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冬期指導申込は11月のみです/新規募集に関する情報/夥しい数の塾難民

2017.11.21

まず若干のご注意です。

○11月23日(木)24日(金)はお休みとなっております。渋谷Bのみなさんの中には月、木、金なら必ず「ある」と思い込んでいるみなさんがたまにいますが、Bはそういうコースではありませんので、必ず月予定表を確認するようにしてください。

○冬期指導の申込〆切が近づいておりますが、特に、渋谷Aでは、まだ申し込みをされていない方がかなりいますので、案じております。申し込みは11月中のみとなっておりますので、よろしくお願い申し上げます。なお、昨年は申し込みをしたと思い込み徒過しそうになった方もいましたので、備忘等よくご確認くださるようにお願い申し上げます。なお、竹の会では、申込と引き替えに受講カードと2018年竹の会カレンダー(会員限定)をお渡ししておりますので、それがひとつの証しになろうかと思います。

◎新規募集に関する若干の情報

 竹の会では、冬期指導の参加を視野に入れた、年内の入会申込については、11月までとします。12月、1月という受検直前期の入会試験は指導に支障をきたすものとしてできるだけ避けたいと考えております。現小3については早くから受け入れを予定して、入会試験もかなり平易なものでできるだけ入会を認めるように配慮してもきましたが、結局申込者は1名のみでした。そこで新小4の新規募集については、3月以降に取り組むこととして、正規の入会試験の合格者に限定すること、これまでのように仮合格させるということも新小4からは一切なしとすること、にしました。これは、精鋭のみを集めることにしたことにほかならないのですが、一重にわたしの体力的理由から精鋭に絞ること、つまりごく少数の賢い子のみを指導するというわたしのわがままを貫くことにしたものです。

 現在の仮合格者については、指導困難な事情がない限りは指導を継続するつもりです。あるときから指導困難となる事態は当然に想定しております。また、現中1に関しては、通知表を提出してもらい、来年2月以降の指導の可否の判断資料とさせていただきたいと思っております。将来に向かって指導困難と判断する場合は、指導は1月までとさせていただきます。

 受検の小6については、1月までで指導を終わります。受検まであと2か月余りですが、ぎりぎりまで全力を尽くしてください。なお、中1でも竹の会をと考えている方がもしいましたら、かなり厳しいと思います。竹の会の中学生は学年トップクラスにあることが普通です。現中2に関しては受検経験がある場合なら早稲田進学会の模試で上位に名を連ねたことがあることが普通です。また、高校受験目的で入会した場合でも中学での成績は常に問われますから、ずっと「竹の会にいる」ということが難しいと思います。と言いますのは、中学というのは、勉強をしなくなるということがごくふつうにあるからです。中1の時、野心に燃えた心はいつしか色あせて無気力、不作為、部活命、ゲームなどに現を抜かすアホ生活に陥るなどの落ちていく子たちばかりです。中学というのはそういうところです。ごく少数の志しある子たち、ほんとうに一握りの子たちだけがトップ都立などをめざして日夜勉強に励むところ、そういうところです。

 そういうわけでありまして、年内に竹の会に入会を希望するみなさんは、11月中の申込が前提条件となります。

◎夥しい塾難民が溢れる首都東京

 塾難民というと経済的事情で塾に行けないという人たちのことをいうのが一般の理解なのであろうけれど、わたしは広くとにかくも大金を払って大手などに通う大量の子どもたちをも含めて、この言葉を使っています。確かに、経済的理由というのはあります。問い合わせてくる方の中にはまず「夏期等の費用はどのくらいかかるのか」ということを聞いてくる方もよくいます。費用を聞いてまず考えようということです。それで止めようという人も過去にはそれなりにいました。塾に行かないという選択をする家庭というのは、やはり経済的に余裕がない、というのが大きいようで、これが中学で特に女子となるとなぜか親は塾に行かせないでがまんさせるということが多いようです。女子だとがまんさせるけど男の子だとかなり無理をしてでも通わせるというのがこれまでの印象です。よく女子で学年1番なのに塾には行っていない、という生徒の例を聞いてきました。そういう子たちが中3になって塾に行き始めたけれど都立の受験では往々にして失敗している(第一志望に落ちたという以外にかなり低い都立に入ったというのもふくまれる)というのもよくある話しなのです。ただ平成28年に戸山に合格した子の中学では学年1、2番だった女子2人がいずれも日比谷の推薦に合格したという話しを聞きました。そうなのです。学年1番の優等生、塾なしの優等生はとにかく内申がいいので、推薦で都立を受けることになる。日比谷だとオール5でも倍率5倍ほどですから、大変です。それで落ちればまず一般入試で受かるのはかなり難しいわけです。これまでも推薦落ちて一般では広尾レベルということがよくあったわけです。実力がないのです。塾なしというのは実力なしの内申だけいい生徒ということなのです。

