常ですが、マスクをしていても防ぎようはありません。しないよりまし程度の効果なのでしょうが、インフルが感染しなかった、いや感染したけれど発症しなかったのかもしれませんが、マスクは捨てきれませんね。

 食欲はまったくなく、これは減量のいいチャンスなのかもれません。とにかく時間に追われてこのところ疲労が蓄積していたという実感はあります。

 さて、今日は、本音を言わせてもらおうと思い立ちました。

 竹の会ファースト、勉強ファーストでないのならすぐにでも竹の会を止めたほうがいい、いや止めてほしいということです。これは受検直前にはなかなか言い出せなかったことですが、というのは、当の子どもを傷つけて不安定な状態に追い込みたくないという配慮からですが、そうでなくてもいろいろ他にやることがありながら竹の会にも通っているというのは結局早晩失速することは目に見えているのであり、わざわざ時間とカネをかけて竹の会に来る意味などないと思うからです。

 わたしは意味もなく教室で騒ぐ、はしゃぐ子が好きになれません。周りの迷惑を考えない無思慮に腹立たしささえ感じます。どうして静かな環境で勉強に集中することができないのか、静かに集中するということに喜びを感じないのか、そういう子を見ていると落胆と失望、そしてそんなことではいずれ失速することになろうという、明らかな予見が心を過ぎります。

 いずれ、早晩失速するであろう、とは、どんな子なのか。

 まず失速するのは勉強ファーストでこなかったからだ。竹の会に小6にきて失速するのはあたりまえ。ただし天才なら別です。天才とは、学校の優等生(通知表の「よくできる」が8割基準を満たす子)をはるかに越える知能の子です。22年に桜修館に合格した杉山太一君は小6の6月にきました。書道八段で見事な作文を書きました。こういう子なら別に小6から始めても受かるのです。天才で実行力を備えた子は別格です。ですが、普通の子、いや学校の優等生でも小6からではまず無理です。小4から鍛えてなんぼです。そういう普通の子が習い事や稽古事をいろいろ抱えて、それで受かると思っている親の頭がわたしには理解不能です。

 失速するのは言いかえれば勉強の絶対時間量が足りないからです。たいていの普通の子はここでこける。集中力と実行力に卓越したものがないとしたら、いくら塾に通って、家庭教師つけても、だめです。実行しない子に合格などそもそもありえないのです。勉強以外の様々な習い事や稽古事でそれなりの栄光を手にしたとしても、勉強で栄光を勝ち得ることはない。勉強はファーストであって初めて効果を発揮するものだからです。専念して、没頭して、初めて勉強は効果を発揮できるものなのです。家族との時間を大切にするという信念はそれはすばらしいことです。しかし、それさえも勉強ファーストを壊すものであるのなら勉強にはマイナスです。こういういろいろやる子というのは当面の勉強を先送りする、回避するということを日常的にやりますので、一見優等生らしくこなしたかに見えて実力はスカスカのことが多いのです。なにしろ勉強を実行してこなかったのですから。

 失速するのは小4というおまけの期間を無にし、小5という訓練期間を思考することなしにきたからです。普通の子が大手で過ごすというのはたいていこの弊から免れない。

 思考訓練に順調に入れない、進めない、進捗がはかばかしくない、という事態が長引けば失速する可能性が高いといちおうは言えますが、それもその子の態度如何にかかります。失速するのは自分で考えて悩まない子です。ここで親御さんが教えると失速の時期が早まるだけです。なかなか進まない、進捗もよくない、そういう子でも、いつまでも自分で考えようとする姿勢に揺るぎのない子は失速するどころかいずれ伸びていきます。28年に九段に合格した女子は、「算数の魁」が理解できなくて悩み7回解き直したそうです。次の「割合問題編」も延々と出せなくて考えていました。ずっと出せないで考えていました。そういう子が小6になって開成などの算数を自分の頭で解けるまでになったのです。いつも説明を聞いて進めるのが早かった子が結局開成の問題は全く解けなかったというのとあまりにも対照的でした。

 進捗はかばかしくない子について、気になるのは、いつもレジュメの始まりが前回終わったところからという子です。あるいは前回終わったところの次のところを終わらせているけれど正解率が良すぎるという子も問題です。渋谷Aだと間がありますから、その間家庭学習はやったのか、課題の提出がない、あっても1課題のみ、2課題のみという子はいったいどうなっているのでしょうか。小4でもっともノーマルな子ですと、「教養のための理科」、「四字熟語」、「読解の素の素」、「作文の基本」、「教養」の5課題を出してきます。

 解説を読んで、説明を聞いて「わかった」ことにして進める子は、力はつかない。つまり早晩失速します。わからなければいつまでも考える、決して「わかりません」と自ら放棄ししてこない子が最後はできるようになるのです。例の九段合格の子は何日も出してこないので、わたしの方から「もってきなさい」と言うことがたびたびありました。

 今年受検した小6は実は自分でレジュメを解いて「合格はんこ」を積み重ねていったという子がひとりもいなかった。たいてい「わからない」、それではと解説レジュメを読んで、「わかりました」と進めていった。入会時期が遅すぎて、あるいは能力的に無理でした。解説読んで「わかった」などという勉強をしていけば頭はスカスカになるでしょ。自分で考える、そして合格はんこをもらう。これしかないのです。小4の中には、姉妹で解答がわかる立場にいて、わたしから見ると「どうも答えを見て解いた節がある」という疑いをもつことがあります。もしそんこことを続けていれば早晩失速は目に見えています。バカなことはやらないほうがいいのです。素直さというのは正直さでもあるのです。できないから悩むのです。わからないから悩むのです。悩むのが嫌で答えを見て出す、そんなことをしていれば自分の首が絞まっていくだけです。わたしはよく賢くあれといいますけどこういうことを言っているのです。

 竹の会のレジュメに興味をもった人がいて、入会試験希望ではなく「レジュメを見せてほしい」、「お話しを伺いたい」という希望で問い合わせてくる人がいますが、竹の会のレジュメを品定めするという意図、竹の会を品定めするという意図も透けて見えて、こういう申出は丁重にお断りするようにしております。大手心棒者に多いようです。自分の子を絶対小石川へ行かせたいという親がいるのには驚きました。子どもの能力相談だと思うのですが、そこは方法でなんとかなると信じているようです。もちろん努力は怠らないのでしょうけれど、もともとの天才が集まる小石川に知能が届かない子を受からせたいとすると、そういうとらえかたをすることになるしかないのか。こつこつ思考を積み重ねて切り拓いていくという発想は微塵に否定されてしまった。

 中学では、指示を守れなければ即退塾です。「これをやりなさい」と渡したレジュメをとうとう一枚もやらなかった小6がいましたけど、中学では、それだけで退塾です。受検というのは、自分や親がいろいろとコントロールする、自分の裁量、もともと受検というものが自分の気持ちからというところがありますが、高校受験ではそれはありません。わたしがすべてをコントロールするということで仕事を請けております。いやそれなりの都立への合格を請け負っています。自分勝手な勉強をするのであれば、したいのであれば、まず竹の会は止めることです。それから好き勝手にやればいいのです。高校受験はわたしの専門です。わたしの指示以外のものを認める合理的な根拠は皆無です。それほどわたしは高校受験には自信を持っています。

 

ページトップへ