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中学受験 高校受験 受験相談 渋谷で創立30年

小石川、西、日比谷、戸山に合格したいならそれに見合う行動をとりなさい

2016.02.16

 おはようございます。事情がありまして最近は我が家は全員が6時半起きです。朝早いといろいろ仕事が片付く、だから江戸の昔、お百姓さんは夜もまだ明けない時間に起き出して畑に出たのであろうか。まだ暗いので人が歩いてくると夜盗かもしれない、とにかく恐い、それで大声で「お早うございます」と声を掛け合ったのだという。一日の仕事の始まりと「お早うございます」にはこんなつながりがあったのですね。

 一日だけの春の嵐が過ぎるとまた冬に逆戻り、この時期は、寒寒寒暖暖寒寒・・と寒が強くて寒と暖の繰り返し。気象庁はよく梅雨入り宣言や梅雨明け宣言を修正するけれど春一番はどうなのだろうか。

 故郷の冬は寒かった。わたしは九州の大分県別府市出身です。ですから寒いと言っても北国のそれとはレベルが違います。ただわたしの少年の頃の記憶はさしたる暖房機器がなかったせいか、とにかく寒さでいつもぶるぶる震えていたことしかない。それでもなかなか重篤な風邪をひくということはなかった。今のように抗生物質が次々に開発されてのまされる時代がほんとうにいいことなのか疑念はつきない。子どもの頃、暖房と言えば、火鉢だった。それが練炭火鉢に変わって、火力が強くて、股火鉢なんかもよくやった。着ている服からしてとにかく寒い。今のようにヒートテックなどという便利なものもないから、いつも震えていた。これが江戸時代だといったいどんなことになるのか、と思うけれど、人というのは、そのときそのときの環境によく順応して生きてきたのだと思う。

 さて、今年の公立中高一貫校の試験を終えて、いろいろと思うことも多い。特に、今年は、「この子は受かる」という、わたしの中に確信させる子というのが、ほとんどいない、という不安に苛まれた。 今思えばやはり夏までの勉強量が難関中ほど大きくものを言うということであろうか。夏というのは、親も子ものんびりと構えてまるで危機感の欠片もない時期で、勉強なんかしなくてもあとから頑張ればいくらでも挽回できると思っている親子のなんと多いことであろうか。実際は決してそんなことはないのに。

 特に、小石川や九段、桜修館レベルとなると、そのことは決定的に大きな意味をもっていたと思う。夏、よくわたしは子どもたちに「昨日は何時間勉強やったの?」と訊いたものである。ほとんどが「う~ん、4時間弱」などというはっきりしない答えをする。が、中にいつも二人だけ、「7時間」ときには「8時間」と言う子がいた。実は、それが小石川と九段に合格した子だった。なんという符合であろうか。

 今年の合格者には、課題もほとんど出していない、こなしたレジュメの量も極端に少ないという子たちがいた。これについては、どのように考えたらいいのか、これから分析していく必要がある。中には、「小石川とはレベルが違う」という意見も耳にしましたが、それにしても5倍とか、7倍とかの倍率を突破しているわけですから、釈然としないものがあります。勝ち方として、わたしは、適性は半分を確実にとる、作文で高得点をねらう、ということを戦略として指示しました。また、直前には、「適性Ⅲの研究」など適性に勝つためのレジュメを制作し7回解き直しを指示しています。小石川を除いては、今後はその程度でも勝つのだという貴重な資料を得ました。聞くところによれば、他塾の子たちは軒並み落ちている、大手もいつものことですが、何人受かったとすごいのですが、不思議と竹の会の子たちの通う学校ではほとんど全員落ちている、これはどういうことなのでしょうか。

 それから勉強に、勉強だけに悔いを残さないほどの時間を使ってきてもいない人たちが、落ちたからといって悲しむことはないと思います。落ちたのは勉強にかけた時間が少なかったからです。直前にいくらがんばったとしてもどうにもならない。そんなことは常識です。2月3日の試験ですよね。だったら、11月頃にはもう力は確定している、そこまでの力ですよ。高校受験だと、数学にしても、英語にしても、本元のところは、夏までにできあがっている。それから後の勉強というのは、「忘れる」、「直前まで読み返さないと忘れる」という人間がもともとも持っている性質との戦いです。忘れないように反復読み返す、そういう勉強しかできないし、それが一番効果的なんです。

 二兎追う者は一兎をも得ず、という格言は、真理だとわたしは思っています。しかし、世の中の親、いや子どもだって、そういう風には考えない人ばかりです。ほんとうに受かりたいならもう勉強以外のことは何もしてはならないのです。そんなことをやっている暇はないはずです。小石川なんかは今や私立難関中受験の、偏差値で言えば60以上でしょうか、そういう子たちの戦場です。おそらく芝中とか、城北とか、巣鴨あたりがいちばん多いかもしれない。あのレベルでしょ。開成とか桜蔭とか言う人もいるけれどそれは少数でしょ。

 二兎も三兎も追う、あるいは追わせる親が多いけれど、受験もその中の一兎にすぎないというのがわたしには理解不能です。一兎を追っているのに、途中で休んで、中には追わないで、あるいは、追うことから「離れる」行動をとる、ということがわたしにはどうしても理解できないのです。夏に「4時間弱」と答える子たちの勉強量の少なさがわたしには堪えました。

 わたしが「この子は受かる」と確信をもてるのは、その子から伝わってくる勉強に対する情熱、強い思い、上昇志向、勉強以外は価値がないという信念、勉強に対する真摯さ、正直さ、ひいてはわたしに対する敬意の念、そういう中での類い稀なる実行力、艱難辛苦を乗り越えたという実感、そういうものがわたしに伝わってくるからです。わたしがどうしても合格の確信を持てなかったのはそういうものをほとんど感じられなかったからです。

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