 さて、わたしが今問題にしたいのは、東京の小学生一般の話しです。まずサピとか、早稲アカなどの一流の進学塾に通い、トップレベルにある子たちは別ということです。進学塾では、必要悪として当然に「落ちこぼれ」を予定しており、そういう子たちこそがそういう塾には経営を支えるお客さんであるということはさておいて、わたしが問題にしているのは、公立中高一貫校対策を謳う大手塾に通う子たち、あるいは補習塾のようなところに通うその他大勢の子たちの話しです。わたしは竹の会の入会基準について、8割基準というものをあげております。これは通知表の「よくできる」が全体の8割あることというものです。これを満たす子をわたしは「学校の優等生」と呼んできました。問題はここからです。この学校の優等生レベルで竹の会の入会試験に、ようやく対応できる、ということがわかっています。しかし、その中でA合格をとる子というのはほんの一部です。A合格というのは、正規の竹の会の入会試験6問中5問正解を言います。全問正解をS合格と言います。4問正解が合格です。3問正解の場合準合格として空席があることを条件に入会を認めてきました。平成28年にはこの準合格者2人がそれぞれ富士、白鷗に合格しております。現在認めている仮合格というのは、2問以上3問未満を目安に出しております。仮合格者については、指導ができないと判断したときは退塾とする決まりです。

 おそらく大手に通う子たちの大半は「よくできる」が5割前後ということなのであろうと思います。このところ竹の会の入会試験を受けに来て不合格となるケースが続出しておりますが、例に漏れずやはり5割前後が多い。こういう子たちについては親御さんもとても心配なわけであれこれといろいろなタイプの塾に通わせているようですが、どうもそれに見合うだけの効果が出ていない。とにかくわたしから見るとよくこうなるまで放っておいたな、と思えるほどにひどいわけです。正直もう取り返しのつかないところまできている。こういう子の親御さんというのは驚くほどに事態を甘く見ている節がありありです。かなり深刻なのにそれがそのように受け取られていないということです。知的なはたらきのかけらもないほどにしてしまっていったいどうするのかとわたしは他人事ながら絶望的なものに支配されてしまうのを禁じ得ません。

 仮合格にしても、竹の会で小4期に訓練する意味は大いにある、とわたしは最近思うようになりました。この子たちをもし大手に放り込んでいたなら、まず間違いなく、取り返しのつかないことになっていた、それだけは間違いない。少なくとも竹の会で基本を徹底的に訓練しておく、その意味だけはあるのか、と思っています。わたしは塾の先生ですけれど、塾に行っているという子たちを見るにつけ、その中にどれだけまともな子がいるのか、かなり懐疑的にならざるをえないのです。なぜって、竹の会に入会試験を受けに来た、さまざまな大手に通っているという子たちの、思考の欠片もない仕上がりにいつも呆れて愕然としてきたからです。小3から、小4から1年も2年も大手に行っていながら、わたしにはどうしてこのようなバカに仕上がるのか、理解できないのです。いったい塾は何を教えてきたのか、いつも怒りがわいてきます。計算もまともにできない。問題の読み取りもできない。字が読めないほどに悪字を書く(これは100%親の責任)。割合などまともに理解している子など皆無に近い。いったい世間の塾は何を教えているのか。お仕着せのテキスト使って、授業やって、それでこの結果なのか。親も親である。大手というだけで安心して放り込む。2年後、3年後にりっぱなバカに仕上げてもらってわけわからん。公立中に行ってまともに勉強するとはとても思えない。なにもかも手遅れなのである。塾もいろいろで個人塾もいろいろ、算数専門の塾、国語専門の塾などいろいろである。地元の補習塾というのもある。しかし駅前には必ずある大手に近いからと安易に通うのが一番多い。

