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小石川、桜修館、九段、富士全力集中/模試のこと/仮合格者が不幸にも退塾の仕儀に至ること/竹の会のレジュメの由来

2018.11.15

 おはようございます。11月15日になりました。もう少しで10時です。ベランダから少し日の光が差し込んできました。今日はいい天気になりそうですね。昨日から寒さが増してきたように思います。この11月はこれから訪れる冬将軍の前の長閑な日よりを楽しめる、最後の月になります。師走に入る前の、子どもたちがもっとも勉強できる、ほんの短い幾日かですね。子どもたちは時として熱を出してはお休みしながら勉強生活にもどってまた頑張る、これからはそういう光景が目につくようになる、いつも直前期の風景は変わらない。

模試についての竹の会の立場

 先日もこのブログにてお話ししましたが、昨今は大手予備校どうしの受検生の取り込みと表裏して、各予備校が主催する模試が、受検生を分断して、志望校単位の合否判断が難しくなりました。竹の会では、特に、適切な模試のない富士や九段志望者については、長く、大原の模試を勧めて来ましたが、去年の小6が残した大原の模試のデータと合否の実際がまったくかけ離れていることに正直戸惑いながら疑義を保留しておりました。現在の竹の会の分析、結論は、先日のブログにて申し述べたとおりです。もともと桜修館志望者についても、昔から特に特化した模試があったわけではなく、竹の会では、比較的粒がそろう早稲田進学会の模試で揉まれればそれで十分としてきました。今年は九段志望者についても、大原の志望校別ではなく、むしろ早稲田進学会の力のある受検生にもまれてくることをよしとしてきました。昨日は富士志望者の親御さんから、それではどこの模試にすればよいのか、とのお問い合わせをいただいておりまして、現在の竹の会の考えは、早稲田進学会の模試であればよし、としております。志望校別ということにはもともとわたしは重要な問題ではないと考えております。要は、力のある、合格レベルにある受検生に混じって、力を発揮することに意義があると考えております。小石川を受けなくても、小石川模試を受けて、小石川志望者の上位に立てば、それで十分自分の力を確認できるではないですか。もし大手の用意する、例えば富士なら富士用の模試を受けたとして、富士志望者の中での序列が出たとして、それにどれだけの信頼性があるか、ということです。実際の受検者数も開示しない模試は信用できません。さらに大手のテキストと模試の出題問題との関連性も問われるでしょう。さらには、大手ごとに模試を用意すれば、志望校の受検者はかなり細かく分断されます。とにかく不正確としかいいようがありません。加えて、模試と本番の問題との質の違いも問われます。少なくとも模試で合格可能性80%を何度もとった子が落ちる模試には問題があります。

仮合格者の期間経過による退塾について

 この問題につきましても、先日のブログで触れております。今日は、このときのブログを受けて、該当する親御さんからご質問のメールをいただいたことについての、竹の会の公式見解として書いております。

 現小5につきまして、来年1月までに「小学思考の素~その他の問題編」を終えていない子の適性指導は困難との見解を示しました。これは、本年ある小6が、夏休み中この「その他編」にかかりきりで、その進捗は極めてのろく、7時間あっても1問、2問のペースでしたが、そのためさまざまな予定の指導はすべてキャンセルという先送りのままにされてきたのですが、この小6が、9月の模試で考えられない結果を出したようで、そのまま敵前逃亡したことに、端を発しています。わたしがそういう小6については、もっと早くに適切な判断をして、切るなりの対応をしておくべきだったのかもしれません。しかし、現実には、まだ受検のためという意志に陰りもなく親御さんも熱心な段階でそのような決断をするのは忍びないという、今から考えれば、かなり甘い判断があったと思います。実は、「その他編」については、いろいろ曰くがありまして、去年の小6で落ちた子の2人について、一人はとうとう夏が過ぎても終わらせることはできず、もう一人は3月の数日でなんとか強引に終わらせるという挙に出ましたが、これでは、思考養成の意味はなくただ終わらせたことになっている、ということです。思考という遊びのゆとりのない、短期間というのは、意味がないのです。通常は、終わらせたら、7回解き直しをする時間も計算に入れておかなければなりません。やりっ放しでは終わったことにはならないのです。もう少し言えば、「その他編」どころか、その前々段階の「割合問題編」さえも終えていない子が2人もいまして、直前までがんばったのですが、やはり落ちています。ちなみに、竹の会では、適性対策をとれるのは、竹の会の5部作、「算数の魁」「思考の鍵」「割合問題編」「新小学」「その他の問題編」を終えていることが前提となっております。さらに、「推理の素」「1%下巻」などまで進めば言うことはありません。これらは短期間に終わらせるのではなくて、時間的なゆとり、遊びの期間をもって、つまりそれなりの思考時間をはさんで終わらせるのでなければ意味がありません。だからわたしは小3か、小4早期の入会を強く勧めているわけです。小5に来た子たちがどうしても、この思考養成ステップを消化不良のままに、小5の2月を迎えることになる、これが失敗、失速の最大の原因であります。ですから、竹の会に入会かるのは、小3から小4の4月までが最適ということです。

