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専門家

2021.09.07

 

専門家

ニールス・ボーア 物理学者
「専門家とは、非常に狭い分野で、ありとあらゆるしっぱいを重ねてきた人間のことである」
※ニールス・ヘンリク・ダヴィド・ボーアは、デンマークの理論物理学者。量子論の育ての親として、前期量子論の展開を指導、量子力学の確立に大いに貢献した。王立協会外国人会員。

 テレビで医師が専門家として何か言っている。そういえば弁護士がコロナ対策について、あるいはワクチンについて、何か言っている。これってどういうつもりなのかな。もっともテレビの視聴者のレベルはかなり低いからテレビ局もそこまでこだわっていないのかもしれない。要するに、アバウトなのである。新型コロナ一つとっても、この専門家というのは、感染症の研究者ならすべて専門家なわけではない。細菌の専門家は、ウィルスの専門家ではない。ましてや医師というだけで、内科なら内科の医師が専門家面して何か言うのはわたしにはえっと思える。そもそも内科といっても、医師は開業するに際して、内科でも小児科でも好きな看板を掲げることができることになっている。要する、感染症について何かを言うには、何か本を読んで知識を仕入れるしかない。やってることは素人と変わらない。医師だからなるほどと言うことを言っているわけではない。素人が肩書で何かを言っているだけである。弁護士はなんでもコメントできるような顔して何か言っているけど、そして周りが感心したような顔をした役を演じているけど、こんな下らないことを毎日垂れ流すテレビは要らない。
 お笑いを軸にどこのテレビ局も似たようなくだらない番組を毎日垂れ流している。こういうことがいつまで続くわけはない。知識人はテレビなど見ない。IQの低い層がこういう低俗番組で時間を潰す時代もそう永くは続くまい。新型コロナが危機的状況なのに、だから緊急事態宣言が出されたのに、テレビは全く別世界にいるかのように朝から晩までサーカス(オリンピック)の様子を垂れ流した。ちょっと待てよ。今緊急事態なんだろ。なんでそんなこと全く関係ないようにお祭りやってるんだよ。同じ日本の中だろ。サーカスが終わると、3兆円の借金と自宅療養という切り捨てが待っていた。その結果手当てを受けられないで人が死んでいった。
 IQの低い人たちももういい加減に自分たちのバカさ加減を悟ってほしい。
 権力に近い人たちは、国民の命などいつでも切り捨てて平気なのだということを。もう目を覚ましてほしい。あなたたちは、政治の深いところでどういう判断がなされているかにあまりにも無頓着でした。
 緊急事態というのに、人々に緊迫感を伝えることもなく、一日中サーカスを実況する放送局なんてあるのですか。それじゃー、緊急事態なんかじゃないですか。
 祭りの跡、夥しい数の人たちが自宅療養という名の入院拒否にあいました。都知事はオリンピックは何の影響もなかったと嘯いています。そんな知事に私たちは命を奪われることになりました。あなたたちは、もういい加減目を覚ましたらどうですか。
 もちろん私たちは知っています。総理大臣が派閥の利権代表だということを、自民党なら自民党の利権代表だということを。そして国会議員は自分を送り出した利益団体の代表だということを。
 国民のために本当にいいことを最優先させてやろうととすればたちまち総理を、党役員を、公職を、国会議員を引き摺り降ろされる。
 今、必要なのは、利権を代表しない戦時内閣、戦時総理なんです。短命で構わない。チャーチルのように。新型コロナとの戦いに、国民に生命の安全を第一に考える人を私たちは渇望している。
 本当に必要な人を求めている。
 専門家って何ですか。医師なら医学の専門家ですか。医療のことならなんでも知っているのですか。専門家というのは、狭い狭い範囲のことしか知らない。専門以外は素人です。内科の医師は内科のことしか知らない。そもそも感染症については何も知らない。素人なんです。
 弁護士ならどんな問題にも詳しいわけですか。テレビでは弁護士が国際関係について、コメントをしています。専門外でしょ。何を知っているというのでしょうか。ネットや本で調べてきたことをさも詳しいかのように話す。バカでしょ。

