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小石川という選択と覚悟/小6の当然想定されていた憂鬱/小学3、4年と5年の差/

2016.05.14

 おはようございます。今日は蒸し暑いですね。まだ5月の中頃ですから清々しい日も何日か期待できそうですが、梅雨の時期ももうすぐそこまできていますし、梅雨が明ければいよいよ夏日ですよね。

 明日は日曜日で渋谷Aの指導日です。このところ忙しくてうっかりしていましたが、夏期の日程表を組まなければならないことに気がつきまして少し焦っています。例年6月には、日程等を配付しているからです。特に、今年は、少なくとも渋谷Bの通常日程を予定していますので、日程がうまく組めるのか、悩みそうです。

 そこでまずみなさまにお願いしたいのは、夏休みが、何日までということを申し出ていただきたいということです。特に、通常より短い、つまり早く終わる方は、必ずその旨届け出てほしい。これは、竹の会には、いろいろな区から通われている方がいまして、区によって、特に夏休みの終わりがまさに区々になっているからです。たとえば、目黒区などは8月の下旬にはもう学校が始まっている。そういうわけです。ただ皆様からのお届けにもかかわらず、ひとつひとつを斟酌して予定を組むことも不可能であるということもご承知願いたいと思います。竹の会は多くの区から通われる方ばかりですからしかたないですね。せめて夏休みの期間だけでも把握してから計画を立てたいと思っています。もちろん個々の家庭の予定を斟酌することもまず不可能です。かつてはオートスラリアにホームスティをした受検の小学生などもいましたけどこういう小学生はわたしの指導の枠外にあるわけで実は指導のしようがない。竹の会に通うということの意味を根底から覆す行動をとるのならもはや竹の会の指導を期待することもないはずです。

 ところで、竹の会では、推奨の入会時期というのは、小4の2月までとしています。遅くとも小4の2月開始です。これは、平成22年の両国合格者が小3の2月(ただし、小4の1年間は今の渋谷Bのような通い方で夏も出ていない)であったこと、23年の小石川合格者が小4の8月であったこと、そしてこのような早期の入会者にはじっくりと基本的なことに時間をかけられてきたこと、そうしたことが、後々に合格の可能性を実現性を高めていったこと、などがわたしのほぼ確信に近い合格の要諦になっております。

 小4の2月でどうか、ということに関しては、たとえ小4の2月にきたとしても、勉強を最優先することなく、「まだ小5だからという」論理でさまざまな家庭行事を優先させる家庭では、合格の可能性が遠のくということも知っておいたほうがいいでしょう。小4の2月開始というのは、受検の覚悟をしたという意味です。平成27年に桜修館に合格した女子は、合格までの2年間に竹の会を休んだのはインフルエンザで熱を出したときだけです。わたしの記憶では2度そういうことがありました。彼女は竹の会を休むということをとても悲しく思い泣いたらお母さんも悲しくなって一緒に泣いたというエピソードさえも残っております。それほど勉強にかけていた。ところが、いくら小4の2月に始めたからといっても、いろいろと習い事、稽古事もこなしながら、時には家族親戚の集まり、その時々の季節の行事を楽しむ、あるいはやたらと多い家族との食事、法事、などなど休みと早退と遅刻ばかりというのでは、小4からきたということの意味はほとんどありません。わたしが小4の2月からと言っているのは、勉強する覚悟のことです。どうもこのへんのところがわかっていない。合格するというとことの大変さがわかっていない。小5のせっかくの竹の会の1年間をへらへら過ごす、それでは受からないのもあたりまえです。受かる子というのは前提から違うのです。

 だいたいほかにやりたいことをやりながら何もかも手に入れて合格もするなどという図々しい親子がいるわけで、それで合格すりゃー世話はない。天下の天才が必死に勉強しているのにそれほどでもない子が余裕をこいて合格するなどと宣うわけでこのへんからすでにおかしいと思わなければならい。

 竹の会では、小5の1年間の過ごし方が問われる。この時期にすでに勉強一筋の覚悟があるのかが、そのまま合否に結びつく。小5の2月から有意的な適性のための訓練ができるかはこの小5の1年間の過ごし方にかかっている。まだ小5だからなどといって家族の時間を大切にするということが、何を結果するのか、わかっていない。小5というのがこんなにも大切な時期だということは、できれば早ければ早いほど竹の会で指導を受けていたほうがいいということになる。小4こそのんびりと、それこそ時間をかけて、小5でやることになる訓練をも先取りしてやれる、いちばんの機会であるということである。

