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中学受験 高校受験 受験相談 渋谷で創立30年

常にその子の掛け値なしの嵩を「読む」

2015.12.20

 おはようございます。週末は気温が下がるとの予報でした。朝は6℃でした。2月の2℃には及びません。今日は早稲田進学会の模試を受ける小6もいるようです。早稲田進学会は前回の模試の結果をまだ出せないでいますが、平成23年1月もかなり遅かったことを覚えています。あきらかに足りないですね。栄光の模試結果が本番の後にきたという話を中2の生徒から聞きましたが、どこも処理能力を超えて人を集め、受検生より商売優先です。

 竹の会の12月通常指導は、渋谷Aが、20日と23日の2回、渋谷Bが21日の1回を残すのみとなりました。26日からはいよいよ竹の会恒例の冬期指導に突入します。冬期は、26日~30日、3日~7日の実施です。日程表の曜日の記載に誤りがありますが、日程は表示の通りです。1月の予定表は、本日配付の予定です。

 受検直前期に入りましたが、普段の生活は勉強を生活の中心において回せているでしょうか。人並みにクリスマス、大晦日、お正月を楽しんでいては確実に勉強の生活リズムは崩れます。特に、年末年始のテレビ特番に現を抜かすなどのことをやった先輩たちは軒並み瓦解しております。力みのない適度の緊張感を本番まで維持してください。弛みは大敵です。

 心を静かに落ち着けて、臍下丹田(ちょうどへその下あたり)にて呼吸することです。もちろん腹式呼吸です。ふだんはこれまでやってきたレジュメの解き直しをやるだけです。塾のある日は新作をやります。本番までこれの繰り返しです。これまでに自分がやってきた、やることのできたレジュメだけです。今、この時期に新しいレジュメはもちろん、新しいなにかをやることは自滅に導くだけです。

 模試は積極的に受けてください。あなたたちの相対的位置を知るいい機会です。それにわたしにもあなたたちの力の正確な嵩を知る資料になります。これまで課題レジュメをほとんど出してこなかった小6については、いちおう「力はない」と判断するほかありませんが、普段の指導でも「合格はんこ」をほとんどとれていないという事実は気鬱です。 今年の小6には小5の時から、なかなか机について長時間の思考スタンスをとることのできない子たちがいました。長時間の緊張に耐えられないのです。そのためきっちりと自分の仕事をしている、してきた子たちとの差が明確に出てきたのはいたしかたありません。

 そもそも勉強とは、がまんすることです。がまんの続かない子たちが「逃げている」、わたしにはそうとしか見えませんでした。

 この時期、特に、子どもたちの力の嵩というものを「読む」ことに集中します。この子は「このくらい」などと「読む」わけです。今年の桜修館の受検では、予想に反して落ちた女子がいましたが、明らかにわたしの「読み」が外れたケースです。普段の指導レジュメの出来を過大に評価してしまったようです。考えてみれば、模試は一度しか記録に残っていなかったし、なによりも課題レジュメは結局ほとんどやれてなかったのですね。それでも合格と予想したのは、わたしの難問レジュメに食いついて「合格はんこ」をとり続けたからでした。ところが、本番では、普通の適性問題を「新傾向で」解けなかった、というわけです。

 今年はこの反省を踏まえて、もっとも適性問題らしいレジュメ「適性問題Ⅲの研究」を毎回制作し、練習に供しております。この出来を見ていると、やはり課題レジュメをまじめにこなしてきた子、いつも机について集中している子、というのが、結果を出しています。

 今年は、高校受験の生徒についても、力の嵩をまだ完全には読み切れおりません。これから過去問を使って調べていくしかない。これから「読む」のが難しい。

 考えてみたら、これからの時期というのは、いつも子どもたちの力の嵩を量る、そればかりだったように思う。力のない者は落ちる、それが現実です。期待だけでは受からない。志望校への思いは募ってもそれが合格を可能にはしない。

 都立中受検では学んでほしい。勉強するということの意味を。受検しても落ちるのが普通の試験です。合格する子の6倍も8倍も10倍もの子が落ちる試験です。失敗しても高校受験があるという。確かにそうです。確かに、竹の会でもリベンジした子たちがいました。平成23年に、都立小山台高校に合格した女子は、20年に白鷗に失敗した子でした。今年、戸山高校に合格した男子は、24年に両国中に失敗した子でした。しかし、リベンジに成功する子ばかりではない。いや失敗した子たちもたくさんいるはずである。あるいは、リベンジに成功して折角いい高校に入っても、初心を忘れて、部活に現を抜かし、大学受験で失敗したという話なら腐るほど知っています。

 「簡単には更正できぬのが悪人の性(さが)」 (牧秀彦の小説から)

 そういう人たちがいわゆる「悪人」と言っているわけではありません。「悪人」というのは、人の心に棲みつく「魔物」のことです。合格した途端に弛んで勉強しなくなる、憧れの高校に入った途端に部活に没頭して勉強そっちのけになる、部活と称して勉強しない中学生、特にやることもないのに「ナマケモノ」を託つ子ども、勉強を先送りする心、当面の勉強を回避する行動、もろもろのこうした行動をまるで囲んで、「悪人」と言ってみただけのことです。この悪人の性は簡単には更正できぬものです。小学の短い、ある時期だけ、受検と燃えて燃焼しつくして、中学になれば向学心はどこへ飛んでいったのか、部活に明け暮れて、気がつけば高校受験、高校は全入時代ですから、選ばなければどこでも入れます。さてそのような高校で何を学ぶのか、それからところてんのように社会に押し出されて、さてもうだれもどうこうしてくれることはない。親だけがたよりのアルバイト生活に入るのか、ここで一念発起してまた勉強しようという気持ちにでもなるのか、職人の道を選ぶのか、・・・

 

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