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国語の読解ができない子たちのこと/小4は年内11月で募集打ち切り

2017.11.07

 おはようございます。11月7日になりました。本日も秋晴れです。日中は20℃ほどですが、それでも歩けば汗ばむほどてす。日が沈むあたりから一気に気温が下がります。春の日中は実に暖かく朝夕の冷え込みは実は秋より厳しいのにそれほど言われない。春は寒さから抜け出る季節、秋はこれから寒さに突入していく季節です。暑い夏を経験した秋の18℃は寒く感じ、寒い冬を経験した春の18℃は暖かい。今日はもう11月7日です。11月も駆け足で過ぎて行きやがて師走となりあっという間に年が明ける、いつもそうでした。小6の秋は一瞬でたちまち冬となり受検はすぐそこになる。多くの小6の親御さんの「まだ小5だから」という論理を言い訳とする勉強先送りのつけがここで破綻する。これは中3も同じでゆるやかな中2の間に勉強を疎かにすれば中3になればすぐに失速するほどに明らかな因果の関係を示すことになる。例えばである。現中2の中で渋谷Bの中2を除いてだれひとりこの夏に英文解釈に入れていない。このことがやがて及ぼすであろう影響については今はなにも見えてこないけどその時がくればわかるはずです。日比谷の英語、西の英語、いや戸山の英語でさえも深奥の力が問われることになる。わたしに隠れてZ会の通信を受けていた生徒が中3になって悲惨な結末を迎えてしまったけれど、Z会の通信を受けるのが悪いとは思わない。ただ竹の会のレジュメをやらないで、あるときは竹の会でZ会の提出課題をやるようになればもはや終わりであり、看過できない。竹の会というところはとにかくレジュメを前倒しでやらなければ意味のない塾である。なにをとち狂ったのか時折そういう勘違い生徒が出てくる。現中1にも竹の会のレジュメを後回しにする生徒がいるけれど、よく考えてみてほしい。中1についてはわたしは「勉強するならば」という条件付きで入会を認めたものである。竹の会のレジュメをやらないままに、数学、英語60点などということになればもはや竹の会にはいられまい。定期試験の結果報告、内申の結果報告もきちんとしてほしい。これをほとんどやらなかった中3が早々退塾せざるを得なくなったことをよくよく銘記してほしい。竹の会の指導を先送りするようになればそれが退塾の潮目であり、竹の会の指導を受けたいという新しい子どもたちに機会を譲る、というより竹の会は常に「勉強の気」の新陳代謝による充足を図らねばならないと考えている。これから予期されるのは、現中2が中3になった途端に伸び悩むことである。それは今のありようがすべての原因であるということはゆめゆめ忘れないでほしいものである。中3になった途端に中2のときの勉強先送りは棚に上げて騒ぎ出す親御さんが必ず出てくるからこれは言って置かずばなるまい。ただ竹の会というのはいろいろなことを見越して手を打っているので、クレームがあった時点で、竹の会との、わたしとの、縁は終わりです。意外とさっぱりと退塾です。これだけは迷いがありません。

 こういうわけで中学の指導というのは余程のことがなければ引き受けてはならないのだと思っています。中学というのは、中1になったときのでっかい夢は瞬く間にしぼんでしまいやれ部活だなんだと勉強はやらなくなる子ばかりなのがせいぜいなのである。だからわたしも中学をとるときは、学年トップクラスでなければとらない。現中1に小6のときに受検ではなくもともと高校受験できた生徒が1名いますが、この生徒はとても熱心で勉強最優先でやっています。成績も学年トップクラスにあると認識いたしております。ちなみに中2は少なくとも2名は学年1番、1名は2~3番などです。中学というのは必ず勉強しなくなる時がやってくる、だから竹の会が現小6のみなさんから次の中1をとらないというのはよくご理解していただけるのではないか、と思います。