 遅ければ遅いほど不利になる。小5の2月以降、この時期にきて合格した例は確かにある。桜修館などは、小6の6月とか、9月にきて合格した例もあるし、25年の白鷗の子も9月だった。しかし、この例外的合格者たちというのは、ずば抜けて知能の高い人たちだった。わたしの課題をたちまちのうちに吸収して一気に伸びていった。そういう天才でもない、つまり小5の1年をかけて鍛えていって能力開花を待つという、特に天才でもない、一般の子たちには、小5の1年の過ごし方というものが大きな意味をもつ。ここで大手で過ごすか、これがひとつのかけになる。もともとの天才ならそういう選択もいい。これはそういう天才に大手の指導が高いレベルで応えるという意味ではない。天才はもともとそんな大手のまやかしに近い助けなんかいらない。天才というのは、自分で方法なりを見つけていくものだ。どれほどの子を天才と言うか。これには、学校で「よくできる」を8割以上とっているようないわゆる優等生と言われる子たちでも、大手で潰れていることからすると、つまり適切な指導というものがなければ潰れてしまうということからすると、天才のレベルというものも自ずから知れようというものである。

 巷の個人塾で能力を矯められるという子も多い。誠に塾という看板を掲げていながら素直に伸び伸びと子どもを伸ばすことのできる塾などというものが現実にあるのか、と疑うばかりである。もともとの優等生ができているだけなのだというのが巷の塾のほんとうのところではないか。これは大手が天才を集めてもともとの天才の力で合格をしたことを塾の実績として喧伝する商法とその本質は何も変わらない。

 小5の2月に過去問が解けない、これがすべての始まりであった。平成19年の4月から7月、この期間に竹の会に集まった小6たちの話しである。なにしろ通分もたどたどしい子、分数の計算1問で1時間以上もかかる子、割合のしくみをどう説明しても理解しない子、こういう子たちがなんで公立中高一貫校に行きたい、などと言うことを言い出したのか。過去問を目にしてほぼ0点しかとれない子たち、いったい何なのだ。わたしは学校の優等生と言われる子たちがいきなり適性の過去問に取り組んだとき、ほとんど解けないということを何度も思い知らされてきた。小6になってこれである。こういう子たちが受かるわけがない。だからわたしは小5の1年間という基礎訓練の期間、これは最低の譲歩した期間として、必要と考えた。できるなら小4の1年間こそ欲しいというのが本音であった。だが、世間にはそんなに早くから子どもを塾に通わせようという親は余程の教育熱心な人に限られている。そもそも公立中高一貫校を受けさせようとい親には小6になって塾探しという、その程度の認識しかないない親ばかりである。そういう親が大手に行けば受かると大手を信用するというが、まったく脳天気な話しである。

 実は、今年の小6については、1人を除いてまともに過去問が解けない。その解けるという1人の小6もとてもわたしの満足のゆく結果を出せてはいない。小6になってから、あるいは小5の終わるころに竹の会にくるということは、基本訓練ができていない、というハンディをかかえることである。ただこういう子たちがそのまま大手にいて中学生になったらと考えるとゾッとする。すくなくとも竹の会では小6にきたからといって基本のできていない者にいきなり過去問を強制することはありえない。遅れることにはなっても将来のためにも基本を完全にマスターさせることが竹の会のやりかたであり、良心でもある。だから正直合格の見通しなどない。大手やどこやらの塾のように合格する可能性もないのに、「これからの勉強しだいで合格するかもしれない」などという空々しいウソを言って生徒を引き留める、つなぐなどということはしない。正直に今の現状を踏まえて竹の会ができること、やれることを告白するしかない。

 わたしに合格の手順をふませてくれない親たちには不合格の覚悟も当然あるのだろうと思うのは間違いであることは経験が教えている。「今日は何々で」と早退、遅刻、欠席のたびにわたしの手順は振り出しに戻る。わたしが子どもを確実に合格にもっていける型というものがある。それは小4の2月指導スタート、理想は小3の2月であるけれども、譲歩しても、という意味である。小5の1値年間を基本、つまり割合の訓練、つまりは思考訓練にどっぷりと漬かれる期間を確保できる、これである。ところが、この期間は「まだ小5だから」、「小5のうちに」と家庭の事情、親の意思で十分な期間たり得ないことが多い。「小6になったら」真剣に取り組むというけれど、すでにわたしの手順は完全に外されている。親の都合がすべてを壊す。