もう一つ、専門というのは、失敗を重ねてきたということです。失敗して学んできたのです。優秀な外科医は、優秀と言われるまで、それは多くの手術を失敗してきたはずです。殺した患者の数は数えきれない。それが名医の姿です。私は専門家だというとき、それはそれだけ場数を踏んできたということ、つまり失敗を幾度となく重ねてきたということ、なんです。わたしは都立入試の専門家と言うとき、難しい手術をする医師が踏む場数とは違いますが、やはり場数を踏んできた、そう思います。ただ倍率が平均1.5倍の都立入試では、失敗は相対的に少ない、それはあります。
 一流の専門家になるには、ありとあらゆる失敗を重ねる必要がある。IQの低い人は、他人の失敗を責めますが、失敗は一流への一里塚なんです。失敗を重ねることが、専門家の宿命なんです。それは本質的に専門家である前に人間であるからです。
 私たちは、専門家の言うことを、専門家だからといって信用してはならない。専門家は、失敗を重ねる人のことである。本物の専門家とは、失敗を重ねた人のことである。偽物の専門家は自分が如何に専門の知識を持っているかをひらけかし騙す人のことである。法律の専門家が、国際問題に、社会的事件に、専門家然としてコメントするのは、本人がバカなのか、テレビ局が狡猾なのか、法律家ならなんでも知ってると思われているが、専門家とは、法律なら、民事の専門家、刑事の専門家、民事なら民法が専門か、会社法が専門か、とにかく狭い、狭い範囲で数えきれない失敗してきた人のことである。
 どこどこの名刹の和尚なら人生の専門家か、それは違うでしょ。
 人生という修羅場でどれだけ失敗を重ねてきたか、それが専門家ならば、少なくとも裕福で、東大など出た和尚は、そうじゃない。
 
 今年も夏休みが終わり、また9月。今年の9月は秋の気配が漂う。塾の先生をやっていると光陰矢の如しがあたりまえ。いつも秋はいろいろ悩む。実力の伸びない子たちのこと。中学受検なら諦めたほうがいいのではないか。高校受験なら志望校を下げるしかない。どんなに志望校への気持ちが強くても高校受験ではそれはない。中学受検ならまだ高校受験があるから好きなようにするのは、勝手かと思う。私的には、合格の見込みがないのなら受検はあきらめて、次のステップをめざして準備をする、というのが筋なのかな、と思うけど、世の中の親子はそうは考えない人が多いようである。
 一歩譲ってギリギリ合格したとしよう。入学してそれなりの成績を取れるか、甚だ疑問である。選ばれた子たちの中でそれなりの順位を保てるか、ということである。
 そもそも区立中学に入っても、高校受験で成功するのは、難しいのだ。公立中学に入った子たちにはいろいろな子がいる。そもそも勉強と無縁な、IQの低い生徒が半数以上いる。都立中受験に失敗した者、私立中受験に失敗した者、もともと受験はしなかったがIQの高い者など多種多様である。全体の2割ほどが真面目に勉強する。つまり、トップ都立、いや七都立をめざすであろう子たちは、この2割の中にいる。中学というのは、途中から勉強しなくなる子たちがわんさか出る。たいていは何らかの部活に入り、と同時に勉強しなくなるという、怠け者特有のパターンを辿る。
 この2割にあって成功するには、いや確実に成功するには、早期の、かつ前倒しの勉強をしなければならない。スタートは、小6の2月が推奨である。
 ただこの時までに、計算力、割合、思考力、勉強のスタンスといったものが確立されていなければならない。だから受検をめざして早くから勉強することはむしろ大切なことである。ただ竹の会の経験では、大手、他塾の子たちが、このような思考力をつけていたことはほぼ皆無であった。いったいあなたたちは大手に2年も3年も通って何を勉強してきたのですか、と訊きたくなる。
 いいですか。受検に失敗することがわかっていて、それでも受検のための勉強をすることは、落ちたとき、高校受験することになることはわかっている、それなのに算数を未熟のままに、適性問題に取り組む、それでいのですか、ということです。落ちたときに、高校受験のために必要な算数、思考力がなければ、中学では通用しないということを知ってほしいのです。竹の会の子たちが、中学でトップクラスを取るのは、七都立に合格していくのは、小学で基礎を徹底して鍛えたきたからです。竹の会に中学から来ても伸びていかない子が出るのは小学時代に何もしてこなかったからです。また竹の会にいたとしても結局算数を通して思考力を形成すらことができなかった子は中学で成功することはないし、そういう子が部活などを始めればいずれどうなるかは分かりきったことです。
 そもそも中学というのは、並大抵の勉強じゃーどうにもならないところです。もし受検をやったなら中学は受検のとき以上に勉強しなければならない。わたしはよく最低5時間と言いますが、例えば3時間程度の勉強ではまず無理です。そもそも3時間程度しかやらない中学生なんか、いずれ勉強なんかしなくなります。何もしない方が楽という生活姿勢を当たり前にしていきますよ。
 高校入試で頑張ると言ったってそんな簡単じゃないということです。
 
 

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