 さて、件の親御さんは、1月をもっての退塾を懼れていました。これに対して、わたしは、合格の見込みもない方からおカネはとれない、ということを説明いたしました。現小5には、なかなか竹の会の青写真どおりに進んでいない、仮合格の子たちがいることは、正直ずっとわたしの中では、未解決の懸案事項でありました。そういうわけで、先日のような内容になりました。竹の会でできることはここまでということを示しました。小6になって、失速し、敵前逃亡を図るまで、無駄にカネだけとって飼い殺しにするようなことは絶対にしてはならないと思っております。そういうわけで、来年の1月を一つの区切りとすることの決意は変わりません。それまでにわたしを驚かせるほどの勉強ぶりを見せて努力する子もいるかもしれませんが、それではこの11月で退塾します、とい判断も当然に想定しての、竹の会の見解です。

 高校入試として切り替えることについては、認める方向です。ただし、それも小6の2ないし3月までです。その時点で中学でも竹の会の指導に耐えうるとの判断がなければ、中学でも竹の会ということはできません。ただ現小5が小6の1年間を将来の高校受験に備えて、基本を鍛えるという主旨です。

 さらに、小5が高校入試に切り替える場合、渋谷Bで受け入れる、という主旨のことも先日にお話ししたとおりです。

🔵竹の会のレジュメの始まり
 レジュメとは何か。レジュメに何を託したか。レジュメの起こり、なぜレジュメと呼ぶのか。
 それは竹の会の指導の意味と深く関係している。レジュメのもともとの狙い、発想、趣旨は何だったのか、これについては、過去のブログでも何度か触れたことがあります。