 竹の会の訓練を受けてみればすぐにわかることである。塾というものがこういうものだということが。子どもというのは訓練してなんぼなのである。テキスト与えて予習させて授業して復習させて週末に確認テストして、何やってるのか、アホらしいばかりでしょ。入会試験やってわかるのは、まともに文章の読み取りもできない子ばかりである。こういう子に授業なんか無意味でしょ。バカを認めたくなくて、家庭教師やら、個人指導やらとカネをかけるけど、これなんかバカの証明しているようなものです。やるべきことを間違っている。こういうレベルの子だからこそ訓練するしかないのです。教えて「わかる」なら苦労はしない。子どもの思考を引き出すにはまず訓練です。計算という抽象的で形式的な思考の訓練、割合という思考の型の訓練、子どもというのはまず型から訓練していくのがいいのです。思考というのは型から覚えさせる。いつか型を外すことは想定の内です。

 わたしはとにかくも大手を代表とするさまざまな塾に通う、首都圏の子どもたちの多くが、塾難民であるということを、憂いています。竹の会はあまりにも小塾です。その竹の会でも訓練できるのは、小4早期しかないのです。しかも小4なら小4で5人そこそこです。そんな小さな塾に難民救済なんてできるわけもないけれど、竹の会が今ある限り一人でも二人でも竹の会に出会えることができればと願っております。

 ◎習い事や稽古事その他で勉強を先送りすることがなぜ自滅行為なのかわからない親が多すぎる

 ハイデガーという哲学者を知っていますか。小学生、いや中学生でも無理かな。大人ならその名前くらいは聞いた人もいるかもしれない。ハイデガーの著した「存在と時間」という、実に難解な哲学書があります。今でも、岩波文庫や筑摩学芸文庫なんかで出ています。だいたい哲学書というのがやたら超主観的な専門用語をあたかもあたりまえの言葉のように振り回して煙に巻く、そういうものとしてわたしは見てきたし、真面目に読解しようとするとたいていは腹が立ってくるからどうもいけない。だからこういう専門書は専門家に腹を立ててもらって読んでもらい、わたしはその解説書を読む、そういうことにしている。まあ、わたしが哲学書がわかるほど利口ではないということだけど。

 そのハイデガーによると、人間(ハイデガーは現存在とよぶ)は、ひとつのことを見すえざるをえなくなる。ひとつのこととは、己の死である。いずれ確実に自分の存在そのものが不可能になる。死を運命として自覚的に受け入れるとき、実際に死が訪れる前に、死の方から自分の人生をとらえなおす、それはとりもなおさず、人間というものが将来の有限の可能性にかかわらざるをえないことを意味している。「死の覚悟」をするとき、今何をすべきかが見えてくる。永遠に生きるとしたら、今それをやるかどうかは重要なことではなくなる。いつかやればよいからである。死がいつでも訪れうるという状況の中で初めて、今それをなすべきかが切迫した選択になる、のである。

 さてである。今勉強するべきなのはなぜなのか、わかってもらえたであろうか。受検という目標を設定しての勉強であるのなら、その過程において習い事や稽古事その他諸々のどうでもいいことにかまけることによって勉強を中断させるということ、それがどんなにも無謀なことなのか、バカがゲームに夢中になるとして、自分の死の地点から逆に自分の人生、過去を見つめてみて、勉強しないということがどんなにも無茶なことなのか、わからないのか。いくらでも時間があるのならそれもいい。しかし、限られた時間の中で、勉強にどれだけ時間を使っても足らない、そんな状況の中で、何を選択するかはほんとうにスリルに富んだ、分岐点となる選択であろうことか。

 

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