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中学受験 高校受験 受験相談 渋谷で創立30年

小石川、両国、桜修館の時代/都立中高一貫校という選択/最低でも戸山を/竹の会 看板に偽りなし

2017.02.28

 おはようございます。今年は暖冬であったという話しです。その前に暖冬になるという話しはなかったと思うのですが、これも結果論に説明を後付けするということですが、予想は外れたわけです。そういうわけで朝夕の冷え込みは相変わらずですが、日中はほどほどに着ないととんでもないことになります。このところ竹の会ではインフルエンザで休む子が一人二人と出ております。各学校では猛威を振るい学級閉鎖に及んだところが出ていると聞いております。

 小4のこの時期に来るか、小4の7月あたりに来るか、ということでは、この差というのが、あまりにも大きくて、小4の2月ないし3月から始めた子たちが、すでにして前年の8月から指導しているという子に竹の会標準ではもう取り繕いがたいほどの差となってからのスタートということが現実になっております。これから分数の通分を学ぼうとする子に対して、すでに小5や小6をも凌ぐ割合思考を手に入れている子たちがこれからさらに訓練を重ねて磨きをかけていこうとしているからです。

 よく大手に小5の11月頃までいてさすがに大手信仰の親でも子どもの現実に不安を覚えるまともなアンテナをもたれる親御さんもいるわけでして、もともとが優秀なお子さんであれば竹の会でも受け入れてみようかとうことで受け入れることもあるわけですが、大手でそれなりの期間過ごしたということが、思考形成のなんの糧にもなっておらず、小5の1年間を思考訓練に費やしてきた、竹の会の子たちにどうしても遅れをとってしまう、失速気味なのは、じっくりと思考をする時間というものをもたないできたことのつけをここにきて払わされている感をぬぐえないわけです。まあ、遅れて竹の会にきた子たちはこの3月が踏ん張りどころでしょう。

 わたしは8月の早稲田進学会の模試を本番と心得て、この時期にもう猛勉強をしてほしいと考えております。28年に受検した小6の中には、小6の1学期はまだ習い事や稽古事を続けて、一週間のほとんどを潰し、時には発表会と称して塾を休むこともしばしばでしたが、これは8月本番という姿勢ではありません。いいですか。8倍、10倍ということなんです。そして今は私立難関受験の子たち、そういう子たちは小4,いや小3のときから大手進学塾に週3日とか、4日とか通って、春、夏、冬と講習を目一杯、大手の言われるままに、受けてきた、そういう子たちなんです、そういう子たちが、私立難関の併願先として、都立中を有力な一つとして入れている、そういうことを考えなくてはなりません。そういう子たちがほぼ毎日何時間も勉強しているのに、のんびりと習い事や稽古事に現を抜かして、受かると思っているのでしょうか。竹の会のわたしの指導ノルマをこなしてきた子は確実に早稲田進学会の模試で上位をとってきました。いいですか、わたしの指導ノルマが何よりも優先しなければならない、そうしなければ合格することはない。竹の会の子たちが8倍、10倍を勝ち抜いてきたのにはそれだけのわけがあるということです。何か知らないがとにかく竹の会に優先させることが、竹の会を蔑ろにすることが、そしてわたしを落胆させることが、その蓄積が、2月3日にすべて負の資産として表れる、そして2月9日の掲示板はそういう人たちには過酷な現実を突きつけることになる。

 かつて「竹の会の看板に偽りなし」と喝破されたお母さまがいました。実際に通い初めてすぐのことであったと思います。ここしかない、と思って実際に通い始めて、やっぱり思っていたとおりだった、いやそれ以上、想像していた以上の内容だったと、感嘆されて、メールをしてこられました。あまりにも素晴らしかったのでメールせざるを得なかった、という思いがひしひしと伝わってきました。

 実はこういうことは竹の会では珍しいことではなく、入会後、お母さまたちから感嘆の、あるいは驚嘆のメールをいただくのはほんとうにたくさんあるのです。特に、子どもさんが「変わった」ことに驚かれる親御さんが多いように思います。それは学校の担任の先生の驚きということでもたらされることもあります。感謝の言葉、驚嘆の言葉をこれほどいただく塾がほかにあるのか、それほど竹の会に入会されたお母さまたちのお子さんの変化は魅惑的なまで感動的なのだと推測されます。

