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中学受験 高校受験 受験相談 渋谷で創立30年

小石川中等の戸山越え/日比谷はまだ伸びる/武蔵、大泉の台頭/幸運という偶然/人を滅ぼす蜜の味/自信の正体

2017.05.26

 おはようございます。今日は雨のようですね。風邪の治りかけになると咳が酷いのはわたしだけの特質なのか、今は龍角散が手放せない。蒸し暑いと思ったら思った以上に肌寒い、こういうときが一番風邪を引きやすい。「渋谷A」と「渋谷B」、2つあると、やはりかなり忙しい。2つの違い? 端的には、「渋谷B」には、「仮合格」による試験的入会、「不合格」者の入会があることか。実は、「渋谷A」にも1年前には「仮合格」で入会を許可したことがあった。ただ「仮合格」というのは、小4早期までにのみ限定の入会許可である。「仮合格」は、要するに、2問しか解けなかった、2問だけ解いた、そういう場合です。これが小4早期なら、この試験で眠れる能力を発掘できていないのではないか、それならば、実際に、わたしが指導してその隠れた能力を引き出してみようか、そういう主旨です。ですから、「仮合格」をとったからといって大手に行っても潰されるのが落ちです。学校の優等生でもないのに仮合格程度の子が「何もしない」のが特質の大手に行ってどうなるか、自明でしょ。小4早期でも満点とってS合格をとる子だっているのです。

 小5、小6で2問しか解けない、というのは、正直能力的なものの制約を示唆していることが多いと考えています。2年前でしたか、入会試験を受けに来た新中1で0点というのがありました。大手塾に2年通い受検して失敗したという子です。大手というのは恐ろしいところです。いや自分の子がどうなっているのか、全く把握していない母親も酷い。その母親は、「大手を信用していたので」と言いましたが、世の中の大手大好きの親たちの頭のレベルがわかろうというものです。もしこういうような親ばかりだとすればこれは竹の会がいくら訴えてもまずこの人たちには竹の会の声は届かないな、と思いました。

 入会試験で0点とった子が指導できるか、これは実験したことがあります。「渋谷B」を開いたけれど、生徒は2名ほどというのが何か月も続きました。こんなにがら空きなのだから、まっ、見てもいいか、そういう気になったのです。それで3人ほど入会させました。しかし、うち2名はすぐに指導困難ないし不可能と判断しあっという間に退塾、1名がわたしの想像を超える努力家で「努力の力で能力を超える」ことを実証する子でした。そういう子は過去に1人だけ知っている。小6になっても通分も理解できなかった。それなのに小4から日能研に通っていた。母親が言うには、「受験する子たちの仲間でいるのがうれしい子なんです」。小6の終わる頃から指導した。中1になってもまず「正負」の概念から躓いた。それでマイナスを赤い玉、プラスを黒い玉と置きかえて説明した。文字式は理解させるのが不可能に思えた。文字というのが、具体的な数字の代表だ、ということをどう理解させるか、これは聳え立つ壁だった。xという箱にはどんな数も入るんだよ、そこから説くことにした。努力を惜しまない子だった。わたしが「やれ」と言ったら「止めろ」と言うまでいつまでもやった。ノートは筆圧でカーボン紙のようになった。ノートが真っ黒になるまで書いた。まるでカーボン紙を製作する職人のようだった。単語を覚えさせたら、その職人精神がプラスにはたらいてあっという間に覚えた。それで気をよくしてさらに覚えた。中1のとき通知表はオール1だった。中3になったらオール4になっていた。英検3級にも合格した。漢検3級にも合格した。その子が中3の6月突然来なくなった。母親がやってきて泣き伏した。「先生にはなんとお詫びすればいいのか。これまで先生がうちの子のためにどれだけ心を砕いて導いてくれたのか、それを思うと、・・・わたしは竹の会に残ってくれと頼んだのですけれど、あの子は聞いてくれません。先生にここまでにしてもらったのに、あの子は進学塾に行きました。昔の受験した仲間たちのところに戻りたかったのです。今度はできるようになったって・・」。わたしは、これは難しいかな、自信なくすと行けない、そう思ってできるかぎり理解の段階に合わせて問題を選んできました。進学塾にはそんな配慮はないでしょうから、潰されなければいいがとそのことだけが心配でした。泣きながら謝る母親に「がんばるように伝えてください」と言って送り出したのを覚えています。努力が能力の限界を超えることはある。しかし、だからといって持って生まれた能力そのものはやはり限界として立ちはだかる。これも真理である。

