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小学生算数難民のこと/高校数学への憧憬

2022.10.01

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高校数学への憧憬
 かつて青山学院高等部や都立駒場、新宿などの生徒に数学と英語を講義していたことがあった。あの当時、数研出版から出ていた、数学の問題集があった。略解しかついていないが、シンプルで好きだった。教える立場になって、特に、詳細な解答集もそれほど必要を感じなくなったということもあるが、詳細な解答集には、高校のとき手に出来なかった思いが重なり、何か宝物のように思えるのだ。
 高校のとき、数研の問題集が学校で配られた。巻末に略解が載っている。実は、この問題集には、別冊で詳細な解答集があるのだということを知ったのは、かなり後のことだ。出版社に聞いたら、学校の先生なら注文できると言われた。私立の学校ではたいてい生徒に配るが、公立ではそういうことはないようだ。予算の関係だろうか。高校数学というのは、解答から「学ぶ」ものだろう。自分で考えろ! というのは、初学者には酷であろう。私も大学受験のときは、Z会の通販で、問題集を取り寄せて勉強した。もちろん詳細な解答付きである。数学の問題集に、詳細な解答のないものは役に立たない。答えのみ、略解のみではだめなのだ。数学を独学でやるときはもちろん、たとえ授業があっても必要だ。授業では一部しか触れないし、理解できないこともある。そういうときにじっくり読める解答が頼りになる。
 今は、フリーマーケットのネット版が、普及し便利になった。ネットでこれまで手に入れられなかった書籍類もすんなり手に入ったりする。竹の会のような小塾でも、大手に負けない情報の質を確保できるようになった。
 高校時代、数学で苦しんだ記憶が、今になって、あの頃買えなかった、手に入れられなかった書籍(参考書、問題集)をつい買う衝動に走らせてしまうのか。
 特に、数研の問題集に対する思いは深く、高校生に数学を教える気もないのに、あれこれ購入してしまう。いつか高校生に数学を教えることがあれば無駄にはなるまいが、高校数学への憧れ、ノスタルジーへの衝動を抑えられない。

小学生算数難民のこと
 私が公立小の子たちの低学力に驚いたのは、平成17年前後のことだったか。それまで高校受験一筋でやってきたので、公立小の子どもたちがそんなに酷いということになっているとは思いもしなかった。ちょうどその頃から竹の会にも公立中高一貫校に行きたいという子どもたちが訪ねてくるようになった。衝撃を受けたのは、小6の6月、7月というのに、できる子でも通分を知っているという程度、割合の理解を調べると、これもできる子で、「1000円の20%は何円ですか」といったベタな問題が解ける程度、小学生の大多数を占める普通の子に至っては、通分を理解するのに四苦八苦する酷さで、割合の理解など推して知るべし、であった。
 こういう子たちに割合を理解させるのは、ほとんど不可能のように思われる。私は一旦は絶望し、考え直して、なんとか工夫することはできないか、と思案した。市販の教材は使えない。ベタな問題を練習させるだけの「覚えさせる」ことでその場を凌ごうとしたものばかりだった。私は、自分で「創る」しかないのか、と思いを新たにした。19年、20年、21年の3年間、私は知恵を絞り、それこそ日夜思案した。指導日には、思いついたアイデアをレジュメにして、子どもたちに試した。いろいろ作ったが、それなりに好評で、それなりに効果もあったと思うが、わたしを納得させるものではなかった。私の作った割合指導のアイデアは既に膨大な量に達していた。22年の秋のことだったかな、両国志望の男子と富士志望の男子、2人とも算数を順調に伸ばしていたのだが、その2人の会話が私の耳に留まった。「あれ、よかったよな、先生のあのレジュメで算数がわかるようになった」「そう、あれメチャクチャによかった、あれで割合がわかった」。私は「どのレジュメ?」と割って入った。何度かやりとりして、「あ、あれか」とわかった。帰ってすぐパソコンを開き、件のファイルを開く。「これか」。私は、感慨深かった。ファイルには100枚ほどのレジュメがあった。私は、このレジュメを土台に、改めて新作の創作に取り組んだ。平成22年のことだった。ミクロマクロ法が日の目を見たのは。遂に完成させたのだ。これから、このコンセプトで子どもたちを啓蒙していけばいいだけだ。私は無心に新作レジュメを作り続けた。竹の会の算数の幕開けだった。成績優秀な子どもの親御さんほど、絶賛した。「目から鱗が取れるような指導でした」と驚きを隠せない親御さんが続出した。
 算数難民を救うこと、このことに熱い思いを抱いて、研究に情熱を注いできた3年間でした。
 竹の会では、受検をいいながら、入会試験にも受からない子たちを、6か月だけという約束で入会を許可した時期があった。そういう子たちを一時期でも指導してみようと思ったのは、算数難民救済のために考え出した私の算数の方法を試してみたいという気持ちがあったのかもしれない。受検しても合格は難しいと思われる子たちを引き受けてしまったのは、入会試験で切ってきた当初の趣旨とは反することであった。しかし、この子たちが、私の意図と反してこのまま残ることになろうとは、思ってもいなかった。一旦竹の会の算数、竹の会の指導を経験したなら、自主的に退塾するという子はほぼいない。退塾するのは特殊な事情を抱える子に限られていた。
 どんなにできないという子も一年、二年と地道に指導していくと、いつかできるようになっていた。最初からできない子はどんなに伸びても受検に成功するのは限りなく可能性は低いことはわかっていた。でも、わたしはそういう子たちを、少なくとも難民からは救済できたのではないか、そう確信している。受検には成功することはなかったけど、中学に入って、計算、割合の基礎が完全な子たちである。中学で十分にやっていける、やっていっていることであろう、と思う。受検には成功するとは思っていなかったけど、わたしは、中学、高校と頑張れるだけの大切な宝物をあの子らに持たせてあげることはできた、と思っている。
 

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