 あるお母さまはわたしのことを「嘘偽りのない先生」と言われました。自分に正直に生きてきましたので、これほどうれしい評価はありません。子どもたちが飼い殺しになっているのに黙認して、不作為を決め込む、そういう塾の先生が多いと思います。大手塾などはどんなバカでも受け入れてカネをとれるだけ取るはずです。これは大手が株式会社であり、利益優先がもともとの出発点であり、目標であったのですから当然のことです。そういう大手が宣伝にカネをかけてバカな大衆、つまり権威に弱い親たちを取り込むのは朝飯前でしょ。大手に子どもを差し出すということがどんなことなのか、少なくとも大手を経験されて竹の会にやってきた親御さんにはよくおわかりのことと思います。子どもは確実にスポイルされます。しかもそれなりに優秀な子であってもです。学校の優等生が潰されるのです。大手で生き残れるのは学校の優等生ではだめで、自分でもともと思考するということの天分を持ち合わせた一部の天才だけです。

 竹の会では退塾をお願いするのは、当然の話しです。子どもが失速しているのに塾に通わせてカネをとるのは詐欺です。だからわたしは良心的に対応する、それが退塾です。ところが、竹の会に通わせている親御さんというのはなかなかこの論理を素直に受け入れてもらえることがないというのが現実でした。退塾を折衝するのに使うエネルギーは私を消耗させるし、ストレスも半端なものではありません。竹の会は、感謝の言葉に満ちた塾です。これまでにどれほど多くの親御さんや子どもたちが最大級の感謝のことばを遺して竹の会を卒業していったことでしょう。わたしの手元にはそういったお母さまや子どもたちの手紙がたくさん遺されています。

 もちろんすべての親御さんがそういうわけではありません。合格したのに挨拶もなしという親もいましたし、逆に不合格だとそのまま逃げるように竹の会から音信を断つ親子もいますが、中には不合格しても今も竹の会で小学時代を過ごしたことが今の結果につながっていると今でも毎年感謝のことばを寄せてこられるお母さまも何人かいます。竹の会の真意が伝わった方たちです。

 合格したかしないか、そこだけとらえて竹の会で合格しなかったら竹の会は使い捨て、そういう意識の親御さんも多数いるということです。塾も使い捨て、消費の対象でしかないのです。当然のようにその子どもというのも消費的生活にどっぷりと浸かりもともと指導には適さない類いであったとも言えます。むしろ大手に行くのがそういう人には向いていると思うのですが、そこはそこで妙に大手はダメだ論理を言い募るわけです。

 わたしはよく思うのです。世の中にほんとうにいい塾なんてあるのだろうか。わたしの子どもだったらまず入れない。自分の子がバカだったらなおさら入れない。それなのに世の親というのはバカな子どもも大手に入れて親が一生懸命に面倒を見てやればなんとかなると思っている。確かに、小学生だと親が必死に見てやらなければそもそもダメでしょう。しかし、バカはバカです。バカの壁は破れないと思います。子どもには器がある。だから子どもの器を考えて盛ってやる。それが当然でしょ。

 大手塾で多くの親が自分の大切な子をスポイルしているのが現実です。そして賢明な親がいてそれに気づくこともありますが、たいていは手遅れです。地元塾ならいいのか、ということですが、正直消極です。既成の、お仕着せのテキスト使って、黒板使って、授業する、そんなのでは同じです。ある母親が、「竹の会と同じようなやりかたの塾に行っていた」と言ったことがありました。訊いてみると、新中学問題集、新小学問題集を渡されて、自分で考えるのだそうです。わからないときは質問すれば説明してくれるのだそうです。これをもって「竹の会と同じやりかた」と言うのです。ちょっと待ってくれ、あなたは竹の会に入ってもいないのに、竹の会の話しを聞いただけで、そんなことがわかるのですか。竹の会がどんなものかわかるのですか。その程度の理解だから子どもをスポイルさせることになるのです。ネットでは一時期「竹の会のような塾」と検索した人がいましたが、多分竹の会を止めて他塾に移った人なのかと思いますが、そういう人が自ら退塾したのに結局竹の会のような塾を探しているわけです。竹の会という塾は一度でも通えば、そして退塾して転塾して他の塾というものを経験すれば、竹の会がどんなにいい塾だったかというのがわかるのです。かつてそういう生徒がひとりだけ現実にいました。中1のとき当時人気の英語塾に移りたくて竹の会を止めた女子がいましたが、中2の終わり頃には、竹の会の同学年の子たちが代々木中学と上原中学の数学5をほとんど独占してしまった。つまり竹の会の子たちがほとんど数学5になったということがありました。中3の4月のことでしたか、親子で「もういちど戻りたい」と半泣きで懇願されたことがありました。これが唯一出戻りの例です。竹の会が数学、英語で近隣に名を馳せた時代のよき思い出です。

 正直今悩んでいるのは、竹の会大好きな子たち、竹の会を絶対に信頼していて下さる親御さんたちに、失速あるいは失速見通しを理由にわたしが退塾を言い出せるのかということです。

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