 いつの頃だったか。高校の頃、毎日のようにいろいろなプリントが配られた。数学のプリント、化学のプリント、古文のプリント、とにかく毎日科目ごとにプリントが配られた。今、考えると、教科書以外に大量のプリントが、わたしには、過重な負担だったということであった。しかし、その頃の私にはそれがわからなかった。なにもかも完全にやらなければ意味がないという観念に支配されていたのが当時のわたしだった。高校の教科書というのは、とにかく分厚い、知識量が半端じゃない。プリントはもはや教科書の補助ではなかった。進学校のプリントは教科書の遥か上のレベルの知識を扱った。授業はないに等しい。特に、数学、英語は、予め渡されて、プリントや副テキストを家庭でやったことを前提にしての、発表の場であった。これが進学校の授業だ。教科書をまともにやれない。やらないままに時が流れる。プリント攻勢は半端なものではない。私が落ちこぼれるのは必然の流れであった。ただ数学のプリントだけは私を救った。数学だけは教科書を真面目に読んだし、プリントで出される問題を何度も繰り返した。数学の定期テストでは、8割を超えたのは、プリントのおかげだった。プリントと言えば、数学のプリントはよかったな、と今でも思い出す。化学の教科書、生物の教科書、日本史の教科書、世界史の教科書、これらは、教科書を完璧にやるべき科目だと思う。物理はプリントがよかった。地学は教科書だけでよかった。古典は、文法、徒然草、枕草子などの副読本がいい。未だに、古文、英語、の教科書は、攻め難いものがある。結局、私は、古語を覚えた程度。英語は、英単語1万語を覚えた。原仙作の「英文標準問題精講」は50回以上読んだ。英文を読むと誰が書いたかわかるまでになった。あっ、「これはロバートリンドの文だ」、「オーウェルの文だ」、「モームの文だ」と分かるまでになった。教科書が大切だと言われた日本史、世界史も結局山川の教科書をやれずに、「山川の日本史用語集」、「世界史用語集」を完全に丸暗記した。何十回も読み込んだ。黒のボールペンで、覚えたら、塗り潰していった。生物も結局教科書はやれずに、数研出版が出していたB6判の薄い問題集、見開きで1単元、要点と問題1、2題という編集、これだけ。かなり不安だったがやる気がしなかった。
 得意というか、なんとなく自信を持っていたのは、現代国語だけ。あれは、実は、音読しかやってない。単元の文章を大声出して、10回読む。毎日これをやった。とにかく速く読む、猛スピードで読む。ランナーズハイというのがあるが、音読ハイというのもある。難解な文章、小林秀雄なんかの文章が、読むと同時にその意味がスイスイと頭に入る、わかる、それが、文脈を追うことになり、いつしか文脈を追うということが当たり前になってきた。
 わたしは、名参考書と言われるものに弱く、「古文研究法」や「新釈現代文」なんかを読み込んだ。またコンパクトにまとめた参考書にも心惹かれ、漢文は、そのようなものを読んだ記憶があるが、書名は覚えていない。本番で9割とった数学は、最後は、Z会が出していた「数I数IIB200題」を取り寄せ、これを50回は読んだ。よくクロスレファレンスというが、問題を見ただけで、解の数式が頭の中に流れるまでになった。さらにその解の流れが、立体交差して、いろんな他の問題を解くときにも、解として浮かぶようになった。知の再構成が頭の中で進んでいったように実感した。
 私がレジュメを思いついたのは、進学校の先生が、これをマスターさせたいと思うところをプリントにした、あの発想にあった。これを教えたい、理解させたい、と思うとき、回りくどいテキストなんか使ってられない。ストレートに勘所を伝えたい。要点はこれだ、と伝えたい。また、わたしの解説を、シンプルな解答を提供したい。何よりも、わたしが、これと思う、知財をわたしの裁量で、厳選し、1つの情報として、思考形成のための道具として、提供したい。
 今のように、解説にこだわるようになったのは、やはり資格試験の予備校LE Cで、司法書士試験の書式問題を作成するアルバイトをやっていた経験が、大きいと思っている。わたしの作った問題は、LE Cの講座などで使われた。一問作るのに、何日もかかかった。問題は解説も作ることまで含まれる。それもかなり詳細な解説である。高い費用を取って講座に使うのだから当然と言えば当然だ。一問に支払われるギャラは、2万5千円を基準にして、できのいいものにはプレミアムが付いて3万5千円にはなった。この時の経験があったから、わたしは、レジュメに解説をつけることを当然とするようになったのだと思う。さらにレジュメという言葉もそのままLE Cの言葉を借用した。レジュメというのは、ドイツ語で、梗概という意味合いだが、竹の会では、わたしの裁量で選んだ、指導のための道具である、という意味あいで使っている。竹の会独自の用法である。
 レジュメは、シンプルだからいい、詳し過ぎるものは役に立たない。これも、わたしの大学受験の経験から来ている。真に必要なものを、簡潔に、シンプルに、頭に入れればよい、という発想である。

 こうしたレジュメの制作を可能にしたのが、パソコンとさまざまな数式や図の作成を可能にするソフトであった。かつての高校時代のプリントがわら半紙にガリ版印刷、図もコピーしたものだったのと比べると、画期的な、コペルニクス的転回にも匹敵する躍進であった。わたしは、詳細な説明をカラーの図を駆使して、製作できるようになった。竹の会のレジュメはその進化を続け、毎年新たな試みを提供している。今わたしは課題だった、イラストレーターの練習にも少しずつであるが時間をあてるようにしている。もっともっといいレジュメにしたいという私の思いは尽きることはない。

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