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選ぶ‼️ 何を選ぶかで運命が決まる! 

2021.11.09

竹の会通信2021.11.9

 

◎小6、中3は、2022年1月をもって竹の会の全指導を終わります。

 

 

【編集後記】

 選ぶ‼️ 何を選ぶかで運命が決まる!  人生とは、選択しながら、進む道である。
 私たちは、常に選択の渦中にある。選択の余地のない道もある。他の道が義理と人情ですべて閉ざされて、事実上一択ということもある。行動が先で選択が後からついてくるという人もいる。
 笠信太郎の「ものの見方について」という名著の中で「イギリス人は歩きながら考える、フランス人は考えた後ではしりだす。スペイン人は走ってしまった後で考える-」というくだりがありましたが、日本人は、考えてから行動するのか、行動してから考えるのか、考えるのも興味深い。なにせもう何十年も前に読んだ本だし、わたしの所蔵本から探し出すのは気が遠くなるような仕事になろうかと思う。
 著者は考えながら行動する英国人を少なくとも好意的に捉えていたであろうか。シャーロック・ホームズも歩きながら考えていたような気がする。
 石橋を叩いて渡る、という言葉もある。しかし、想定外の災難、危難に際しては、考えるより前に行動することが求められる。臨機応変が求められる。
 選択の問題はそう単純ではない。
 政府は、新型コロナの対応に際して、不作為を決め込んだ。選択しなかった。行動しなかった。
 政府、都知事は、オリンピックを強行して、医療が逼迫すると、自宅療養という切り捨てを強行した。3万人が自宅待機して、結局300人弱が死んだ。息ができなくて苦しい中で何を思っただろう。政治の、政治家の冷酷さを、社会のどうにもならない部分を思い、あきらめただろうか。
 政治とは、決して正義を実現するものではあり得ない。人間の欲、利権を秤にかけていることは誰も疑わない。そもそもすべての人間に生存が保障されているのではない。政治を取り払えば、人間は自分の生存を自分の力で守るしかない。人間は生まれたときから生存競争を運命づけられている。他人が死ぬか、自分が生き残るか、の選択の中に常にある。よく他人の不幸は蜜の味がするというが、人間というものは、DNA的に生き残りをかけて常に競争しているから、他人の不幸は、DNA的に生き残ることを意味する。そういう理由を述べていた学者がいた。
 社会が政治の不作為、無策の結果死んだ人たちのことを悲しみ、政治を責めるか、と言えば、そんなことはない。やはり自民党が多数派として選択されている。野党は既に信用を失っている。政治の素人集団が野党の本質であった。国民は民主党政権のとき、内紛と外交無能力、統治無能力を思い知らされたのだ。
 人間の生存本能は確実に野党に生命の危機を感じた。
 利権で動く自民党がまだマシだという選択なのであろう。
 ただ新型コロナの無策ぶりは目に余った。あれだけ感染が爆発してもまだ利権で動くしかない政党、それが自民党の本質である。
 国民の生命の心配などしていないし、それよりも自分たちの利権を失うことの方がずっと大事なのだ。国会議員であり続ければ生活は守られる。そもそもあれだけ新型コロナが蔓延しているときに、自民党の国会議員は誰も動かなかった。首相が交代するとなるとたちまち感染対策を叫び出す。それまで何もしない、何も言わない、国会を開いて議論することもしない、そういう連中が、途端に自分ならこうすると言い出す。それからテレビに出てくる評論家、コメンテーター、自称国際政治学者、肩書き付き医師、どれもこれも信用ならない連中であった。政治に阿る、信用ならぬ輩ばかりが政権に気を遣い保身を図る。
 テレビは政権寄りの嘘を振りまいていてきた。今のようなやり方を続けていればいずれテレビは消滅する。
 新聞もその事情は変わらない。紙の新聞の購読数が減り続けていることは周知の話しである。
 ウーバーイーツ、ユーチューバーは、食い詰めた人たちの救世主なのか。小泉元総理と竹中平蔵が派遣社員を地獄に叩き落とし貧困社会の礎を築いたのは知っている人なら知っている。
 電車で刃物を振り回す人というのが出てくるのは予測済みのことなのでは。棲み場所を失った人たち、食い詰めた人たちの、行き場のない怒りは、幸せそうな人たちに向けられるしかないのか。
 本当に悪いのは、だれなのか。

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