 幸運という偶然

 よく竹の会に出会ったことを「幸運だった」と言われるお母さまがいます。これはもうそれは数え切れない数のお母さんたちが言ってきた言葉なのです。わたしはほんとうによくこの言葉を直接聞き、あるいはメールの中で、ときにはお手紙に見つけてきました。竹の会との出会いを幸運と言ってくださることはこれほどうれしいことはありません。わたしのほうが出会いを求めて学校説明会などに出向いてチラシを配ったこともありましたが、全くといって無視されてきましたので、竹の会と出会うというのは、余程の偶然なのかな、と思います。今はもうチラシ配りはきっぱり止めましたが、いや宣伝そのものをやってない。よく新聞のチラシに大手は別格として、弱小の塾が貧相なチラシを入れているのを見ると、虚しいですね。まずこれでは出会うことはないでしょう。世の中の親たちは疑い深いですからね。胡散臭いものにはまず背を向ける。大手に行くのが安心と思っている。昔は竹の会にも問題のある子ばかりが訪ねてきた。大手で受け入れてもらえないからそういうマイナーな塾を探すというわけです。

 平成27年10月竹の会のホーページが一新された。それまで「草枕」はグーを借りていた。そこからホームページに引っ越ししてきた。わたしの「草枕」が多くのみなさんの目に触れることができるようになった。全くといって宣伝手段ももたない、渋谷で30年以上にわたり、細々と生きながらえてきた、小さな塾です。東京23区のみなさんと幸運と言われる出会いを夢見て営々と書き繋いできました「草枕」が何かの偶然で23区の心ある人の目に止まり偶然の邂逅へとつながることを祈っております。 

 幸運という偶然については、試験本番で「よくできた」という偶然が幸運をもたらすことはよくあることです。竹の会では平成13年に都立西に合格した生徒がいましたが、彼は実は西の3年間竹の会に通っていました。東大と早稲田理工を受験しましたが、東大は数学で失敗します。早稲田に行かないで翌年東大を受験しましたが、このときも数学で失敗。結局慶應の理工に行きました。彼は三大模試ですべて全国順位20番台に名前をのせたほどの天才、実力者でしたから、東大で失敗するということを考えていなかった。しかし、普段どんな難問でも解くのに、そのとき出た問題は解けなかった。なんたる間の悪い偶然だったろうか。幸運という偶然はいったいいつ降臨するのであろうか。少なくともやたら勉強を敬遠するような子にはそういう偶然はない。勉強してこなかった子、家庭ほどそういう偶然を期待する傾向がある。このときばかりは奇跡を信じるのである。習い事、稽古事、スポーツ、家族旅行、盆・正月祝日気分、そういうことを自由にやってきた人ほど奇跡の降臨を信じるのである。しかし、幸運な偶然というのは、いつも勉強に向かい合って真摯に苦しみもがいてきた人にのみ舞い降りることは疑いありません。先の西の生徒が全国模試(駿台、河合、代ゼミ)で確か26番だったか、名前を載せたこと、これは凄いことです。ただひとつだけ気になることがあります。これで自信を持つことの恐さです。自信とは何か。自信は往々にして過信と紙一重です。自信は自信過剰に変ずる弊がある。過信というのは思い込みであり、実は、できないヤツほど過信することがわかっています。模試とかの客観的根拠から出てきた自信が過信に転ずるのと自ずとその本質を異にするものがあります。世の中には、できないのに「できる」と思い込んでいる、勉強もしていないのに「やればできる」と信じている、本気を出したらだれにも負けないと思っている、実は実力のない、ただの過信、その意味で張り子の虎がたくさんいます。中身がないのです。勉強を先送りする、勉強を回避する、建前としての口実でいつも勉強を先送りする、発表会は勉強回避の避けられない事情、法事は勉強に優る重大事、家族旅行は勉強より大切、こうして張り子の虎作りが進むのです。自信だけあって実力のない子を作り上げたのは家族一丸となって精進した賜です。

 幸運という偶然は、謙虚な精神に宿る。真摯な精神に宿る。そう思いませんか。

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