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中学受験 高校受験 受験相談 渋谷で創立30年

公立中高一貫校狩り/日比谷、西、戸山狩り/才能をいかにして引き出すか/竹の会はやっぱ止めたでいい

2017.02.25

 おはようございます。やがてくる春を予感させる青い空と太陽が闇から解放されたような高揚感を一瞬過ぎらせます。2月という月は寒くてもこれから暖かくなるという期待に心は和む、不思議な月です。春は一日の寒暖の差が大きいと言われています。秋のほうが気温が低いのにそうは感じられないのはそのためです。春の桜は高揚感、秋の紅葉は寂寥感、前者はこれから暖かくなっていくことへのほのぼのとした安心感、後者はこれから寒くなっていくことへのもの悲しさに象徴的です。

 故郷別府の風景はいつも美しい別府湾と鶴見岳の山裾からなだらかに広がる別府市街の見慣れた街並みに、象徴的です。まるで風景画のような景観、大学受験で朝まだ暗い内から旅立った別府駅はわたしにはいつも別れの場として感傷的な思い出しかない。大学に合格して旅立ったのも春でした。最後に東京に旅だったのも別府駅、それから母のいる故郷に毎年のように帰省してその度に別府駅は別れの駅としていた。いつの頃からか大分空港を利用するようになった。母の待つ故郷に帰るのがわたしの生きがいになっていった。母がいるから塾もやれる、ずっとそう思ってきた。ずっと母の存在を心の支えとして生きてきた。その母が突然にいなくなりわたしは迷える羊になってしまった。母のいない故郷にもう帰ることもなくなった。故郷は遠くにて思うもの、そう思ってきた。

 一時間以上もかけて竹の会に通ってくる小3、小4の子たちには頭が下がります。一時間近くかけて休まずに通ってくる小5もいます。病気以外では決して休むこともない、勉強するためにきています、そんな意志がありありと伝わってきます。せっかく遠くから竹の会まできてくれる、それだったらこれはどうしても脳の中でまだ未開化の、未形成の、眠れる、本人の気がつかない才能というものを引き出してやらねばなるまい、そんな思いに駆られます。ちょっとたたみかけるとすぐパニックを起こしてしまい、先祖返りはあたりまえです。%をわかってきたのかなと思ったら、たちまち%がただの「個」という単位になって迷走し始める。80個のうち4個は、4%になってしまう。こうなるとしばらく頭を休ませてまた後日挑戦するしかない。

 子どもに何か抽象的なしくみというものを理解させるというのは、そう簡単なことではない。まず、子ども自身が好奇心に満ちた子でなければなるまい。ものを見せても無反応な犬は何も覚えないという。勉強に関心のない子に教えるのは至難である。知識に関心を示さない子に教えることなどできない相談である。だから入会試験をやる。小3だとどうしても幼すぎてダメということはある。どうも多くの場合小3の2月から小4の4月あたりまでが幼さから知的芽生えの過渡期にあるのではないか。もちろん小3の8月でも能力を見せる子はいる。早い子はいる。だから遅い子がそのまま開花などしない子なのか、いつか開花する子なのか、という見極めである。

 仮合格というのを今年から出しています。入会試験不合格と断ずるには小3期の子には酷であり、何かしらの可能性を見いだせれば少なくとも仮合格として3か月はようすを見ることにしましょう、という合格である。

 不合格者の入会というのは、あってはならない、と思います。しかし、実は、去年の夏休みにはそういう子たちの入会を認めた経緯があります。ガランとした教室なので、まっいいか、というのがありました。もちろん子ども自身の勉強の熱意そして親御さんの竹の会に対する特別な思いというものに心を打たれたということが大きかったと思います。その中でも能力的に無理とか、勉強に対する熱意、親の勉強に対するとらえかたなどがわたしのコンセプトと相容れないことが判明するに及んで退塾を余儀なくしたということはあります。ここのところはあまり深刻にとらえてほしくない。仮合格の精神がそのまま生きている。指導が無理ならば退塾にする、それだけのことです。ここで竹の会にこだわる、ということは意味のないことです。

 竹の会はできない子をできるようにする、そんな神のようなことはできません。竹の会がいい塾だという評判はあることは知っています。しかし、それはそういういい塾だから、できない子にも合っている、ということでは決してないのです。いい塾なのは、入会試験に合格して、一心に指導にしたがい成功した子たちの、その親たちの評価です。決してできない子ができるにようになったなどという評価などではないのです。

 中学生については、正直、小6の段階である程度見えています。中学になったらどうなるのかわたしにはわかってしまうからです。定期試験で数学が50点もとれない、そういうところまでわかります。どうすればいいのか。人並みに部活なんかやっている場合ではない、普通の子ならもともとできる子には絶対勝てない、人の何倍も努力して成績は並ということです。かつてオール1の子がオール4になったという例がありましたが、特異な子です。ほんとうに理解能力は低かったけど、言われたことをいつまでも続ける、何時間でも集中できる、そういう特異な子でした。ですから参考にはなりません。

 やるだけやって「もう無理かな」というのは、やる前から「無理かな」というよりはいいのかとは思うけど、やる前から「無理」ということがある程度わかるだけにわたしには気の重いことではある。

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