 ところで今年もそうでしたが、竹の会に問い合わせてこられる方の中には、小6、小5の親御さんがよくいらっしゃる。小5の4月あたりならまだいいのですが、竹の会の夏指導を終わった後の入会は成功率がかなり低いのです。実は平成28年小石川合格の生徒はこの例でした。しかし、このように成功するには、よほど元々の天分に恵まれていなければ無理です。学校の優等生でもない子にはまず無理な相談ですが、仮に優等生であったとしても、小石川や桜修館はきついと思います。特に、小石川必勝には、小4期早々からの訓練が絶対に必要です。竹の会には昔から小4前後に来てくれる子などというのは、年に1人、多くて2人程度でしたから、とても贅沢は言えないのですが、実は、世間の親、特に、都立中ねらいの親というのは、小5でも「早い」と思っている人が多い。それで小5に来たとしても、そういう心持ちだから平気で家族のことを優先させるわけです。これが後々小6になって竹の会の指導予定のノルマをこなせないで結局失速してしまう構図である。竹の会というのは昔から小4前後に1人来てくれた、2人来てくれた、そういう子たちを大切に育てていき、受からせてきたということが真実でした。だから小6になってとか、小5も遅くなってからの入会というのは、正直間に合わないというのが本音なのです。わたしが特に腹立たしく思っているのは、大手の実態です。小4時に1年間大手にいたという子たちが竹の会にきます。それは竹の会というのが小4から来てくれないという現実から受け入れざるをえないのですけれど、そういう子たちが例外なく、計算や割合の基本訓練というものを受けていない、ということです。国語なんかも、ただ問題集をやるだけというのが実際のところなのでしょう。いったい小4という貴重な時間に何をやってきたのだ、ということです。大手の親たちを引きつけて止まない吸引力にはとても竹の会の及ぶところではありませんが、わたしは大手を信仰して止まない親たちの、受検になって結局自分の子を使いものにならないことにしてしまっているという現実にどうにも腹立たしさを感じてしまうわけです。

 都立中受検というのは、8人に1人選抜するというリアルです。つまり8人中7人は落ちて、たいていはどこかの区立中に行くことになる。問題はそこからです。そこで学年1番、悪くても5番以内にあるかということなんです。竹の会で平成26年に都立駒場に合格した女子は中1学年末から卒業まで学年1番でしたし、27年に都立戸山に合格した男子は、中野区の中学で160人中4番前後でした。また28年に戸山に合格した男子も新宿区の中学で100人中5番以内でした。この戸山の2人は、それぞれ両国、桜修館に失敗しています。駒場の子は小4から中3までいましたが、最初から高校受験目的でした。何が言いたいのかと申しますと、仮に受検に失敗しても学年トップクラスにありトップ都立に合格できるほどの基礎力をつけておくことこそが小学期にもっとも大切なことであるということです。一過性の付け焼き刃のような受検にだけ特化したことばかりを、高いカネ出して、やっていることが、自分の将来を棒に振るほどの愚行にほかならないということです。わたしは小学生にはまず計算力、そして割合のしっかりとした理解を通しての基礎訓練こそが肝要なのだと思っています。まず基本です。そして思考訓練です。ここのところを飛ばして、受検のための知識ばかりをやる、これほど愚かなことはない。だからわたしはバカ製造過程というふうに言っているのです。受検で将来の雌雄まで決してどうするのですか。またダメでも区立中からトップ都立への道があるでしょ。そのときに基本がなけれは、思考習慣、勉強習慣がなければもう終わっています。勉強のスタンスというのは、小4期からこつこつと勉強に取り組ませてつけていってこそなのです。中学になって勉強しない、しなくなったという親の嘆きは自らの愚行、教育の失敗のせいでしょ。

 ◎国語のできない子の異常増殖について

 まともに文章が読みとれない子がたくさんいます。国語ができないというとき、よく言われるのが、本を読むこと、問題集を解きまくること、です。最近は、天声人語の書写とか、新聞の論説記事を読むとか、新聞を読んで教養を身につけることなども言われることがあります。これだととにかく特別な方法などないという前提のもとに、上に挙げたことをやるしかない、つまり何もいい方法はない、というのが大手を始めとしたあらゆる塾、学校の対応なのかな、と思います。昨今は、国語のできない子たちの増殖を受けて、国語単科塾が生徒を集めていると聞いています。英語塾なら昔から腐るほどありましたけど、国語塾が流行る時代のようです。これは国語に対するさしたる方法がないという認識が大きく影響しているのでしょう。そして昨今は、大学受験の予備校でも現代国語の方法論を提示する人気講師がやたら出てきました。その小学生版の塾というのもあるようです。

 竹の会では中学入試の文章を物語文と説明文に分けて、それぞれ「読解百選」、「新読解演習」という名のレジュメ集を製作しましたが、これを今年の小6に使ってみたところ、案の定まるでできない。特に、後者はまったくできない。実は平成25年に小石川と白鷗に合格した女子2名がこの「新読解演習」について、99%の正解率を示したということはこのブログでも過去に書きましたが、そうなのです、難関倍率を突破する子というのは、結局この国語力が決め手になっていることが多いのです。だから国語の読み取りができないというのは、不合格を予兆するなにものでもないのです。

