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国語ができるようになる妙手

2017.04.19

 おはようございます。平均気温20℃となり今日は朝から衣替えをしました。いよいよこれから5月初旬まで過ごしやすい快適な気候となります。5月のGWも近くいろいろと計画を立てられているご家庭もあるようです。わたしも小田原に住む姉に誘われて箱根に行くことになりました。子どもが小さいときはよく箱根にも行きましたが、もうそれは十数年前のことです。ここ十年はもう仕事に追われていつもパソコンに釘付けの状態が続きまして、秋になんとか京都に一泊というのがせめてもの息抜きとなっておりました。幼い頃いつも喧嘩ばかりしていた姉と旅をする機会に恵まれるとは不思議な気持ちがします。

 さて今日は実は先日、28年に九段中等に合格した卒業生のお母さまから国語の勉強について質問されまして、とにかくもお返事を差し上げたのですが、このブログでも補足的に取り上げておきたいと思い立ちまして私見を述べることとしました。

 まず過去竹の会では国語がとにかくできるという子がいました。元代々木教室時代に特筆すべき子が二人ほどいまして、とにかく国語の点数がいつもいいわけです。二人の共通点は、とにかく本が好きで「毎日読んでする」ということでした。これはわたしがそうではないかと思い訊いてみたところとにかく本好きだったということです。うち一人は都立青山に進み現役で慶應大文学部に合格しました。彼女が高3の時の駿台模試で国語については全国26番をとっています。高校に入っても本好きで部屋は本で埋まっている、というのが彼女の弟の報告です。弟も竹の会から都立青山に進みました。ここから見えてくるのは、国語ができないと悩む子たちというのは、とにかく本を読まない、ということではないでしょうか。好きで読む、これです。

 あと漢検が大切です。これは関係ありませんが、竹の会の漢検実施日は6月3日(土)に確定しております。実施時間の詳細は後日お知らせします。さてかつて漢検を全く受けない、無視しているという女子生徒がいまして、中3になって都立共通問題の漢字がほとんど書けないということが判明して慌てたことがありました。平成23年と平成28年の都立受験者がもっとも記憶に新しい実例です。漢検は最低準2級、できれば2級、これだけで都立の国語対策になります。竹の会では都立中受検の小学生は3級を推奨しています。過去には小学生で2級に合格した子が2名います。中学では、都立西に合格した2名の生徒が2級でした。漢検やるのがいいのは、戦略的に漢字の勉強するからいいのです。漢検をやらなければここまで目的意識をもって漢字の勉強はやらないでしょ。

 竹の会では特に都立中受検のみなさんには文検を薦めております。文検は文章読解の基本作法を学ぶにはいい教材です。

 あと小説を読むことです。小説を読むことでさまざまな人生というものを擬似体験できるからです。考え方というものが狭いのが小学生の共通の悩みです。どうしてもお父さんとお母さん、それからせいぜいおじいちゃん、おばあちゃん、そういう部分社会で、社会全体を見ようとする。作文の体験もこれにクラスの友だちが出てきていかにも狭い。グローバルな視点、鳥瞰的見方というものがどうしても欠落している。

 常識がないから「わからない」ということも多い。新聞を読む、のが早道ですが、近頃は新聞を購読していない家庭が増えていますから、子どもたちが社会を広げる機会もかなりに乏しい。

 国語というのは、詰まるところ、哲学的なものです。駿台予備学校の国語科の講師が全員東大文学部哲学科出身というのも偶然ではないのです。国語というのはもともと哲学といってもいいのです。哲学的に考える科目です。哲学的とは人間の根源的なのものから考えるということです。考えるというのは、問いを発する、ということです。よく桜修館の作文が変な問題だと言われますけれどそんなことはないのです。あなたたちに哲学的な発想を求めていると考えればこれほどの名題はないでしょう。わたしが中学生のみなさんに池田晶子の「14歳からの哲学」を薦めるのも根は同じです。ただ小学生にはまだ早いのです。性の問題を扱っているからです。哲学的なテーマとしては当然のテーマですけれどやはり14歳からということなのでしょう。

 問題集はやるべきか、ということがありますが、巷の塾の国語がそれを当然のこととしているのは知っています。大手でも巷の塾でもとにかく問題集を使わなければ商売にはならないでしょう。竹の会では例しにある国語のドリルを渡しています。家で何もしないよりはいいのか、というだけの意味です。ある予備校講師のものですが、この人を始め最近の大学受験界では国語に関する研究がかなり進んでおり、示唆に富む出版物も多いのです。

 わたしが現在執筆を進めている「読解の素」とか、「新国語読解」というのも、こうした書物を読みあさって、わたしなりに昇華した結果を具現しようとするものです。

 今のわたしは、国語の読解文というものが、抽象と具象の織りなす綾であるというふうにとらえています。抽象的に述べたことは次に必ず具体的に言いかえる、ことになる。読者を説得するのならそうでなければならないはずです。わかりやすく噛み砕いていくのが流れです。具体的なものは最後には抽象的に言いかえて、まとめる。これも当然の流れです。筆者の主張というのは、抽象的な言葉に集約されます。これが定義化です。「…とは~である」という定義の原型どおりです。数学でいう定義ではない。読解における定義は筆者独自の見解です。定義が普遍的なものかはあげてその根拠にかかります。筆者の疎明にかかります。わたしたちは、予め読解文というものが概ねそのような構造を持っているのだということを知っておくことが大切です。

 さてそこでです。わたしは国語の苦手なみなさんに格好の語彙ブックを紹介したいと思います。これをとにかくどう勉強するかはみなさんに任せるとして、これを真剣にやればみなさんの国語力が一気に伸びるであろうことは請け合う、そういう本をわたしはみなさんに紹介したいと思います。書名を知りたい方はわたしのiPhoneにメールしてください。画像をお送りします。

 最後に、国語というのは、毎日30分でもやらなければ決して伸びない科目だということを知っておいてください。

 いい方法かわかりませんが、わたしは高校の頃、毎日現代文の教科書を10回音読しました。1単元を10回です。最初はゆっくりと意味をとりながら読みます。2回目はやや速く読みます。回を追うごとにスピードを速めます。かなりの超速で読みながら意味が同時通訳のように頭に入るようになったらOKです。この速く読めること、これは国語ができる人の特徴です。ちなみに英文も同じです。できる人は読むのが速い。

 

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