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公立中高一貫校受検、いったい大手で何をやってきたのか

2016.01.30

 おはようございます。気温3℃、幸いなことに東京は雪から免れたようです。それでもみぞれ混じりの冷たい雨が体温を低下させるには十分です。明日は最後の指導日ですが、小6のみなさんは風邪などひいてはいませんか。学校ではインフルエンザで休む子が出始めたとのこと大事をとって1日、2日は学校を休むのも応手なのかもしれません。

 受検本番まで中3日となりました。もう今何をやったからどうなるということはありません。明日の指導日もあまりにもの低温を押して来ることもありません。ただわたしは熱心な小6がやってくるであろうことを前提にいつも精魂込めて新作のレジュメを準備しております。一人でも二人でもやってくればぎりぎりまでわたしの知力を尽くして作成した最高のレジュメを提供して指導をする、そういうつもりです。

 竹の会では、小石川をめざして小3の2月、小4の2月、3月など、あるいは小5になって入会した子たちがお互いに競いながら頑張ってきた、小石川受検組がいます。入会試験A合格の子たちです。今年はその子たちが2年~3年の訓練を経ていよいよ受検本番に向います。遅くとも小4の2月から指導開始する、これが小石川を受検して合格するには、もっともいいのか、と確信しています。

 竹の会の指導というのは、毎回毎回の指導が、「できたかできないのか」、「わかったかわからないのか」が試されているということがあります。これが大手ですと、テキストを使って予習なり復習なりをやりながら授業を受けていく、そして土曜日には確認テストをやるという流れになるのかと思います。「できたかできないか」「わかったかわからないか」はこのテストでチェックするということでしょうか。

 大手では、例えば、割合はおよそ2週間でこの流れを終えて終わるということらしいです。つまり、2週間過ぎたら、とにかくも「終わったことになっている」、あるいは「わかったことになっている」ということです。本当にわかったかどうかなどはわかるはずもないのです。集団方式、授業方式ですから、講師はしゃべるだけしゃべって、授業でやりきれなかったテキストは本人次第ということなんでしょう。さて、こういう流れで1年が過ぎる、親はその間、きちんと通って授業を受けているというので安心しきっている、なんという大手に対する強い信頼感なのでしょう。わたしから言わせれば本当にわかったかどうかもわからないままにただテキストの予定ページ数が授業の回数とともに進められているだけにすぎないと思えるのですが。それに大手の子たちはいったいいつ計算練習をやっているのでしょうか。家庭で?たぶんそうなのでしょうね。計算も満足にできない子たちが、割合も実はまるで理解していない子たちが、テキスト、カリキュラムをこなすだけの生活を1年も2年も送るわけです。そりゃ、アホになるわ。大手に強い信頼感を持つ親たちが全く疑念を抱かせないように次から次にと、これをやれば、これをやらなければ、と特別講習を打ち出してくる、親たちはこれをやらなければ落ちると思うから、どんどん注ぎ込む、アホのサイクルです。

 竹の会なら、1枚のレジュメができたかできないかが常に問われている。できなければ「理解していない」ということで次の手が打たれる。計算は毎回の指導開始前に必ず4題やることになっている。いつもチェックしている。竹の会は1枚1枚試しながら、割合だけで小5の1年間を使う。もっとも割合の理解が進んだところで適性練習も始まるけれど、それだって1枚1枚できたか、できないか、チェックしながら進める。1枚のレジュメには思考をかけることが求められているから、みな必死で考える。竹の会の子たちはいつも考えている。そのはずであった。今年の小6の一部は入会当初からなかなか席に長時間いることに耐えられずに思考を培うことに失敗した子たちがいることは否定しない。ただそういう子たちだって、大手の子たちに比べればましと思っている。1枚1枚、できたかできないか、チェックしなければ先へは進めないシステムだから、わからないのにただカリキュラムだけは進むということにはなっていないから、大手のように1年、2年かけて立派なアホを作るということはない。

 たださすがにわたしも席に定着できなかった子たちを中学でも指導するという勇気はない。中学では、勉強力のある子が伸びていく。部活を優先させる子、そういう子はおそらくそれ以外のことでも勉強を先送りすることになろうから、中学で伸びることはまずない。中学というところは勉強第一に生活した子が最後に残るところである。塾が何かをできるということではない。勉強するのは本人である。本人が努力しなければ塾にはなにもできることはない。中には、塾に行けば塾がどうにかしてくれるという素朴な考えの親子がいるけれどとんでもない勘違いである。塾が悪いからできないのではなく、集中力、継続力、思考力というものを蔑ろにしてきた親子がだめなのである。中学になって、勉強しないから、成績が悪いから、と塾を探すバカ親子がいるけれど、そういうバカをいくらでも迎え入れてくれる、美味しいことを言う塾があちこちにあるのも東京である。1年、2年かけて高いカネを払い続けて、結局、都立には行けない、低偏差値私立の単願推薦、つまり無試験入学するのが落ちで、結局それまで通った塾はいったいなんだったのかという疑問さえ起こらないで、それが当然みたいに進路を決める親子がいかに多いことか。

 すべては小学高学年で決まるということである。小4,小5、小6の過ごし方で中学の成績、ひいては受験できる高校のレベルが決まる。都立トップ校へ進めるのは、そういう努力をしてきた子たちだけである。もっともその以前に能力がなければどうにもなるまい。わたしの考えでは、都立トップ校に行くのに、それほど高い能力は必要ないけれど、少なくとも小学校で「よくできる」8割がひとつの目安になる。ただこれだけではもちろんダメで、そういう子も訓練しなければなにもならない、ただのバカで終わる可能性が大である。小5が一番いい時期で、この時期に計算力を鍛え、割合を徹底して鍛える、このときに思考力を磨く、思考とはどんなものかをたたき込む、長時間の思考に耐えられる精神を作り上げる、そして継続して長時間の家庭学習を生活の基軸として組み込む、そういうことを経て、初めて中学でもやっていけるということになる。勉強をろくにやってこなかったものが、小学の高学年に訓練することも考えなかった親が、いったい中学になって、なにを騒ぐのか、もう手遅れなのだということを、それくらいは悟れよ、と言いたい。

 

 

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