 これは困りました。それでわたしは国語読解についての新レジュメを執筆することにしたのです。今でも、読解用として、「読解の素」、「新国語読解」、「天声人語質問集」といったものがありますが、わたしが、選んだ文章に自前の質問をつけていき、国語の読解とはどういうことなのか、を体得してもらう趣旨のものです。

 さてです。国語というのはどういう科目なのか、ということです。結論から申しますと、国語のできない子というのは、「ひらがな頭」なのだと思います。これに対して国語ができる子というのは「漢字頭」です。ひらがな頭の子の内部はひらがな思考、つまりは具体的なものしか理解できないしくみになっています。漢字というのは、本来抽象的なものです。わたしたちが思考するときに必ず使う名詞というのは本質的に抽象語です。ですから読解力をつける、つまり思考をする、というときに使われる言葉が漢字であることがまず必須なのです。だから漢検やって漢字を覚えるというのは、ある意味読解力をつけることに役に立っているのです。漢検をまったくやらない人がいますけど考えられないことです。先の平成25年白鷗合格の女子は小6の夏に漢検2級をとっています。ちなみに小石川の女子は3級でした。さらにちなみに23年に桜修館に合格した男子がいましたが、彼は作文が書けず、国語ができなかったが、漢検は4級止まりだった。ただ漢検やったからといって国語ができるようになるわけではない。大手のように国語の問題集を解かせるやりかたは、たまたま合えば○、間違えば×、そういうことを意味なくやるだけで終わりである、国語のできない子というのを見ていると、ほんとうにたまたま合った、外れたの繰り返しで、進歩なんかないし、こういう偶然勉強をやっているだけで、できなかった問題を赤ペンで訂正するだけで終わっているのが現実である。進歩も何もない。

 何がダメなのか。「ひらがな思考」から抜け切れていないからです。問題を読むときに、正確に読みとれていない。なぜ正確に読み取れないのか。それは「ひらがな思考」の人間があまりにも主観的に文章をとらえてしまうからです。自分の具体的なひらがな思考で考えた、狭い視野、偏見にあてはめようとするとからです。

 文章には読み方があるのです。文章を読むときに、自分の主観を入れて読んではいけない。これがすべての勘違い、誤答の元凶なのです。どう読むか。「筆者の立てた筋道をあるがままに理解する」こと、これに尽きます。したがって、普段の国語の勉強は、この訓練に尽きます。国語の勉強、いや指導というのも訓練にほかならないのです。わたしはこの訓練を指導の場に取り入れるべく、新しいレジュメの制作に入ったのです。こうして普段の国語の勉強は漢字をその意味をふまえて身につけていくことですが、それは文章を読むことを通して身につけていけばいいのですが、漢字という抽象語のその抽象語たる所以をよくよく理解しながら、いやここでじっくりと考えて味わうことがとりもなおさず読解の訓練になっているということなのです。

 さてです。それでは抽象というのは、どういうことなのでしょうか。抽象ということをわたしたちがやるときには、なんらかの対象からその共通点、共通したものを見つける、探し出すということをやりますが、これがすなわち抽象化ということにほかならないのです。問題は漢字、すなわち抽象語を駆使して思考することなのです。例えば、小学生の作文では、男子とか女子とか出てきますが、この男子といい女子というのはもちろん漢字ですが、これは具体的な言葉でしょうか。ここで抽象というのはかなり個人によって段階があるということですが、男という文字は、なんらかの対象から共通なものを見つけて男という言葉にしたものです。ですから抽象語なんです。漢字を勉強するときにはこの抽象語たる由縁を考えながら勉強してほしいということなのですが、それがすなわち国語の訓練なわけです。国語の文章というのは、とにかくあなたが読みとるのではない。あなたは筆者がどう読みとったかを読みとるのです。それから問題(設問)は文章の筆者が作ったものではありません。入試担当者が作者です。ですから、ここでも作者が本文をどう理解したのかを、その立場になって、本文から答を探さなければならない、ということなのです。わたしの傑作「読解の素」はこの立場に立って執筆したものです。

 ◎小4は11月まで募集

 11月がタイムリミットです。と言いますのは、冬期指導を念頭に置くからです。そうなるとどうしても12月には指導を開始しておかないとまずい、そういう判断からです。

 なお、小5はもちろん、小6の募集も一切ありませんので、問い合わせは無駄です。それから高校受験目的の小6については、高い能力が条件です。「8割基準」は満たすことが必須です。もちろん小5も高校受験は受け入れます。

 ◎竹の会特製カレンダー配布開始

 6日より冬期申込の済んだ方につき配布しております。ただし、会員限定です。 

 

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