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大手塾に子を通わせて迷いのない母親のこと

2015.12.15

 あれは2012年の1月のことだったと思いますが、何人かの母親たちが入れかわり立ちかわり竹の会に見学にきたことがありました。中には「塾ツアーの一つとして竹の会にきた」などと言う母親もいました。その中で優しそうな静かにゆっくりと話をするお母さんがいました。すでに子どもさんは某大手塾に小4のときからこれまた無料体験からそのまま小5の今まで通っているということでした。あまりにも何も話さないので、わたしが何か困っていることがあるのか、と水を向けてみたのですが、別にない、「今の塾で困っていることはない」という。土曜テストも成績がよく、塾の授業もついていっている、と言うのです。いったい何しに竹の会に来たのか、わからないのですが、何しに来たのでしょうかね。今、考えると、竹の会にわざわざきたのですから、何か不安みたいなもの、それはおそらく漠然とした、具体化していない何かがあったのだと思います。

 よく竹の会の秀才たちが話しているのを聞くのですが、栄光やエナといった大手の授業をスポットで受けたことがあるというのです。その感想は、「学校の授業と同じだった」とか、「学校の補習だった」、「簡単過ぎて意味がなかった」、「たいくつだった」などと散々でした。まあ、竹の会で話しているということもあるのでしょうね。

 わたしが体験したことではないので、軽々には言えませんが、通っている子みんながみんな落ちこぼれることもなく授業がわかるというのは、何か不自然です。これが大手の進学教室だとこうはいかない。日能研や四谷大塚に通っていた子たちが竹の会にやってくるのは、授業についていけないからと決まっていました。進学塾ではついていけない子が多数出る。それで通いながら補習塾に通ったり、家庭教師についたりするわけです。ところが、都立中受検のための大手塾だとどうもできない子というのをつくらないように、オブラートに包んでいる気がしてしかたない。易しい問題ばかり解かせて、子は「わかる」と喜び、親は安心する。しかし、これで帳尻が合わなくなるのは目に見えている。受検が近づけば難しい問題は避けられない。ここでいきなり難しい問題に対面する。思考力を培うどころか、疎外してきたのだから歯が立たない。これを「伸び悩む」というのはちがう。伸びていたのが伸び悩んできたわけではない。最初から伸びてなんかいなかったのだ。易しい、だれにもわかる問題ばかり解いていたら、アホになるに決まっているでしょ。

 大手に通っていて「別に困ってない」という母親にわたしは思わず「ばっかじゃないの」と言わなかったけれど、純粋で人を疑うことを知らない、性格の優しい母親かもしれないが、竹の会の秀才が、「意味がない」と言ってのけた、つまり、小学生の子どもでも「わかる」ことに、気がつかないのは、あまりにも脳天気というしかないでしょ。その温厚で優しい母親の言うことを素直に聞いてまじめに大手塾に通う子どもも、お馬鹿さんということですか。ちょっと目端の利いた子ならいいか悪いかすぐわかるでしょ。

 だいたい頭を悩ませないで一年も二年も過ごせば、もうどうしようもないアホになるしかないでしょ。

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