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小石川・両国・白鷗合格塾/都立戸山・都立青山合格塾/とにかく一度否定してみる

2019.05.02

 

◯とにかく一度否定してみる
 世の中には、うまい話しが氾濫している。ロト6 が当たる本なんてあるのかと思いきやあるわあるわ、当たる方法なんてあるわけないでしょ。予想ソフトというのがまた高価な値段であれこれ。ちょっと待てよ。そんなソフトなら自分で使って億万長者になってるだろ! 生命保険の約款というのが、よくできていて、話しをきいてると、バラ色の世界、しかし、保険会社は、慈善団体か、保険会社が儲かる、なら、保険金なんかもらえるわけがない。保険会社は払わないように約款にいろいろ仕掛けをするに決まっているでしょ。投資話しで騙される人たちが後を絶たない、そんなうまい話しなら、人には教えないでしょ。電話会社の今ならお得というのがまた話しがうますぎ、キャッシュバックなんか一年後、しかも申請しなければダメ、申請しても申請しにくいようにインターネットで複雑にして諦めるように仕組む、わざと仕組んでいるとしか思えない。解約なら違約金、解約しても抱き合わせの契約は密かに続行している、という細かい芸を忘れない。こういうのを狡猾というのだろう。とにかくここまでくるともう悪質としか言いようがない。大手企業が、「騙す」構造なのである。
 数学では、背理法という証明の技術がある。例えば、√2 が無理数であることを証明せよ、という問題がある。ここで有理数、無理数の定義は前提である。有理数とは、分数で表せる数のことである。したがって無理数は分数では表せない。無理数は不規則な無限小数になる。円周率πは無理数である。無限小数でも循環小数は分数で表せるので、有理数となる。背理法というのは、いったん命題を認めて、そこから矛盾を導くものである。「仮に√2が有理数だとすると、これは分数で表せるということだから、b/a と置ける。ここで、a、bは、互いに素な整数である。つまり既約分数である。ここから、両辺を2乗して、分母を払う。すると見事に矛盾が生じる。左辺は、2a2(aの2乗のこと、以下同じ)、右辺は、b2、となる。左辺から、右辺のb2は2の倍数である。ここでb2が偶数ならbも偶数になる、ということの証明も必要で、これも背理法で証明できる。そこでbが偶数なら、b=2kとおける。すると、2a2=4k2、ここからa2は偶数、つまりaも偶数、これは、最初の前提、a、bは互いに素、つまりお互いに約分できない、という前提に矛盾する。だから√2は無理数である」
 背理法というのは、相手の言い分を一応認めて、それを前提に、論理を展開すると、矛盾が、生じるということを、導くわけである。

 命題の証明では、直接証明するのは、難しいことがある。背理法は、そういう場合の一つの方法であるが、他によく使うのに、命題の対偶を証明する方法がある。よく逆は必ずしも真ならずというが、命題の対偶は常に真である。

 参考 命題「pならばqである」の「qでなければPでない」を対偶という。

 高校数学には、数学的帰納法という証明の方法もある。これは数列の隣接項の証明問題では定番の解法になる。

 わたしは、この騙し社会において、身を守るための方法について話しています。
 とにかく一度否定してみる、否定の根拠は、あまりにもうますぎる話しだからでいい。世の中には、そんなうまい話しはない、というのが、公理である。それからゆっくりと検証していこう。

 ところで、試験では、素直に出題者の言うことに従わねばならない。出題者が条件をつければ、その条件に従うことは絶対である。「本文の内容をふまえて」とあれば、「ふまえて」書く。大辞林によれば、②ある事を考慮に入れる。ある事を前提にして考えをすすめる。のが「ふまえる」である。だから具体的に本文の記述を取り入れて考慮したことを示さなければならない。 「どのように」と問われるときは、具体的に書け、ということである。それから問いの形式に合わせることも大切である。「どういうことか」と問われれば、答えの語尾は、「〜こと」と問いの形式に合わせなければならない。なぜか、と問われれば、「〜から」と対応させなければならない。「四百字以内で書け」なら、少なくとも9割の360字以上400字以内で書かねばならない。
 出題者の言うことに、あるいは筆者の言うことに肯定的な姿勢を示すことも大切である。作文で敢えて筆者の主張に反対する立場で書く子がいたが、少数説は、余程の根拠がないと失敗する。法律の答案でも、通説が一番である。法律の世界では少数説と言われる人たちが、説得力ある理論を展開する、これは感動的でさえある。しかし、試験で、少数説で書くことは、通説の何倍も書かないと覆せない。だから時間と労力の無駄なのである。試験は合格することが目的であり、私たちが真実どう思っているかは問題ではない。
 答案は、当たり前のことを当たり前に書けば、いいのである。記述問題は、一行20字でまとめろ。これに200字も書いてたら時間がいくらあっても足りなくなる。「あなたの意見を書け」と言われたら、どうするか。そもそも小学生にあなたの意見などあるはずがない。下手な意見、未熟な意見を無理に200字も書いても意味がない。意見というのは、根拠を示すことのほうが大切で、意見はせいぜい一行も書けば十分である。政治家も学者も解決できない問題に小学生が意見などあるはずがない。「わからない」が当たり前でしょ。ただ何が問題か、問題の生ずる由縁というものは詳しく書く、何が原因か、その原因の原因たる所以についても理解を示す。そうなのである。わたしはこの問題についてよく知っていますよということを示すのが答案なのである。つまり答案とは「知識を示す」ものということができる。理解を示すこと、そして問題性を指摘すること、これならできるでしょ。

 段落に分けないバカがいる。大辞林の段落の定義 ①長い文章の中の、一つの主題をもってまとまった部分。また、その切れ目。つまり主題ごとに段落を分けろ、ということです。さらに大切なことは、主題というからには、書く前に、「何について」書くかが決まっているということである。ここは何について書くと決めて書くのが本来なのである。ところが、思いつくままに書くから途中で文章がおかしくなる。同じことを二度も三度も書く。一度書いたことを二度も書くのは失格である。書き出しを一マス空けないバカもいる。句読点が読み取れないバカもいる。それよりも字が形になっていないのがいて、字とは何かからよく考えろと言いたい。採点する側の身になってみろ、と言いたい。採点者が善意の解釈をしてくれると甘い幻想を抱くのは本番でその甘い思い込みが粉砕されてわかることである。字は親の姿勢に問題があり、まともな字を書けないのは、親が小1前後に徹底的に教えこまなかったからである。ていねいにゆっくりと字の形を覚える訓練をしてこなかったことの負の教育の影響は計り知れない。昨今の親は放置である。悪字はいったん身についたら後から直せない。
 話しが千々に乱れまして申し訳ありません。最後まで読んで下さりありがとうございます。

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