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中学受験 高校受験 受験相談 渋谷で創立30年

合格が物理的に無理なのにそれがわからない

2016.03.01

 空気が身を切る、とは今日のような空気を言うのでしょうか。いやそうではない、北極や南極など行ったこともないけれどきっとああいうところの空気をこそ言うのだろう。

 「小石川志望」という言葉は、今でもほんとうによく耳にし、目にも入ります。都下では、高校受験となると、「日比谷志望」、「西志望」というのは、わたしのような小塾ではめったにいないけれど、それはそうでしょう、日比谷で男子149人、女子135人だけしか入れない。西は男子141人、女子125人ほど。都内の秀才たちが憧れても、受かるのはほんとうの天才たちだけである。参考までに戸山は男子141人、女子123人とされている。いずれも本年の推定合格数である。

 さて新中1のみなさんが、これから日比谷なり、西なり、そして戸山なりをめざすとして、ほとんどの人が合格できないかもしれない。その理由は至極単純明快です。ほとんどの場合、勉強時間が極端に少なすぎて合格は物理的に無理だからです。受験に失敗する人のほとんどの失敗の理由は、驚くほど勉強していないからです。

 小石川を受けるという人のどれだけが、物理的な勉強時間の絶対不足から免れるかです。

 竹の会でも、去年の夏休みに、わたしが希望した最低7時間を実践した子はほとんどいなかった。いつ訊いても、「4時間弱」などという絶望的な答えが返ってきた。ほとんどしないという日もかなりあったやに推測している。勉強というものに対する姿勢というものがまるでない。小石川に合格するという目標とは関係のないことにどれだけ時間を無駄に費やしたことか。

 姿勢が「欠けて」いたというしかない。

 平成13年の西合格者は、4が1つで他はすべて5、それで推薦合格した。しかし、彼は仮に一般受験しても難なく合格できたはずである。なにしろV模擬の推定順位は受験者全体の2、30番台であったのだから。もちろん日比谷でも受かっていたと思う。彼は西高でもずっと50番内にいて東大合格圏にあった俊才だったのである。一浪のときの三大予備校の模試ではいずれでも全国順位20番台をとっている。

 西原小6年の4月からわたしが育ててきた竹の会の逸材であった。その彼の実行力は群を抜くというか、凡人にはとても及ばないものであった。わたしの指示を短期間で確実に仕上げて出してきた。7回解き直しでもなんでもとにかくこれほど完璧にやりきった人をわたしは知らない。一日の勉強時間は訊いたこともないが、わたしの想定した以上のものであったにちがいない。

 いいですか。言い訳なんか意味がないのです。やったかやらないか、やらなければ合格なんかない。それだけのことです。実行する人間のみが価値がある人間です。実行しない、できないのなら、日比谷、西など「受ける」などと言ってほしくない。いや言う資格もない。

 小学生にはきついかもしれないが、小石川を受けるなどと言うには実は覚悟のいることです。そういうところに受かるのは、物理的に勉強量が足りているときのみです。勉強もろくにしないのに「小石川を受ける」などと言うな。

 さて、物理的にも十分に勉強量が足りているとしてです。 

 西、日比谷、小石川中等に入るために何が大切か、です。

 それは、判断のレベル、を磨くことです。

 高校受験はもちろん、小石川受検も変わらない。問われているのは、判断のレベルである。「問い」とは、判断を求めるものである。このときの判断の質が問われている。

 英語なら「5文型」に精通すること、数学なら数学特有の記号言語の操作に長けること、国語なら受験国語特有の処理に長けること、そういうことを学びながら、判断力を磨くこと。

 適性検査でも変わらない。判断の客観性が問われている。算数だって判断の集積である。推理、推論は、判断とその根拠の積み重ねである。

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