 小石川に行きたい、それはひとつの重大な選択である。その夢を実現することは、難しいことではない。まず、小4のときに竹の会の入会試験ⅠにA合格することである。それから計算を短期間で達人域に到達することである。全くの無から始めて、つまり通分ができないというところから始めて2か月ほどで計算をこなすほどの能力が求められるであろう。さらに、逆算で時間のかかる子はダメである。小石川に受かるほどの子というのは、逆算も1日、2日で終わらせる。1か月2か月とかかる子はダメである。実は、逆算の理解というのは、知能を反映している。逆算理解が速ければ速いほどそれだけ知能が高いといっていい。

 ここから小学生指導の目標、本質というものが見えてくる。そもそも計算というのは、高度に形式的かつ抽象的な精神作用、思考を必要とするものである。通分では、最小公倍数という概念の理解、繰り上がり、繰り下がり、帯分数から真分数への変換、小数と分数など抽象的思考が計算過程では常に激しく稼働している。だから計算を鍛えるというのは、抽象的思考の訓練の第一ステップにちがいないのである。こうして逆算へ進む段階がくる。逆算というのは、これまでの四則演算のまさに逆を「読む」思考である。だからさらに抽象的思考は上にいく。これこそまさに最適の知能検査ではないか。

 こうして、計算というものを通して、小学生低学年に何を訓練すればいいのかが見えてくる。そうです。それは「抽象的思考」です。実は計算を通してまず頭を訓練していたのは、小学生の頭の中に、数という抽象的なものの操作を通して、抽象世界のコントロールを訓練していたのです。ここから見えてくるように、小学段階の基本訓練というのは、徹底して抽象思考の訓練でなければならない。たとえば、竹の会では、「教養のための理科」という市販教材を使って要約を課題として訓練しているけれど、それは抽象化の訓練をしているのである。文章というものを抽象化て、つまり抽象語に置きかえて、書くということを訓練している。文章を丸写しする子、表現が伝聞になっている子など幼稚なレベルの子がこれですぐにわかる。竹の会では、四字熟語の由来を要約する訓練もしていますが、同じ趣旨です。丸写しではダメなんです。最初に意義、意味を書け、それが問いに答えることだろうと、言っているけれど、何を書いているのかさっぱりわからない答案が多い。抽象化するという思考作用をここで学べ、ということである。わたしの参考答案から抽象化というものを学べ、と言っている。

 わたしは実は今小3とか、小4の指導についてかなり関心を持っている。こういう時期に早くから抽象化思考の訓練を施すということが、小5の一年間をより充実したものにするのではないか、とそう考えたのである。抽象化訓練というのは、算数の割合指導において顕著であるけれども、わたしは国語について実は興味を持ち始めている。国語については、竹の会では実はもっとも核にあるべきものと思っているのだが、「新国語読解」シリーズというのがある。出典は過去の公立高校の入試過去問であるけれど、わたしはこれにわたし独自の問いを製作している。それがわたしの抽象化訓練のひとつであることを知る人はいないであろう。今年戸山に合格した生徒がこのレジュメで開眼した。最初はまったくの自己流の答案で0点をつけたこともある。そのときわたしは、「どういうことか」というのは、本文の抽象的な表現を具体的表現で言いかえたものを拾い出すだけでしょ、とコメントした。あるいは、具体的なものは抽象的な表現で言いかえる、これである。その意味が彼なりに理解できたのであろうか、このレジュメの正解率が次第に高くなり、遂には、11月のVもぎで国語偏差値70をとった。それがフロックでないのは、本番の戸山で87点をとったことからも知れる。

 わたしが今目しているのは、この抽象化という訓練をどうやって小3、小4の子たちにほどこすか、ということである。今はそのアイデアばかりを書き留めている。幼い、視野の限られた、言葉で思考するということの程度も低い小学生に、どのようにして抽象化という課題に取り組ませるか、これである。漢検などを受けて、言葉を増やすことも必要であろう。わたしたちは、言葉で考える。その言葉の量を増やすということは、特に、幼い子どもたちには有益であろうことは疑いない。考えてみれば、わたしが今竹の会で取り組んでいる様々な指導の実際はすべてこの抽象化という、この一点に集約できるのかとも思う。

 

 

 

 

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